第9話 リベンジ

 「若い衆を呼びましょうか?」ベイクが船内で座って、夕飯後の紅茶を飲んでいると船員狐達に囲まれた。みんな息巻いていて獣の匂いをぷんぷんさせている。


 「いや、1人で行きたい。また侵入する。囚人達が騒ぎ出して混乱させたくないからな。囚人達はそのまま解放するのではなくて、正当な取り調べと裁判が為されなければならない。中には無理矢理投獄された者もいるだろうが、その線引きがされなければ危険だ」狐がポットから紅茶を足してくれた。


 「これはセアトピー種か?」ベイクが紅茶を指差して言った。


 「いえ、ご指示通りにアルカーラ種の改良をお持ちしました」狐達の耳が垂れた。


 「これでは売り物にならんと伝えておけ」ベイクも社長業を忘れない。


 「はい」狐達は皆下を向いた。


 「とにかく、今夜はこの海の上で待機して、明朝また1人で潜入する」


「了解致しました」そう言うと、狐達は散り散りにベイクの側を離れた。


 残った船長狐が側の引き出しを開けて、そこから布に巻かれた腕くらいの細長い物を取り出してきた。


 「社長、これはヘカーテ様から預かってきた物です。渡せば分かるからと」


 ベイクが巻かれた布を解くと、そこには石にも見え、金属にも見える刃の短くて幅の広い刀剣が姿を現した。


 「これが妖精石の剣...」ベイクは魅入られるように美しい灰色のベッコウのような刃を見つめた。柄も刃と同じ物質で出来ているようだが、彼の持病である金属アレルギーは起こらない。彼は王宮に勤めていた頃、金属アレルギーを増幅させる呪いをかけられてしまった。無理に鉄や鋼の武器を使おうものなら、心臓発作を起こして死にかけてしまう。


 「言伝なのですが、現時点ではその刀身が限界だとの事です」


「十分だ」ベイクは片手で軽く振ってみた。鉄よりは少し重いが、微々たるものだ。


 「それと、ヘカーテ様がなぜかこのくたびれたナタを持って行くようにと言われまして」狐は引き出しからナタも出してテーブルに置いた。


 「それはいい。大事にしまっておいてくれ。友の形見なんだ」


「はい」船長はナタを引き出しに戻した。


 

 翌日の早朝、海に沿って霧が垂れ込める時間に、ベイクは狐達に船を走らせて、自分が飛び込んだと思われる入江を探した。そして果たして断崖にぽっかり口を開けた忌まわしい入江を発見した。岩壁の上を見上げても霧のためかジェミナの建物部分は見えない。


 船は10本のオールの漕ぎ手を動力としていたので、非常に静かだった。いなり総社の船は静かに近づいて行く。


 甲板で船長がベイクに言った。「これが近付ける限界かと思われます」


 「船長。もう社長は飛び込んでますぜ」


「ありゃ」



ベイクは身軽な布の服に裸足という出立で岩場まで泳ぎ切ると、高い岩を力いっぱいよじ登り、腰に刺していた妖精石の剣を手に持った。


 するとまた同じように岩場から、餌が寄ってきたのかとあの不気味に黒光りする大クロウミナリが集まり始めた。


 前ほどは波が打ち付けてこない。人の胸程もあるたくさんの足のついた大クロウミナリが8匹ほど姿を現した頃にはベイクは上陸した岩場にはいなかった。


 波に浸食された地面を軽やかに跳ねると、1番近い大クロウミナリに妖精の剣を突き立てた。


 黒い身体は苦痛に耐えきれず身を守る昆虫のように丸まり、たくさんの足を硬らせた。感触はあまりなく軟体で、鉄格子を擦り抜けたりできるほどに体が伸縮するらしい。剣を引き抜くと傷口から透明の体液をほど走らせた。そして見る見る体が小さくなる。どうやら身体の大多数を水分で構成しているらしかった。


 ベイクは何も言わずに岩場を飛び跳ねて歩き、大クロウミナリを斬り付けたり、刺し殺した。


 岩の間には人骨や海鳥の骨が散乱していたため、ベイクに情けをかける気にはならなかった。姿が見える限りの化け物を退治すると、その体液が付いた剣を携えたまま、天然の牢獄に繋がる通路に向かった。


 土壁の坂の通路を駆け上がると、やはり扉は向こうから施錠してある。ベイクはあの化け物の餌の時間まで待たなければならないのかと思いあぐねていると、えてして、向こうから鍵を回す音が聞こえた。


 ベイクは扉を開けてきた看守を瞬時に気絶させると、忌まわしい通路に舞い戻った感慨にふけりながら、薄暗い監獄を覗いて回った。


 ジェミナはやはり静かで、ベイクが鉄格子の前に立っても見向きもしない者も多く、人がいるのに関心が無さそうだった。


 今回は出口の確保は後回しにする事にした。マルデンを探し出すのが先決であるように感じた。と、言うより自分にとってそちらへの意識の方が強まっている。


 ベイクは顔が見えなくても、体つきを見て回り、女性を探して回った。一体どれ程の牢獄があるのか。裸足で冷たい石の上を歩けど歩けど見つからない。


 きちんと端から回っていない、というか端がどこだか分からないので、何回かもうすでに見た列を回ってしまっている。


 看守に鉢合わせする事は無かった。


 女性がいた。


 ベイクは通路の床に置いてある蝋燭を手に取り、鉄格子に掲げた。紛れもなくマルデンだった。ふくよかに太っていて、昔の面影はあるがほうれい線が深くなっていて、歳をとっていた。しかしあの瞳と少し出た前歯は確実にマルデンだった。


 彼女もまた他の囚人と同じ服を着ていたが、鉄格子越しに蝋燭の火で照らしてくる男を見とれ無や否や、怯えた様子で隣の男性にしがみつく。彼は細かく巻いた赤毛でやはり髭を生やしていて、老けてはいるが整っていて知性的な感じ。彼も少し怯えてはいるようだが、どうやら寄り添う2人は知らない者同士ではないらしい。


 ベイクは何かを話しかけようとした。しかし何も話しかけられなかったのは、彼女の不審に満ちた目つきのせいだけではなかった。


 何故だろう。彼女が幸せならばそれでいいと思ったのだろうか。何故蝋燭を床に置いて立ち去ったか分からない。彼女からすれば自分が名乗らなければ分からないだろう。あちらから気付いて欲しかったのか。彼女が自分を欲し、牢獄から連れ出されるのを望んでいると思ったのか。


 自分が今さら名乗りでたところで何だというのだろうか。こんな状況で信じて貰えるだろうか。


 いや、きっとそうだ。彼女が自分を覚えていなかった時が怖いのだ。


 また同じ事をしてる。あの頃のまんまだ。いつまで経っても檻の中にいて、抜け出せない。


 

 


 

 


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