第1章 僕と俺の日常④

        ♠

 昼休みにあんな意味深イベントがあったものだから、そりゃあもう午後からの僕の機嫌は絶好調だった。

 クレハのハンカチといい、最近の僕はちょっと幸運過ぎる気がする。一応事故や災害には過敏に用心しておこうかなぁ。なんて!

 とまぁ、僕の機嫌のスットプ高は、放課後になっても収まることを知らなかった。

 が、そのいつにないテンションの高さは、どうにも同席していた人物にちょっとした困惑を与えてしまっていたようで、

「……本当に貴方ってば今日はずっとご機嫌ね。あんなことがあったから少しは沈んだと思っていたら、いつのまにか元通りになっていて、まるでクッション人間ね……ほんと、死ねばいいのに」

 放課後のエンタメ同好会の部室。部室の机に対面で座っていた進藤しんどうさんが、今にも鼻歌を歌い出しそうな様子の僕を見て、読んでいた本を横に置き、呆れた顔でため息を吐く。

「ちょ、意見が度スレートすぎませんか!」

「あら、わからないの? 思わず本音をポロリしてしまうほどに不快感があるというか、今の貴方はいつに増して気持ち悪いというわけよ。鬱陶しい」

「増して――ってことはそれ、普段から気持ち悪いって思ってるってことだよね」

「ええ」

「そんな力強く頷かないでよ」

 しゃんと胸を張っての肯定に、僕は泣きそうになる。そりゃ、普段からオープンオタクとして周囲からどのように思われているかはある程度覚悟しているつもりだけど、こう面と向かって言われるのはやっぱりつらい。

冴羽さえば君、貴方と違って今の私は逆に虫の居所が悪いの。だから貴方が幸せそうにしているのを見ていると普通にむかつくのよね」

「なんだよそれ。てか、どうしてそんなに不機嫌なの?」

「……はぁ。これを見てもらえればすぐわかると思うわ」

 嘆息して渡してきたのは、さっきまで読んでいた本だった。

 それはインテリ系クールビューティな彼女に似合う、高尚なテーマの小説――などではなく、今日発売のコミック月刊誌。

 僕は丁度開かれたページから始まる連載漫画に目を通した。

 それは端的に言って、ありふれた高校生男女の日常を描いただけのラブコメだった。

 といっても平凡でつまんないと言いたいわけじゃない。個性的でかわいいキャラクターに、思わずにやにやしてしまうラブコメらしいコミカルな展開でアニメ化までした人気作。僕もアニメは全部見ている。面白かったけど、そういえば原作までは読んでなかったな。

 この手の日常のやり取りにスポットライトを当てたラブコメって、話数を重ねても、あまり主要キャラの恋愛が進展していないことが多いから、いきなり最新話を読んでも大丈夫なはず。まぁ、流石にアニメにはいない新キャラが出てたら困惑するけど。

 そう考えながら、とりあえず漫画を読んでみる。

 ――そして、

「…………嘘でしょ」

 読み終えた僕は最後のページを開いたまま絶句していた。

「この作品って、友達以上恋人未満、けど傍目からすればどう見ても夫婦っていう幼なじみ二人の『お前らさっさと結婚しろ』的なやり取りを見てにやにやする作品だったよね。なのに、なんでこの主人公、別の女に告白されてそれをさらりとオッケーしちゃってるの? しかもこの子、アニメには登場してないし、明らかに途中参戦の新キャラだよね」

 衝撃的な展開だ。今回の話は、交際の報告をラインで受けた幼なじみのヒロインが絶句してるところで終了。その瞳からは輝きが完全に消失していた。僕を含め、きっと読者の殆どが彼女と同じような顔になったことだろう。今頃どっかのまとめサイトでは、早速この話題がとりあげられて物議を醸していそうだ。

「これは進藤さんが不機嫌なのもわかるよ。ちょっとこの展開は、あんまりにもひどすぎる」

 次号を手に取らせるためのヒキ、商業的な観点からすれば賞賛されるのかもしれないけど、にしてもこれまで応援してくれていたファンを裏切った感はいなめない。きっと進藤さんもその一人。

