第4章 完成してしまったねじれトライアングル×2⑤

                  ♣

「それじゃあ、失礼しましたー」

 軽く頭を下げて職員室を後にする。

 購買でばったり出くわした眼鏡無精髭の中年オヤジこと、担任のヤマ先に呼び止められた俺は、みんなと別れて一人ここにやって来ていた。

 いつになく凄い剣幕で連れてかれたもんだから、てっきり俺の学校生活や今後の進路を左右する何かがあったのかと不安を脳裏によぎらせていれば、待っていたのは「頼む、次の球技大会は絶対に優勝してくれ!」と両手を合わせての熱烈な懇願。どうも話を聞くに、二年担任ので焼き肉のかかった勝負になってるらしい。ある意味ろくでもないことだった。つーか、教師が生徒を賭け事に使うなよったく!

 とまぁそんな理由で、クラスの取り纏め役をかわれて呼ばれた俺は、くそくだらないお願いから解放されて、現在に至るというわけだ。

「はぁ……」

 職員室の扉を閉めた途端、思わず嘆息がもれた。なんつーか、あれだ。日本ってつくづく平和な国だよな。

 と、公務員が何かにつけて社会から目の敵にされる理由が少しわかった気がして肩をすくめていると、

「ん?」

 俺が退出した扉よりも奥になる扉の前で、何やら女生徒と年配の女性教諭がやり取りしている姿が目に入った。

「本当に真山さん一人で大丈夫なの?」

「はい。このくらいで先生の手を煩わせるわけにはいけませから」

 そう清々しい顔で心配そうな先生の言葉を一瞬で撥ね除けたのは、この学校指折りの有名人、生徒会長の真山先輩だった。

 先輩の横には、彼女の上半身を安易に覆う程の大きな段ボールがおいてあって、聞こえて来た情報から察するに、どうにも真山先輩が今からこれをどこかへ運ぶように窺える。

「そ、そうか……」

 先輩の自信満々な表情を前にしても、尚懸念がぬぐえない様子の先生。あの箱の中身、見た目相応に結構重たい物みたいだな。

 ま、知らない仲でもないし、ここは手伝うか。

 俺は二人の下に歩みよって声をかけた。

「なんかだいぶ大きい荷物ですけど、それ、どこかに運ぶんですか?」

「は、はは播磨君!?」

 真山先輩がぎょっと目を見開いて驚き、二三歩後退した。そりゃあ俺が学校で先輩に声をかけるのは初めてですし、意外なのはわかりますけど、それでもいささかリアクションがオーバーすぎやしませんか? ほら、隣の先生だって俺が声をかけたことよりも、先輩の上げた声に驚いてるみたいだし。

「あ、ああ。そうだ。実はこの度、生徒会室のパソコンを買い換える許可がもらえてな。それが届いたと聞いて、こうして職員室に取りに来たというわけだ」

「へぇー。じゃあこの箱の中身はパソコンなんですか」

「そうだ。デスクトップのパソコンが入ってる」

 なるほど。ってことはそこそこの重量があるわけか。今俺達がいる職員室は一階で、生徒会室があるのは三階だ。重たい荷物を持って三階まで上るのは大変だろうし、何よりこんだけ幅が大きいと視界だって不自由することだろう。これを華奢な真山先輩が運ぼうというのだ、先生が心配するのも十分にわかる。

「よければそれ、俺が生徒会室まで運びましょうか」

「ええっ!?」

 再び真山先輩が驚愕する。逆に先生といえば、ナイス名案とばかりに顔を綻ばせていた。

「い、いいのかい?」

「はい。丁度職員室での用事が終わって、暇してたとこなんで」

「……じゃあ、お願いしようかな」

 もじもじと照れくさそうに真山先輩がつぶやく。

「おっけっす」

 軽快な笑みを浮かべて頷くと、俺は段ボールを持ち上げた。

 思っていた以上に重いなこれ。そりゃああの先生も、あんな顔になるわ。

 いいタイミングで出くわしてよかったと思いつつ、俺と真山先輩は生徒会室に向かって歩き出した。

「…………」

「…………」

 やばい、何か気まずいぞ。

 その場の流れで手伝わせることになった罪悪感からか、申し訳なさそうな顔をした真山先輩は妙にそわそわしていて、さっきから視線が俺の方を行ったり来たりと落ち着きがない。別に俺はこれっぽっちも気にしていないんだが、こうも意識されると変にいたたまれなさを覚えてしまう。

 一応、スマバディにユートピアランドと共通の話題はあることにはあるんだが――前者は生徒会長の体面をめっちゃ気にしていた先輩にこんな生徒の耳がどこにあるかわからない状況で話していいのかわからないし、後者に関しては正直俺自身があまり触れたくない。

 あの時の、親友とは違って何もできなかった自分の、惨めで滑稽な姿を思い出すことになるから……。

 結局これといった会話もないまま、生徒会室に辿り着いてしまった。

「えっとこれ、どこに置けばいいですかね?」

「あ、ああ。そうだな……この辺にでも適当に置いてもらえるか」

「わかりました。よいしょっと」

 真山先輩が指さしたエリアに、荷物を下ろす。ふぅ~一仕事したな。

「それじゃ、俺はこれで」

 役目は終えたと、微笑を浮かべて踵を返す。

 が、即座に真山先輩に大声で呼び止められた。

「待ってくれ!」

 反射的に振り返る、するとそこには何故だか焦りと困惑が入り混じった顔の真山先輩がいて、

「あの……その……と、とりあえず。お礼にお茶でも飲んでいかないか!」

 まるで全力疾走した後のように、肩で息をし、頬を赤く染める真山先輩。

「は、はい……」

 そんな彼女の勢いに飲み込まれる形で、ふと俺は頷いていた。つーかさっきから先輩ずっと息苦しそうというか、何でこんな叫んでばっかなんだ?

