第2話……何も知らない
早朝6時過ぎ、世間がようやく起き出して活動する時間帯。
その時間帯が私が就寝につく頃。
──さてと、寝よう。
と、スマホを置こうとした瞬間に着信が入った。
姉からの着信。無視するわけにはいかないな、でもちょっと面倒……寝たかったのにな。そう思いつつ、
「もしもし」
どうせ、誤動作だって言うんだろう。そう言ってほしい。
がさがさとした背景音がしているだけだろう。そうに決まっている。こんな時間に、緊急の連絡なんて……あの実父が、心筋梗塞をした時も
笑い話にしたい心は、姉がいつも寝起きに発している掠れた声で剥がされた。
「……血圧が下がっているんやて。お父さんの病院から連絡あって、今すぐ、来てほしいそうやわ。お姉ちゃん、今から用意するから切るよ?」
入眠前にこんな風に言われたら、どんな反応をしますか?
冷静になれる人、取り乱してしまう人、支度を早急にしようとするあまり、いつまでも終わらない人、混乱して行動が止まる人……さまざまな反応の仕方があると思っていたし、私は必要なもの──たとえば肝心な携帯電話だったり──を忘れてしまうんだと思っていた。
十分ぐらい、だっただろうか。ぼーっとしていた。呆然と立ち尽くす。まさにその通りだった。私の場合は、布団の中でなので立ち尽くしていたわけではないけれど、頭の中で行動を組み立てることができなかった。
何をしたらいいのか?
それすらできなかった。
服を着替えて、家を出るという単純な判断もできない状態に陥りかけて、
「あれ? 着替えてメールして、店に声掛けてタクシーやん」
声に出してみて、はじめて行動に移せた。
歯を磨きながら、実父の奥さん──実父は再婚しており、一緒に店を運営していた──に店に顔を出すことをメールで伝えた。
最速、高速で着替える、わけでもなく、ただただ身体を動かしていただけだった。
家を出る時も走ったりとかを考えずに、速足気味に店まで歩いた。
実父が店長をするようになった時に、公私に渡って交流をしていたパートさんに私の出勤が遅れることを伝えた段階から、ようやく脳がトラブルになっていた。
タクシーで病院に向かいながら、私はひたすらに思っていた。
実父のことを、あまりにも知らないのだと。
幼い頃の思い出は薄く、実父が思い出として残しておいてほしいものではないことばかり。
実母が現像して貼り付けてくれていたアルバムは手元になく、実家にあるのかも怪しい。
すぐに取り出せる思い出は、いつだって店の中でだった。
店に関連することだった。
お互いの意見の相違や価値観のすれ違いから、よく口論や意地の張り合いをしたことばかりだった。
それでも店に居続けたのは、実父への甘えとようやく手にしたと思い込んでいた実父との時間。
でも、積み重ねた時間の中で、何をどう考えていたのかを知ろうとしていなかった。
確かに食の好みはぼんやりとは知っている。
女性の好みも、どんなアーティストが好きで洋楽だとどのジャンルを好んでいるだとかも。
昔に、それこそ私が小学校の頃に、「将来の夢はなんですか?」という質問があった時や高校生の頃には聞いたことがあったからその夢も。
これからどうしたいのか。
私にどうして欲しいのか。
私と実父にとっての妻との関係はどうして欲しいのか。
何も知らないことだらけだった。
本人としても、まさか自分がこんなに早くに逝くとは思っていなかったはずだ。
世の中は新型ウィルスのせいで、面会もままならない状態。
とくに中皮腫は肺がダメージを受けている中で、今回の新型ウィルスでは罹患してしまうとどうしようもない。
私たち家族が顔を合わせられたのも、実父の余命宣告の説明を受けた日だけだった。
ほんとうは伝えたいことがたくさんあったかもしれない。
欲目を言うと、声を聞いて少しでも安心や痛みと向き合うことをしたかったかもしれない。
メール不精で、電話を携帯するという意味で携帯電話を持っているはずなのに、見ようともしない実父は、余命宣告を受けた日から開けることもなく、充電することもなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます