第5話 人食いウミウシ

 ベイクは監獄の扉を開けて、左右を見渡した。少しカーブした通路を監獄の数だけの蝋燭が並んでいる。


 流石に静かな収容所内も、先ほどの脱獄騒ぎでにわかに囁き声がしていた。


 ベイクは汚い緑の囚人服に裸足という格好で、おもむろに自分が来た方角、あの4人の男が走り去った方へ歩き出した。


 すると直ぐ隣の監獄の前を通りかかった時、物静かに声をかけられた。


 「やめとけ」


ベイクが見ると、髭が胸の辺りまである中年の男が、鉄格子の側であぐらを組んで座っている。眉毛が真一文字に繋がっており、こちらを睨め付けて戒めようとしているみたいだった。その背後には怯えた表情の髪と髭が伸びきった男。彼はこの狭い牢獄で精神衰弱に陥っているらしかった。


 「あんた、あいつらの仲間か?」眉の繋がった男が言った。


 「いや、違う」ベイクは答えた。


 「あいつらは作業の時も変な様子だった。計画を練っていたんだな。だが、無駄だからやめておけ」


 「何でだ?」ベイクは彼が何を知っているかが訊きたかった。


 「どんな手練れが、術を使える者が脱獄しようとしても、今まで無駄だったんだよ」男は下を向き、ふーっと息を吐いた。


 「なぜだ?」


 「みんな死体になって捨てられるからだ。それこそが奴らの狙いなんだよ」


「奴ら?」


「このジェミナの奴らさ。俺たちがなぜ生きているか不思議なくらいさ」男は下を向いたまま黙り込んでしまった。


 ベイクは黙り込んだ男を尻目に、そこを離れて歩き出した。彼の様子だとあの頼りない看守達とは別の何かがあって、彼はそれに怯えているらしい。彼だけではないのだろうか。彼は具体的に術を使える者と言ったが、かつてそういう者がいたのか。


 ベイクは来た時に通った十字路に着くと、出口の方には向かわずに、違う方へ曲がる。同じような景色が続き、帰ってこられるだろうかといぶかしんだ。延々と続く蝋燭と向かいには陰気な牢屋。


 中にいる人間はというと、皆髭と髪の毛が生え放題で誰でも同じに見える。自分と同じ泥と垢だらけの囚人服を着ていて、真っ黒な顔をしてうつむいていたり、寝そべっていたり。


 それにしても監獄の列が終わらなかった。20は通り過ぎただろうか。やっと行き止まりだと思うと右手にまた曲がり角があり、監獄が続いた。


 こちらに気付くものは呆れたような顔で睨み付けてくる者や、物珍しい顔で驚く者もいる。ベイクはなるべく足早に駆け始めた。


 次の曲がり角から進むとまた最初の十字路に戻ったので、出口の方へ進み、次の十字路を出口とは逆へ進む。そこからまた十字路があったが、出口とは遠ざかるように進んだ。


 辺りは静かで、先に走り抜けた4人の痕跡は見当たらなかった。騒ぎになってもいない。あの速さならもう出口まで辿り着いていてもおかしくない頃だろう。


 しばらく行き止まりになっては引き返したりして、ベイクは何かを探していた。


 ベイクはついに監獄が途切れて、通路の突き当たりに、監獄とは違うドアがあるのを見つけた。それは鉄製のドアだが前面が頑丈な鉄板でできており、こちらから引っ掛けて施錠できる鍵が厳重にいくつも取り付けられていた。ベイクはそれらを外すと重い扉を開け放つ。


 そこはなだらかな傾斜の通路が続いていた。大人2人が進めるほどの幅で、左曲がりになって下がっていっており、幾多も一輪車のものと思しき轍の跡と、あとあの日に見た何かがひきづったような光に反射する跡のようなものが通路に続いていた。


 ここだろうか、とベイクは思った。


 坂を降って行く。かなり長い。途中から気のせいか波の音と磯の匂いがし始めたように感じた。


 しばらくしてベイクは坂道が途切れたのを見て走った。


 たどり着いたのは波に岩肌を削られてできた入江だった。まるで嘘のように天然の大窓から水平線が現れ、入江自体は広い家ほどの広さがあり、頭上から壁にかけてドーム型に削られた岩が覆い被さっている。まるで海賊の要塞じみたそこには海鳥が訪れていたが、ベイクを見て海へ羽ばたいていった。


 でこぼこしていて見晴らしが悪かったが、目につくのは海鳥や人の骨だった。辺り一面に散乱している。


 ベイクはここが囚人達の墓場なのだと知った。しかし、腐敗したものは見当たらず、綺麗な白骨ばかりだった。


 波が打ち付けてくる、不安定な岩場を歩くと、横目に何か岩が動いたような気がした。ベイクが振り向くと、岩場の合間、海の波の中から黒いものが出てくるのが見えた。それが幾つも見え始め、どんどん大きく姿を現し始める。


 ふと、ベイクは波打ち際の岩に何かがあるのを見つけた。目を凝らすと、手のひらほどの囚人服の切れ端が、血で岩にこびりついており、その傍らには置き忘れられたのか、麻布とシャベルが置かれている。その両方が粘膜質の液体と血で汚れていた。


 ベイクがそちらに気を取られている間に、黒い生物がすっかり姿を現していた。


 人ほどもある平べったい光沢のあるなまこのような生き物で、体は黒く滑らかだが背と腹の際にゆっくり動く柔らかそうな脚がいくつもついており、それで岩をかいてこちらに寄ってきている。背には何の機能を持つか分からない穴が一つ開いていた。


 夜中に囚人を襲っていたのはこいつらか、とベイクは思った。しかし、それと同時にあの夜を思い返す。囚人の悲鳴。この化け物達の攻撃方法は何だろうか。


 黒い生物の1匹が起き上がる。腹を見せたように感じたが、厳密には腹ではなかった。縦長の胴体いっぱいに捕食のためらしき口腔があり、それを広げると幾層にもなった歯茎が見える。して、その奥からあの粘膜質の液体を泉のように吐き出し始めた。


 5匹いただろうか。その全てが立ち上がり、口を開き始めた。


 ベイクはあの看守が袋に持っていたのが囚人の成れの果てだと知る。するとあの粘膜は強い酸性なのかもしれない。体を溶かすほどの。


 ベイクを捕食対象として認めた化け物達は動きが早かった。ベイクが思ったよりもずっと。


 彼らが飛びつくが早いか、ベイクは肩を吐き出された酸で焼きながら、海へと飛び込んだ。



 それからしばらくして、看守達2人が一輪車を往復させて、脱獄しようとした4人の死体を捨てに来た。死体は血液が完全に凝固するまで凍っていた。


 看守達は必ず閉めるように言われている入り江の扉が開いていた事、囚人が1人減っていた事は、施設長に報告しない事にした。恐らくバレないし、施設長に報告すれば自分達が奴らの餌にされてしまうからだ。


 


 

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