◆第七章◆ 懺悔と殉難

◆第七章◆ 懺悔と殉難(1)

 岩山の隙間を抜けて、乾いた風が涼しげな音を運んでくる。

 熱波に晒された金色の髪をいたわるように撫で、砂塵と共に大地へと消えていく。

 顔をあげ、延々と続く蒼天を仰ぎ、息を漏らす。

 この彼方で繰り広げられている戦いの煙霞えんかもまた塵となり消えていくのだろうか。

 撒かれた呪いが世界を焼き尽くすまで消えぬなら。

 それが人の逃れられぬ宿命というのなら、絶えることなく使命に殉じよう。

 邪を破り、罪を贖い続けよう。聖樹の下に――再び世界が成されるまで。

 …………

「ここにおられましたか。王女プリンセス

 背に掛けられる落ち着いた口調。昔からよく知るその声に振り返る。

 凛とした顔に、作ったみたいに少しだけ吊り上った目。その性格の通り、真直ぐに切りそろえられた濡れ艶の長い黒髪。漆黒のロングコートの軍服で長身を包み、腰には長剣と拳銃を携えている。

「ええ、少し風に当たりたくなって。ごめんなさい、勝手に抜け出して」

「いえ。長い転戦の日々です。息も詰まりましょう。時には散策もよろしいかと」

 さほど反省の色を見せずに言った答えにも、何ら動じることなく彼女は続ける。

「それで――先ほど伝令が届きました。陛下一団、機構獣の制圧を完了。無事ミルドガル帝国の開放に成功したとのことです。以上、ご報告申し上げます」

「それは吉報ね。お父様にも大事なくて安心したわ。だけど――こんなところで毎日待機で結局出番もなし。今や‘穿撃の将グァン‐グ’の名を冠する武人のあなたとしては退屈だったんじゃない?」

 報を受け安堵し――だからついでに冗談めかして言ってみる。

「いえ。片時も離れず王女をお守りすることが王女親衛軍の重要な役割です。かつ、王女がご不便を感じる事がなきように――」

 もう何年もこんな調子だ。姿勢を崩すことなく泰然自若として彼女は答えを返す。

「もう……二人きりの時くらい堅苦しいのはやめて、昔みたいに名前で呼んでよ。ね? ニールお姉ちゃん?」

 言葉を遮って言い、背伸びして顔を覗き込む。

 悪戯っぽく微笑を浮かべたその視線にニールは初めて動揺した素振りを見せ――息をつき、諦めたように肩を落とした。少し目じりが下がる。

「――ずるいわ。‘お姉ちゃん’は反則よ。オリヴィア」

 思わぬ奇襲で謹厳実直とした姿勢を崩されニールが不満を漏らす。

 その様子を見てくすりと笑い、オリヴィアはくるりと回る。白いドレスの裾が楽しそうに踊った。

「ね、ニール。覚えてる? 確か初めて会った時もこんな感じだったんじゃない?」

「そう? あの時はくしゃくしゃの泣き顔で、オリヴィアはそんな笑顔じゃなかったと記憶してるけれど」

 オリヴィアの問いかけにニールは首を捻る。

「もうっ……そういうことじゃなくて、ほら――」


 二人の出会いは遡ること十数年前。

 世界を危機に陥れた異星からの侵略者――通称‘魔女’――に対し世界の国々が結束し立ち向かっていた戦乱の日々の中でのことだった。

 幼いオリヴィアは、戦火を避けるべく身分を隠し、各地の疎開先を転々とする生活を送っていた。唯一の肉親である父と離れ、一人部屋に籠りきった毎日。不自由は無かったが、息が詰まった。

 そんなある日、床板の一部が外れることにオリヴィアは気づく。床に空いた穴に頭を突っ込んでみると、その先には逆さになった外の景色が広がっていた。

 護衛の目を盗みオリヴィアは屋敷を抜けだし、散策に出た。

 澄んだ空に浮かぶ白い雲。眩い光に冴えわたる小鳥の囀り。木々の梢を揺らし、花の香りを届ける優しい風。戦火など忘れさせてくれる自然との触れあいが心地よかった。

 夢中になり、山道を進んでいくと――木陰から低い唸り声が響く。本能的に恐怖を感じ振り返る。がさがさと茂みを揺らし現れたのは、自分と同じ背丈ほどの大きな野犬だった。

 にじり寄る獣に、声も出せぬまま腰からへたり込んでしまう。

 野犬が姿勢を低く構え、牙を剥いて飛び掛かる――!

