第1章 僕と俺の日常③

                  ♠

 こんなクレハLOVEの僕だけど、三次元の女の子に全く縁がないかと言われれば、実はそうでもなかったり。

 え、何でそんなことを急に言い出したのかだって? べ、別にただ何となく。

 朝、蓮条さんにモテないこと指摘されたのを気にしていて、それを午前の授業中ずっと引きずっていたとか、そんなんじゃないからね。

 それで三限目の休み時間に、知り合いの女性から連絡が来てつい嬉しくなっちゃったとか――そ、そんなんじゃないから。

 しかもその人がわざわざ僕を呼びに教室まで来てくれて、彼女が上級生かつ学内で知らない人はいない程の有名人で、「そんな人が何故こんなやつのために――」的な喧噪でざわつくのがつい嬉しくて、思わず蓮条さんの反応を窺ったりとか――ほんと、そんなことしてないからね。……まー蓮条れんじょうさんってば特に驚いたりとかはなく、一瞥だけしてけっと、つまらなそうな顔してただけだったけど。

 というわけで昼休み。僕はその人に呼ばれて、一緒に生徒会室へ来ていた。

「すまないな、急に呼び出したりして」

 その人とは、この星蘭せいらん高校にて、二年連続生徒会長を務めている三年生の真山夏凛まやま・かりんさん。

「いいえ、全然。真山先輩の頼みなら、いつでもばっちこいですよ」

「そう言ってもらえると助かるよ。ほんと、いつも苦労かけてばかりですまない」

 申し訳なげに苦笑しながら、真山先輩は生徒会長席に着く。

 ややつりあがった猫目はどこか怜悧な印象があり、彼女の凜とした風格に一役買っている。座っていても一目瞭然な抜群のプロポーションに、ただそうしているだけで絵になるというか、どこはとない気品が溢れ出してくる、クールな出で立ちの少女。ちなみに持ち前の低音ボイスに、髪型もボーイッシュなのもあってか、外内共にそんじょそこらの男子よりよっぽど格好いい先輩は、女子からもよく「王子様……」と告白されるのが、本人的には困り物なのだそうな。

 生徒に教師、星蘭高校の誰もが認める、敏腕美人生徒会長。それが真山先輩だ。

「君に来てもらったのは、今日の放課後の委員会会議で使用する資料を一纏めにしてホッチキスで止める作業を手伝って欲しいからだ。一人だと昼休み内で終わるか微妙でな。そこでと君に声をかけさせてもらった」

 真山先輩がそう言って手を伸ばしたのは、室内の左手にある作業台とおぼしき長机。その上には、ホッチキスが一つと、プリントの山がずらっと並んでいた。どうやらあの山からプリントを一枚づつとっていき、束ねて一つの冊子を作っていけばいいらしい。

「わかりました。これ、プリントを纏める係とホッチキス係の二役に別れた方が効率がよさそうですね」

「うむ、そうだな。君はどっちがやりたい?」

「じゃあ、プリントを纏める係を引き受けますね」

 こっちの方が面倒くさそうだし、しかも立ち作業。日頃生徒会活動で忙しなくしてそうな分、せめてこういった作業だけでも楽させてあげないと。

 そう考えてにこやかな顔で即答すると、真山先輩は困ったような笑みを浮かべていて、

「まったく、君ってやつは。それじゃあ、今日はその好意に甘えさせてもらうとしようじゃないか」

「はい。甘えちゃってください」

 僕と真山先輩は各ポジションについて作業を開始した。

 プリントを左から順に一枚づつとって束にして真山先輩に渡し、それを真山先輩が一度トントンと机の上で整頓させてからホッチキスで止めていく。

 なぜ役員でもなんでもない一般生徒の僕が、こんなふうに生徒会長に呼ばれて雑用を手伝っているのか。

 それにはちょっとした事情があった。

 僕と進藤しんどうさんが所属するエンタメ同好会は、去年三年生が卒業してから今年誰も入部することなく、ずっと二人のままだった。

 星蘭学校では原則として、同好会は三名以上じゃなければ認められない。だから新入部員が入部してくれなかった時点で、エンタメ同好会は廃止になり、部室も撤去される予定だった。

