第7話 夢の話②

 9歳の俺がいる。俺の心が空っぽになっている。実際にそうなったし、今でも覚えている。俺はいけない事をしているかのように父さんの部屋の前で息を殺して、父さんとマルデンの声を聞いていた。


 「私はな、実の父親のように嬉しいよ」父さんの声だ。柄になく饒舌だった。


 「そう言って頂けると嬉しいです。この家は名残惜しいのですが」


「かまわんかまわん。何とかするさ。君はそんな事を気にせずに自分の幸せだけを考えればいいんだ」


「ギュスタヴに何と言えばいいのか...」


「でもずっと君もここにいるわけにはいかないだろう。いつか別れがきて、それを一生繰り返すのが人間さ。私なんざ何人の戦友と死別してきたかわからん」


「はい」


「お相手はどんな人かね」


「はい。広い土地を持つ方で、人を雇って農業をなさっているそうで。優しい方なのに中々伴侶が見つからないと探していたそうです」


 「いいじゃないか。君は器量がいいから旦那さんの手伝いを立派にこなすと思うよ」


 マルデンが出て行くのを悟った俺は、それから彼女が出て行くまで口を聞かなかった。何かを話しかけられても無視して、ご飯の時間に呼ばれても返事もせず、後でこっそり食べた。


 そう、拗ねていた。


 今思えば後悔以外に何ものでもない。彼女には悪い事をしたし、今さらどうしようもない。


 でもあの時の俺には耐えられなかっただろう。笑顔で結婚を祝福して見送る事などできなかった。


 マルデンを乗せた馬車が立ち去るのを2階の窓から見て、がらんどうになった屋敷には、自分がそこにいるべき理由が猫の世話以外何もない事を何も言わずに語っていた。


 ただマルデンが世話してくれた猫を抱きしめて、心臓がバクバクするのを堪えていた。これからどうしようと途方に暮れていた。


 その猫が寿命で死ぬと、俺は父さんに" アカデミー" に入りたいと言った。父さんもいつ死ぬか分からない仕事をしていたし、屋敷で1人でいる俺を不便に思ったのだろう。それに下級貴族であり、兵士である父さんも俺がその道に進む事を必然と考えていたかも知れない。


 父さんはお金を準備してくれて、寮で暮らしながら武術を学ぶアカデミーに入れてくれた。


 15歳からは来る日も来る日も身体が痛かった事しか覚えていない。アカデミー初日の事などさっぱり忘れた。朝早くから体力作りをしたら、後は打ち合いの稽古。術の勉強をして何度も実地練習。


 裕福な家庭から来たみんな真面目に習おうとはせず、俺だけがズルをしていなかったが、そんな事はどうでもよかった。何も考えずにひたすら武芸の訓練をした。その時間だけが漠然とした寂しさみたいなものを忘れさせてくれた。


 18の時、父さんが戦死したと知らせが入った。マルデンとの別れよりは何も思わなかったはずだが、どういう訳か涙が溢れた。


 俺は屋敷と荘園を相続したが、アカデミーのための費用で全てを売り払った。あの家に帰りたくなかったのかも知れない。当時の俺は帰る家さえいらなかった。


 しかしそれでもアカデミーの費用は足らず、21歳の時にはそこを出て、もう消滅してしまった赤札傭兵団という部隊に雇われた。なぜ今はないかというと、その傭兵団は優れた武勲を挙げていたので正式な国軍として迎え入れられたからだ。つまりひょんな事から国の正規軍の仲間入りをした。


 王宮召抱えの軍隊はたくさんの部隊が縦割りで構成されていたが、俺が神聖術を使える事が知られて、俺は神聖騎士団に引き抜かれた。


 そして24歳で団長になり、27歳には王宮を出入りしていた魔導士の呪いで剣を握れなくされた。俺は王宮を出て、気の向くままに旅をし始めた。


 

 なんでこんな事を思い出すんだろう。


 俺は死ぬのか。


 いや違う。


 思い出すのは監獄ジェミナに来た理由だ。関係があるから思い出したのだ。



 目が覚めた。何が何だか分からなかった。俺は海に落ちた。そうか、でもそこからよく覚えていない。


 誰か来た。俺は体を起こした。


 


 


 


 

 



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