◆第四章◆ 存在意義 -レゾンデートル-(3)
よもや自分がこんな恰好をする日が来るとは、思いもしなかった。
エレナの用意した服に袖を通し、姿見で自分の姿を確認する。
降ろしたままの髪が首を撫で――その下には肩口から胸元に至るまで、これでもかというくらい施されたゆるゆるふわりとしたフリル。短めの袖はスズランの花のように柔らかな曲線で肩を包み込んでいる。無論、必須とばかりに腰回りと裾にもフリルを標準装備。非常に女子力高めな――淡い色味のワンピースドレスだ。
荷物の中には自前の着替えはあるから必要なかったのだが、これまで至れり尽くせりのもてなしをしてくれたエレナの好意を、ここにきて邪険にすることなどディーンには出来なかった。さすがにこの恰好での外出は遠慮したいが、エレナとエマ、せいぜい子供たちと顔を合わせるだけの宿の中でならまあ許容できる。
鏡に映る自分の姿をもう一度見てからディーンは大きく一呼吸。意を決して脱衣所を後にした。
…………
「わぁ! ディーンさん、服使ってくれたんですね! 嫌がられるかもって、ちょっと心配だったんですけど」
ラウンジで食事の用意をしていたエレナがいつになく弾んだ声を上げた。
「ま、まぁな。せっかくエレナが用意してくれたし、宿の中でくらいなら……な。しかし、やっぱアタシには……変じゃないか?」
居心地が悪そうにディーンが表情を強張らせる。
「そんなことないですよ、すっごく似合ってます! 降ろした髪もマッチして素敵だと思いますよ」
そこまで言われると、さすがに悪い気はしない。ディーンはこそばゆい気持ちになって顔を伏せた。その仕草にエレナは微笑みつつ、ディーンを促す。
「さ、お食事の用意できましたから、どうぞ」
我に返り、ディーンはテーブルに進む。パスタから漂うオリーブオイルの香りが鼻をついた。
…………
「ところでエマの様子は?」
フォークを回し、麺を絡め取りながらディーンが言う。
「ええ、特にどこか具合が悪いという事もなかったので、客室で休んでもらってます」
「そうか。そりゃ何よりだ。――迷惑かけたな」
ふうふうと息をかけ、熱々のパスタを口に運ぶ。
美味い。程よく利いた胡椒と、ふんわりと広がるガーリックの風味が実に食欲をそそる。ディーンは手を止めることなく二口目をすくった。
「それで、彼女もあの子たちのように……?」
「ああ。誰もいない隊商に取り残されていた。本人は記憶を無くしてるようだが、状況から見てそうだろう」
「そうですか……。ここ最近そういう事件は聞かなくなっていたのに……」
エレナが顔を曇らせる。
「ひとまず落ち着くまではウチに居てもらいましょう。きっと本人も色々困惑しているでしょうし……」
「そうだな。そうしてもらえると助かる。宿賃はアタシにツケておいてくれ」
ディーンが頷き、グラスの水を一口飲む。
「失礼するぜ。ディーンはいるかい?」
ドアの開く音と共に、入口の方からホークの声が響いた。
「来たか。――こっちだ、ホーク!」
ディーンが声を張ってラウンジから答える。
ほどなく。足音と共に、カチャカチャとブーツに取り付けられた
「ああ、起きてたかディー…………」
自然と目が合う――が、ラウンジに一歩足を踏み入れたところでホークは言葉を失ったまま、固まっている。
――? 自分に向けられたままの視線。
「なんだ? どうかした――ん……っ?」
ディーンもしばしホークを見つめていたが――ゆっくりと視線を下ろす。胸元で華やかにフリルが揺れていた。
「あ……? あっ!? あぁーーーーっと!! 待ったっ、これは……これは違うーーッ!」
穏やかな午後の昼下がり。ミドガ一番の宿に絶叫が木霊した。
…………
「夢だ……これは悪い夢だ。夢だ夢だ夢だゆめ……」
ぶつぶつと念仏のように繰り返しながら、ディーンは涙目でパスタを啜っている。顔が赤いのは香辛料のせいではないだろう。
「馬子にも衣装とは言うが……いや、ほんとに見違えるもんだ。お前さん、自信持っていいと思うぜ?」
ディーンと向い合せに座ったホークが、にやにやと笑みを浮かべながら言う。
「でしょ? わたしもそう思うんですけど。素敵ですよね」
エレナが湯気の立ったカップを置いた。
軽く手で礼をして、ホークはブラックのコーヒーを啜る。
「ああ、ちょっとしたご令嬢って感じだよな。なんかこう……お姫様みたいな」
「それそれ! 気品ある女性って感じですよね。街を歩けばきっとみんな釘付けですよ。――ディーンさん。良かったらそのドレス、差し上げますけど?」
エレナが楽しげにディーンの顔を覗き込む。
「ぐぐっ……エレナまで……。アタシはそーいうキャラじゃないんだって……もう二度とドレスは着ないからなっ」
普段と違う姿を異性に見られたのがよほど恥ずかしかったのか、ディーンは決意表明をしてエレナの申し出を固辞。パスタをたいらげ、水で流し込むと早足で二階へ上がっていく。
「あらまあ、残念」
エレナは舌を出して苦笑した。
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