 その窮地に颯爽と救いの手を差し伸べてくれたのが、生徒会長の真山先輩というわけだ。

「私が同好会に入部する変わりに、定期的に雑用として生徒会を手伝いに来て欲しい」

 まさに神からの救いの手。当時の僕は土下座する勢いで飛びつき――ほんとに土下座して、神様からどん引きされたのを覚えている。

 あくまでもエンタメ同好会への入部は単なる名義貸しで、生徒会長として困っている生徒を救うため。もちろん先輩が同好会の活動に参加することは一切ない。

 てっきりそうだと最初は思っていたんだけど――実はとんでもない誤解で、

「ところで、君はもう、今週のジャンパは読んだかい?」

 ホッチキスで紙束を留めながら、ちらっとこちらを一瞥して真山先輩が話しかけてきた。

「はい。今朝、学校に来る前、立ち読みしてきました」

「そうか。私も朝五時にコンビニ買いに行って読んだぞ」

「相変わらず早起きですね先輩」

「生徒会長たるものが、朝から堂々とジャンパ立ち読みなんてしていたら生徒達から一体どんな目を向けられるか――って私の話はどうでもいい。今はジャンパ、彼岸の刃の話だ」

 うずうずと興奮気味な真山先輩。あれ、このテンション、何か既視感あるような――

「今回の展開は特に熱かった。まさか自分の死すら勝利への布石に折り込まれているとは。先週号での私達読者からすれば仰天だったあの死が、本人には想定されていたものだったというんだぞ。おまけに今回は本当にトドメがさせたのか定かではないシーンで終わるとか――くぅーもう今から来週が待ち遠しい」

 目を爛々と輝かせてそう語る姿は、さながら夢を追う少女のようで、とてもいつもの厳格でクールな生徒会長の姿ではなく、

「それにツインピ、ツインピも熱かった。聞けばあの伏線は十年越しの回収らしい。私はツインピをしっかりと読んだのは中学になってからだったが、あれをリアタイで読んできた世代はきっと震えたことだろうな。ああ、私にはその感覚を味わえないのが悲しいよ」

 先輩が感極まったとばかりにホッチキスを握りしめて、くぅと悔恨の声を漏らす。から打ちされたホッチキスの針がぱんと音をたてて床に落ちていった。

「ええ、あれに伏線ってあったんですか? 僕はそれ自体知りませんでしたよ」

「だろだろ。いやー私もたまげたよ。ほんと、あの作者は偉大だ」

 学校では少年漫画好きを隠しているこの人が、今日発売したジャンパの話題を一体どこで聞いたのだろうか。休み時間、周囲の目を気にしながらこっそりネットで感想をサーチして語りたい欲を燻らせているクールな生徒会長。――なにそれ、めっちゃかわいいです。

 このように、真山先輩は超がつくレベルでの少年漫画大好き人間だった。

 二年の頃から敏腕生徒会長として、周囲から尊敬と憧れの眼差しを受けていた真山先輩。けれど、その内では趣味語りたい欲で悶々としていて、我慢の日々を送っていたのだと。

 それでどうやら日頃からオープンオタクを堂々と公言している僕に、更にはオタ趣味を堂々と公開できるエンタメ同好会という空間に目をつけたらしい。

 そう、真山先輩は親切心と生徒会長としての立場から僕達を救ったわけではなく、逆に先輩自身が憩いの場を求めてのWIN-WINな提案だったのだ。

 当初先輩は「同好会に籍を置く以上は、やはり私もある程度活動に参加しなければならないな」との建前で、気遣い無用ですからとと申し訳なさMAXな僕達を遮る形で、生徒会の合間に同好会へと訪れていた。そこで先輩がちょっと恥ずかしげに「こう見えても実は私、漫画は結構読む方でな。特に今はまっているのがツインピと彼岸だ。どうだ、以外か、生徒会長が漫画好きなのは……?」と告げてきたものだから、(うわぁー、オタクが言われてイラッとする、ジャンパ作品でのオタク仲間アピールきたぁああ。悪気はないと思うんですけど、それ僕達のような人種が一番解答に困るようなやつですからね。ほら、隣の進藤さんなんか、眉毛ピクピクさせてあからさまな不機嫌オーラ出してるし。というか、社会現象になった作品並べられて、以外も何もありませんから)と激しく胸中でつっこんだものだ。