「ええ、ほんとありえないわ。なんで――わたしのコノミが、男とくっついてるのよ」

「えぇえええ、そっちぃいい!?」

 信じられないと目をくわっとさせた進藤さんの発現が予想外すぎて、僕は思わず叫んでしまう。あの、僕からすれば貴女のその反応もありえないんですけど。

「コノミは私の彼女だったのに、前話まではまったくそんな素振りなかったはずなのに、それがこんな浮気にあうなんて……人間不信になりそうだわ」

 本気でショックを受けている進藤さん。ちなみにコノミとはその新キャラの名だ。

「もうこんな裏切りビッチの顔は二度と見たくないわ。私、この漫画読むのもう止める」

「あの、進藤さん。憤る場所、違くないですか?」

「ん、どこがかしら? この作品のよさは、メインキャラ同士のカップリングが確定しているから、安心してサブヒロインとの恋愛を妄想出来るところよね? その前提を覆されたのよ。それは憤るわ」

「楽しみ方の癖が凄い!」

 もう流石は進藤さんというか……。

 嘆息して肩をすくめる。

 そう、進藤詩乃は大の女の子好きである。それもキャラ同士のやり取りを想像して楽しむ百合厨ではなく、キャラと自分とのカップリングを妄想して楽しむ、夢女子タイプ。

「にしても、進藤さんは二次元の女の子でよくそういった妄想しているけど。リアルの女の子をそういった目で見たりはしないの? その、好きな女の子がいたりとか?」

 足下に置いてあったお茶のペットボトルをとりながら、何気なしに尋ねる。以前から気になっていたことだ。進藤さんくらい美人なら、その気になればカノジョ作れそうだし。

「確かに、かわいいと思った女の子は現実でもいたりするわ。けど、そういう子に決まってカレシとか意中の相手がいたりするから、一気に興ざめするのよね」

 頬杖を付き、虚ろな表情を窓に向ける進藤さん。発言のやばさに反して、見た目の大人っぽさから妙に絵になっているのが何かズルい。

「進藤さんって、わりと潔癖というか、こう独占欲が強いよね」

「あら、声優が処女かどうかで一喜一憂する貴方のようなオタクには言われたくないわね。逆に珍しく意見が合う部分だと思っていたのだけれど」

「ぐ、それは……おっしゃる通りですはい」

 ぐうの音も出ないことに謎の悔しさを覚えた僕は、話題をはぐらかすように少し早口で別の視点を掘り下げる。

「というか、かわいいと思った子はいたんだ。もしかして、うちのクラスとか?」

「そうね。うちのクラスだと、桜井さくらいさんがいいと思ったわ」

 また、桜井さん!?

 と、昼の話題からの偶然の一致に驚く僕の前では、進藤さんが何故か急にもじもじと緊張した面持ちになっていて、

「あの、どうも勘違いされていそうだから、はっきりと言っておきたいのだけど、女の子とのそういった妄想はあくまでも私の趣味というか……」

「はぁ」

「――私普通に恋愛はちゃんと異性としたいと思っているから!」

「へ……?」

 破れかぶれと言った様子で放たれた言葉に、僕は開いた口がふさがらなくなる。

 呆然としたまま見る進藤さんの顔は、いつになく真っ赤になっていて、

「ど、どうしてそんなことを急に?」

「それは……貴方に誤解されると困るから……」

 消え入りそうなか細い声でそう告げた進藤さん。

 へ、それって……?

 突然の急展開に、思考が追いつけないでいると、進藤さんは慌てるように立ち上がって、

「ごめんなさい。今日はちょっと急用を思い出したから、この辺で失礼させてもらうわ。また、明日」

「あ、うん……」

 早足で部室から去ってく進藤さん。「うん」って、なんて情けない返しをしてるんだよ僕……。

 一人きりになった部室で、未だに呆然状態から抜けられないまま考える。

 今の進藤さんの意味深な発言って、つまりそういうことだよね。

 恋愛対象はあくまでも男性なのを知っていて欲しいとか、僕に誤解されるのが嫌だったとか――つ、つまり……。

 僕をそういった対象で見ているからってことだよね!?

「え、ええええええぇ!?」

 ようやく思考が現実に追いついた僕は、ありえない展開に思わず叫んでしまう。

 真山先輩に続いてこんなことって……。

 人間誰しも人生に一度はモテ期が来ると言うけど、そういうことなわけ?

 どう、しよう。というか、どっちを選ぶの僕!?

 胸中で大きく自問するも、答えは一向に出てこない。

 正直に自白すると、もしも二人が僕のこと好きだったらいいなぁとかそんな淡い妄想はやったことはある。だって、僕も思春期真っ盛りの男子ですし。

 けど、いざ現実となるともう頭は真っ白。

 それも、二人同時になんて、ほんと、どうしよう……。

「と、とりあえず。こういう時は、経験豊富で頼れる親友に相談するのが……最善だよね?」

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