 真山先輩に促されるまま、応接スペースのソファに座り、提供されたお茶を飲もうとする。

 ただその体面には……。

「じぃっ…………」

 まるで、修行中の板前が板長からの総評を待ち構えてでもいるような、そんな緊縛した表情の先輩が俺のことをまじまじと見つめてきていて――

 いや飲みづらいわ!

 流石に生徒会長相手にツッコミをいれるわけにはいかず、ひっそりと胸中で叫ぶ。

 何とかこの圧迫した空気を和らげる話題を……あれ、一番無難なのあるじゃんか。

「あの……」

「ど、どうした?」

「いやえっと、生徒会ってやっぱり忙しいんですかねと?」

 灯台もと暗しというやつか、何で今までこの話題が浮かばなかったんだろ。

「ん? そう、だな……。最近は一段落してそんなものだったが、もう少しすれば夏休みに向け、各部活の合宿予算案に目を通したり、一学期最後の委員会会議に向けてあれこれ準備したりと、ちょっといや、だいぶ忙しくなるな」

「へぇーそうなんですね」

 ほ。生徒会の話題になった途端、調子が元に戻ったぞ。よしよしグッドコミュニケーション。

「あ、もし困ったこととか、人手が足りないってことがあったら、気軽に言ってくださいよ。俺帰宅部なんでいつでも力になりますよ」

 愛想笑いと共に、社交辞令的な言葉を並べる。まー健吾が、想いを寄せている男が既に助っ人ポジションにいる以上、俺にお声がかかることはないだろう。

 そう、楽観的に何も考えずにそう言った俺だったのだが、

「なに、本当か!」

 ソファをがたりと震わせ、真山先輩が予想外のくいつきを見せたではないか。

「へ……は、はい」

 もしかしてこれ、バッドコミュニケーション?

「あ、ありがとう。その……是非お願いしたいのだが……い、いいかな?」

「も、もちろん。俺でよければ、全然構いませんが」

 マジかぁ……。でも自分から言い出した手前もあって、今更無理ですと言える流れでもないしな。おし、俺も男だ、覚悟を決めるか。

「それじゃ、これ」

 おもむろにスマホを取り出すと、ラインのフレンド登録画面を開いて先輩に見せた。

「ん、どういうことだこれは?」

 差し出されたスマホ前に、きょとんと小首を傾げる真山先輩。

「ですから、俺の連絡先ですよ。あ、手伝って欲しい時は、なるべく早めに連絡してもらえると助かります。放課後急に――でも、全然大丈夫ですけど、たまに友達と遊ぶ約束してる日もあるので」

「お、おお……。ん、連絡先? ――播磨君の連絡先ぃ!?」

「な、なんでそこにめちゃくちゃ驚いてるんですか?」

「いいのか、これは。わたしがもらって本当にいいんだな」

「というか、もらうだけじゃなくて、ちゃんと俺にも連絡先教えてくださいよ」

「そ、そうだったな。すまない」

 何故だかえらく興奮気味な真山先輩と、俺はラインを交換した。

「あの、播磨君?」

「はい?」

「その……今日からとか……ど、どうかな?」

 バイトの面接かよ。いやバイトの面接でも早くて明日からだろ。

「ちょうど忙しくて、雑務をしてくれる人がいると嬉しいなぁと思ってたところなんだ」

 あれ? さっきは、もうしばらくは暇って言ってませんでしたか?

「別に構いませんよ」

 ま、どうせ暇だったから俺の方は別に構わないんだけど。



 真山先輩と別れて教室に戻っていると、丁度教室を視界に捉えた辺りで昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。

 周囲がばたばたと慌ただしく自分達の教室に戻っていくのを余所に、俺は特に焦ることなく、ゆっくり自分のペースで教室に入る。

 ん?

 違和感を覚えたのは、教室の敷居をまたいだ直後だった。

 単なる一クラスメイトが自分のクラスに帰ってきただけにしては、異様な注目を浴びていることに気付いたからだ。

 けど、自分の席へと向かう合間に、何故か不機嫌な椿と、これまたこの世の終わりみたいな顔をした健吾が目に入ったことで、何となく察しがついた。

 どうにも、またこの二人の間で一騒動があったらしい。

 肩をすくめつつ、席についた俺はひとまず五限目の準備かかる。

 その途中、ポケットにあるスマホが振動したのに気付いた俺は、作業を中断してスマホを手に取る。

 それは凛々乃からのラインだった。

『今日の放課後、またいつものサイゼにご一緒できませんか? 至急ご相談したいことがあります』

 これは……どっちだ?

 また健吾に対する恋愛相談なのか、それともこの昼休みにあったらしい一騒動に関してだろうか?

 いずれにせよ、みんなと一緒に教室に戻った凛々乃なら何が起きたか知ってることだろう。

 真山先輩、非情に申し訳ないですけど、ちょっと緊急事態みたいです。

 そう内心で謝りながら俺は先約を思い出した体で真山先輩へとお断りのラインを送り、凛々乃には「わかった」と返事した。

 とりあえず、凛々乃から事情聴取するところからスタートするか。



 ――そうして放課後、俺はサイゼで凛々乃から話を聞くことになったわけなのだが。

「――はぁあああ!? 健吾が好き過ぎるあまり、まともに顔が見られなくなっただぁ!?」

「はい……」

 なんじゃそりゃ……

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