 が、その見解が土下座する勢いでの誤りだったと、僕は一時間後痛感させられてしまう。

 うん、たかだか概巻全部読破しただけの僕なんか足下に及ばないくらい、ファンブックや作者インタビューなどで語られた作成秘話や豆知識に精通していて、はたまたネットの考察版も頻繁に通っている程の、超熱列ファンだったことに。

 ちなみに、僕が生徒会の手伝いで呼ばれるのは、月曜の昼休みが多く、何故かいつも二人きり。理由はもうおわかりだろう。そう、朝読んだジャンプの感想を語りたくて語りたくてたまらなくなっているから。

 そして、真山先輩にはもう一つ、僕達エンタメ同好会以外には内緒の趣味があったり。

「――そうだ聞いてくれ冴羽君。実は君に、是非とも報告しておきたいビッグニュースがあったんだ。実は私と相互フォロー関係だった有名絵師のテリマヨさんから、今度の夏コミに合同でらくがき本を出さないかって、直接のお誘いが来たんだよ!」

「ええっ、それマジモンのビッグニュースじゃないですか! テリマヨさんって言ったら、僕の大好きなクレハの生みの親でもある、商業でも大活躍してる人気イラストレーターさんですよね。やりましたね先輩。もちろん引き受けるんですよね?」

「ああ、もちろん。こちらこそと、二つ返事で承諾させてもらった。テーマは年の差カップルで3枚分。どんな構図にするかはこちらで自由に決めていいそうだ」

 完全に作業中なのを忘れ、嬉しそうに語る真山先輩。

 実は真山先輩、漫画好きがこうじて密かに自分でも絵を描いていて、それを頻繁にツイッターに投稿していたりする。

 何回か見せてもらったことはあるがイラストの腕はプロと肩を並べられるレベルで、フォロワー数は数万を超えている。僕も知っているラノベの挿絵をやっているようなプロ何人かと相互フォローだったのはびっくりだった。文武両道才色兼備のスキルを、こんな分野でもつつがなく発揮するなんて流石だ。僕には逆立ちしたって真似出来ない。一生消費豚で終わることだろう、ぶひ。

「いやぁ、今からどんなのを描こうかわくわくしてたまらないよ。といっても、もう既に一つだけ候補は決めいてるんだけどね」

「へぇ。どんなのですか?」

 プリントの束を先輩の前に置いて尋ねる。

 ここまでは単なるカップルを題材にしたイラストについての会話。が、僕らの視点は、一般的なカップル認識とはかけ離れたところにあって、

「私のクラスの葉山はやま君。彼、陸上部なんだけど、最近ちょっと怪しいんだよねぇ。インターハイを理由に、ここのところ毎日顧問の武田たけだ先生とつきっきりで練習しているみたいなんだ。それも遅いからって、車で送ってあげたりしているらしい。これはもうあれだよね、絶対にアウトだよね。秘密のマッサージだとかいって、あれこれやってる仲だよね。疲労を蓄積させないためには下半身のリンパの流れをよくしないと的な――ふ、ふふっ、腐腐腐腐!」

 目の前に特上のご馳走を振る舞われたかのように、だらしなく涎を垂らす真山先輩。

 一応捕捉しておくと、武田先生とは元インターハイ出場経験を持つ、ゴリマッチョな体育教師だ。それと毛深い。あ、もちろん、男です。生徒の間ではゴリ夫って呼ばれてます。

 そう、星蘭高校生徒会長の真山夏凛は、成績優秀、品行方正、容姿端麗な人望溢れる敏腕生徒会長と謳われる傍らで、日夜男と男の友情を超えた禁断の関係を脳内妄想で捗らせる、立派な腐女子だったんです。

