◆第一章◆ 流浪の女(6)

 エレナから聞いた情報によるとこの街――名はミドガという――は、人口一〇〇〇人にも満たない小さな集落で、住民の大半は主に牧畜で生計を立てているとのことだった。街はオリーブの巨木のある広場を中心として、東西と南北に渡って走る二本のメインストリートによって十字に区切られており、大まかに分けて居住区、商業区、歓楽区、行政区となっているらしい。

 ちなみにディーンたちが最初に街へと足を踏み入れたのは西の門で、広場までは居住区と商業区の間の道を通り抜けていたようだ。謀らずとはいえ、保安官の詰所がある行政区の前を通らずに済んだのは、彼女たちにとって要らぬ面倒事を避けるうえで幸運だったと言えるだろう。

 酒場を目指してディーンは鼻歌交じりに道を進む。北門の辺りにあるという酒場までは、このまままっすぐ――広場へと続く道を戻り、そのまま横断すればいい。

 再び教会の前を通り過ぎ、多くの人が賑わいを見せる広場へと差し掛かる。つい先ほどここを通りかかった時とは違い、行き交う人々から刺すような視線を受けることもない。

 巨木を視界の左に捉えつつ、難なく北の門へと延びる道に入る。

 歓楽区に面するこの通りは、軒を連ねる建物もこれまでと趣が変わって、賭場やダンスホール、玉突きの遊技場などが多く、まだ日の高いこの時間はひっそりと静まり返っていた。

 そんな様子の店を眺めながら、人通りの少ない道をしばし進んでいくと、やがて街の一番端に建つ大きめの建物が現れる。

 年季の入った汚れた外壁に、デカデカとペンキで‘SALOON’と書かれたその店のスイングドアを肩で揺らし、滑り込むようにディーンは中へと入っていった。

 …………

 その古びた外観に反し、酒場の中は隅々までよく掃除されており小奇麗な印象を受けた。

 フロアには整然と丸テーブルが並び、壁際に構えたカウンターの棚にはぎっしりと酒瓶が収められている。その右手からは階段が伸びており、広々としたロフト席へと続いていた。

 採光窓から差し込む光を浴び、バッファローの頭蓋の壁飾りは雄々しい角を黒光りさせており、床には四枚羽根の天井扇の影が緩やかに回る。

 誰も居ない店内をディーンは進み、ロフトとは反対側――北門に面して広がるテラスに近いテーブルの椅子を引きだして座る。

 テラスの向こうには相も変わらず、照りつける陽光の中に乾いた大地が広がっていた。

 景色を眺め、一息ついた時――

「おい、アレン! お客だ! ぼさっとしてんじゃねぇ!」

 階段の上から胴間声が響く。

「は……? はっ……はいッ! すみません、親方!」

 カウンターの裏から、若い男が生えるように姿を見せた。

 どうやら昼下がりの陽気に当てられ、椅子の上でうとうとしていたらしい。

 アレンと呼ばれた男は慌てて立ち上がり、ディーンの元へと走り寄る。

「いっ……いらっしゃいませ! あっ、ごっ、ご注文は……?」

 足を組んでテーブルの上にのせ、椅子の前脚を浮かせながら、ふんぞり返るように座る若い女。刺繍の施されたロングブーツへと延びるしなやかな脚に、細く魅惑的な腰つき、トップスの隙間から覗く柔らかな谷間。

 到底褒められた態度ではないが……露出の高い出で立ちに、アレンは思わず唾を飲む。

「そうだな……この店で一番のヤツを頼む。テッペンのをな」

「あ……え、ええとお酒、でしょうか……?」

 おどおどとアレンが聞き返す。

「……あん? ここはこの街一番の酒場だろ? 違うか?」

「あっ、いえ……酒場です。街に一軒だけの……ですが」

「だったら、出すものは何か――決まってるよな?」

「一番……一番高いお酒と言われましても……ちょっと、確認をしないことには……」

「アレン、そのお客は一番キツい酒をくれって言ってんだよ。そんなこともわからねえのか。ほら、さっさとお出ししろ!」

 そんなやり取りに痺れを切らせたのか、いつの間にかカウンターへと降りてきていたオーナーとおぼしき中年の男が酒を注いだグラスを差し出した。アレンは慌ててカウンターへと戻ると、うっすらと琥珀に染まったグラスをディーンの前に置く。

「おっ、お待たせしました。どうぞ!」

 ディーンはグラスを掴むと、中身を一気に喉に流し込む。

 焼けるような刺激が喉を通り、胸に広がると同時、辛さの奥底にわずかな甘さが交じり合った強烈な香りが鼻腔を抜ける。

「っ……かぁ――! たまらねえ。もう一杯――ああ、それじゃ互いに面倒だな。同じのをボトルごと頼むぜ」

 満足げに深い息をつきながら、ディーンは呆然と立ち尽くしたままのアレンに告げた。

「若いのに良い飲みっぷりじゃねえか。俺はこの店のオーナーをやっているホセ。この頼りねえのはアレンだ。あんた、見ない顔だな――旅人かい?」

 禿頭に髯面、がっしりした体躯のその男は言いながら、酒瓶を置いた。ディーンはボトルを掴んで口に運びつつ、答える。

「当ても無いただの流れ者さ。そんな洒落たもんじゃねぇよ。なんだい――馴染みのない客は問題か?」

「いいや――ウチは寛容がモットーだ。どんな人間だろうと拒みはしねえ。しっかりとお代を頂戴出来りゃ、何も問題はねえ」

「あん? 金? 金か――そうだな……」

 そう言ってディーンは皮袋を取り出してひっくり返す。数枚の硬貨がまばらな音を立てて転がった。

「……おいおい、まさかそれで全部ってんじゃないだろうな?」

 ホセがぴくり、と眉を動かす。

「ん? 今んとこ……持ち合わせはこれだけみたいだな。けど、心配すんな。金ならすぐに届く――ああ、もう一本頼むぜ」

 ディーンはとうに空になった酒瓶を振りながらそう返す。

「……本当だろうな? 女だからって見逃してもらえるとか考えてんだったら――」

 ホセが訝しむように顔をしかめると――

 カタカタと音を立て、カウンターに並ぶ酒瓶が揺れ始める。地震――? いや……これは――

 アレンが視線を巡らせると――

 テラスの向こう。広がる大地の彼方に湧き上がる砂煙が、徐々にその激しさを増していく。

 やがて――次第に接近してくるその砂飛沫の中に巨大な影が浮かび上がる。

「ほら――な? たった今届いたぜ。酒代の種が、な」

 ディーンは立ち上がりテラスへと向かうと、軽やかに柵を飛び越えた。

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