十一月 求婚に王道なし
真っ白な小箱を開くと、その中でダイヤモンドのリングがきらめいた。
『結婚してください』
涙を流しながらうなずく彼女の指に、そのリングはすんなりと収まる。
病めるときも、健やかなるときも、腹の立つときも、涙を流して笑うときも。あなたのそばに、終生変わらぬ愛のかがやきを──。
「これってやっぱり、クリスマス向けのCMかな?」
見つめ合う男女と宝飾メーカーのロゴを見ながら、椿沙は言った。
「そうなんじゃない? もう来月だし」
まだひと月以上あるというのに、十一月に入るなり街はイルミネーションであふれている。
「今どきまだクリスマスにプロポーズするひとなんているのかな?」
そう言うなり椿沙は、冷蔵庫に向かってしまったので、碧の眉がヒクリと動いたことには気づかなかった。
「……いるでしょ。たくさん」
「ベタすぎない?」
「“王道”っていうんだよ」
コンビニで買ってきた、ショコラムースのパッケージを開けながら、椿沙は「ふうん」と気のない返事をする。ひとつしかないのは、碧が甘いものを好まないからである。
「でも指輪買うなら、お店選びからしたいよね。……はい」
差し出されたひと匙のムースを、碧は口に含んで顔をしかめる。毎回なされるこのやり取りが、やさしさであるのか、嫌がらせであるのか、付き合って一年を越えても判断に迷っている。
「……そうなの?」
「高い買い物なんだから、できればセール狙いたいし、そうでなくてもなるべくポイントつくところで買いたい」
「貴金属店はスーパーとは違うよ?」
「でもデザインにも好みってあるし」
「……ちなみに、どんなデザインがいいの?」
ムース三口分考えて、椿沙は碧にとっては絶望的な答えを返した。
「そもそもいらない。婚約指輪とか」
「ええー」
「お姉ちゃんが言ってたんだ。『婚約指輪って結婚したらつけないし、普段使いもしづらいし無駄』って。そのお金あったら、北海道に旅行したい。ダイヤより函館の夜景のほうがきれいだよ、きっと」
「……そうなんだ」
椿沙の意識はテレビ番組の方に逸れたようで、「カバって意外と動き速いね」などと言う。
「椿沙ってさ、もしかしてあんまり結婚に興味ない?」
「そんなことないよ」
そう言ってはいるけれど、彼女の興味は容器にへばりついたムースをかき集めることに向いていた。
「そんなことはないけど……あんまりちゃんと考えたことない」
碧はソファーに肘を置いて頬杖をついた。ぬいぐるみのかめるんを抱きしめ、顔だけは真剣にテレビ番組を見つづけるが、頭には何も入って来ない。先週注文を終えた”クリスマスプレゼント”は、今からでもキャンセル可能だろうか。函館のホテルは、まだ空きがあるだろうか。そんなことばかり考えていた。
「こっそり指輪用意するとき、サイズってどうやって計るのかな?」
「寝てるときにでも調べるんじゃないの」
「どうやって?」
「パンの袋しばっておく、金色の針金みたいなやつ巻くとか、いろいろあるでしょ」
「でも、指の根元より関節の方が太かったら、入らないよね?」
「最終的にはサイズ直しする」
「へえ~」
ハッとして椿沙の顔を見ると、にっこりと笑い返される。
「…………………腹立つ」
「だって、あからさまに態度おかしいんだもん」
碧は頭を抱えて、かめるんに突っ伏した。その耳に、テレビの音にまぎれそうな、ちいさな声が届く。
「やっぱり、函館の夜景より、指輪がほしい。碧からもらえるなら」
顔を上げた碧が見たのは、スプーンを口に運ぶ椿沙の姿だった。とっくになくなっているはずのショコラムースを、しつこく食べつづけている。その横顔は耳まで真っ赤に染まっていた。
ふっと息を漏らし、碧はそれを見逃してやる。
「ゴミはゴミ箱に」
空のカップを取り上げると、椿沙は不満そうに口を尖らせた。それをそのまま口に含む。椿沙からするチョコレートやケーキの甘さは、なぜだか全然気にならない。
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