 ――ごぅんっ!

 骨に響くような堅くて鈍い音。

 …………?

 オリヴィアは恐る恐る、顔を上げる。

 その目に映ったのは、頑丈な樫の木の棒を持ち、自分を守るように立つ黒髪の少女。

 棒で叩かれたせいだろうか。野犬は少し離れた場所で、ふらふらとたたらを踏んでいる。少女がさらに棒を振り回して見せると、野犬は踵を返し茂みへと消えて行った。

 彼女は呆然とするオリヴィアに手を差し出して笑う。涙でくしゃくしゃになった顔のまま、オリヴィアは腕を伸ばし、その手を握った。

 …………

 たびたび屋敷を抜け出し、身の上を隠してオリヴィアはニールと会うようになった。彼女は近隣の村に住んでおり、オリヴィアより二つ年上だった。

 いつしか、世間をあまり知らない自分に色んなことを教えてくれ、頼りになるニールはオリヴィアにとって姉のような存在でもある、大切な友人になっていた。

 そんな生活が半年ほど続いたある日。いつもと同じように待ち合わせの木の下でニールを待つオリヴィアだったが、この日、いつまで待ってもニールは現れなかった。

 傾き始めた太陽を不安げに眺めたとき、黒い煙が立ち上がっているのが見えた。ニールの住む村の方だ。居ても立ってもいられず、オリヴィアは走り出した。

 急いで山道を下り、そこで目の当たりにしたのは、破壊され火の手の上がる村の惨状だった。想像だにしなかった光景に目を開きながらも、視線を動かすと――呆然自失と座り込んだままのニールの姿が見えた。

 そのすぐ近くでは今も爆発が起こり、家屋が炎に飲まれていく。

 オリヴィアは駆け寄り、ニールの腕を掴んだ。そこからはよく覚えていない、とにかく必死になってニールの手を引いて屋敷まで走った事だけは確かだ。

 後にわかった事だが、これは比較的安全とされた疎開地を狙っての侵略者の奇襲だったそうだ。村は消滅し、ただ一人生き延びたニールは故郷を失った。

 …………

 そしてオリヴィアの願いによって、ニールはヴァルハ王家の養女として迎えられる。

 オリヴィアはニールを労り励まし続け、ニールもまたそんなオリヴィアを気遣った。

 年月は流れ――ニールは王家の人間として生きる事ではなく、国を守護する軍人となる道を選んだ。

 そこには彼女なりの強い想いがあったのだろう。

 再び故郷を失わぬように、同じような想いを友にさせぬように。

 それがニールの出した結論。自分の生き様だった。

 そして――現在。

 幾多もの功を上げ、王女親衛軍を率いる将となったニールはこうして機構獣の討伐に各地を転戦する王家に随伴し、オリヴィアの警護に当たっている。


「ああ――確かに。思えばあの頃から警護を抜け出すクセがあったのね、オリヴィアは。当時の護衛の苦労が目に浮かぶわ」

 当時を思い返し、ニールは困ったように言って苦笑した。

「でもそれでニールと会えたのよ? 悪い事ばかりじゃないわ。それにみんなに迷惑を掛けたくてやってるわけじゃない。ちゃんと理由があっての事よ」

「承知しております。では……今日はどんなご事情で? 王女さま」

 敢えてかしこまった口調でいい、ニールがおどけて見せる。

 オリヴィアは笑い――

「よろしい。特別に教えてあげましょう、なぁんてね。ここに来た理由は――これよ」

 自分もおどけて見せながら、一粒の果実を取り出した。そしてしゃがみ込み、乾いた赤土に穴を掘りだす。

「それは……? 何をしているの? オリヴィア」

 不思議そうにニールが問う。

「オリーブの実よ。オリーブは過酷な環境でも強く育つというわ」

「オリーブ――確かオリヴィアの名前の由来だったわね」

「そう。そしてオリーブの樹は平和の象徴でしょ。だからお父様が勝利したらその地にオリーブを植えていこうと思ったの。いつかこの木が大きく成長して、人々に平和をもたらし続けるよう、願いを込めて」

 優しく土をかけ、薄黄色に色づき始めた実を埋め終わる。

 そして王女オリヴィア・D・ヴァルハは紋章を握り、祈りを捧げた。

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