 ちなみにこの秘密を知ってるのは、僕とあと一人、もう一人のエンタメ同好会部員である進藤さんだけだ。

 確かテリマヨさんって、商業ではクレハのような美少女メインだけど、コミケのような同人の場では、趣味全開のBL本ばっか作ってるんだよね。凄いな、趣味と実益を分別しながら、好きを仕事にしてる人って、純粋に尊敬する。

「あの、先輩。以前も言った気がしますけど、一応生徒会長なんですから、在校生で妄想するのはよした方がいいんじゃないかなぁって」

「何を言ってるんだ君は」

 恐る恐るの忠告に、真山先輩はむっと眦をつり上げて遺憾を示す。

「これは断じて妄想などではない。情報に基づいた紛れもない事実で、そして立派な純愛だ。例え、校則が、生徒会が、学校が、異端だと阻んだとしても、二人の間に生まれた愛の炎はきっと消せはしないだろうな。世間からは祝福されない禁断の恋。ならばせめて、私達だけでも応援してやろうではないか」

 あの、しれっと生徒会も敵側になっちゃっていますけど、結局先輩はどっち側なの?

「やろうではないか――じゃないでしょ。絶対に貴女の被害妄想ですよねそれ。だって、爽やかイケメンで有名な葉山先輩が、よりにもよってあのゴリ夫とですよ。断言します、ありえません」

 きっぱり言い切って見せるも、真山先輩は自信たっぷりな顔を崩さずにいて、

「聞けば先週、葉山君は同じ陸上部のマネージャーである二年の桜井さくらい君からの告白を断ったそうじゃないか。な、つまりそういうことだ」

「何がそういうことに繋がるんですか……」

 後僕陰キャですから、そういった学内の色恋話情報は全く回ってこないので、そんなさも知ってるだろみたいな体で話されても困りますからね。桜井さんとは同じクラスだけど、こっちはその情報初耳ですから。

「というか、手、完全に止まってますけど大丈夫なんですか? このペースだと昼休み中に終わらないような気がするんですけど」

「え……あ?」

 僕に指摘された真山先輩は、きょとんとした顔で手元を見やる。

 すると、そこには僕が喋りながら進めていたホッチキス待ちの束がずらーっと整列していて、

「――す、すまない。完全に忘れていた。いやぁ、君と喋っていると楽しくてつい他を疎かにしがちになるというか、あはは……申し訳ない」

 視線を泳がせて耳を赤くし、取り繕うような笑みを浮かべる先輩。真山先輩にはこう、一見完璧に見えて実はちょっと抜けてるところがあったりする。

 こういった素の先輩を知る数少ない人物の中に、自分も含まれているのだと思うと、嬉しくならずにはいられいない。だって、それだけ僕に気を許してくれているということですよね、きっと。

「ひとまず、雑談は作業を終わらせてからにしましょう」

「そ、そうだな」

「あ、でもこれだけはやっぱり先に――」

「ん?」

「先輩、コミケ初参加、おめでとうございます。僕に何か手伝えることがあったら、気兼ねなく声をかけてくださいね」

 普段生徒会長として多忙の日々を送っている先輩だ。そこに慣れない第三者を介しての締め切り付きの作業を挟み込むのだから、もしかすると本人の想定してないトラブルが発生するかもしれない。それに、イラスト自体の協力は無理でも、今みたいなちょっとした生徒会の雑務なら僕でも充分にはたせるし、ちょっとでも先輩への負担は減らせるはず。

 そう思って僕は得意げに言葉を放った。

「…………ふふ、まったく君というやつは」

 すると、しばらくぽかんと呆気にとれていたかと思うと、柔らかく微笑んで、

「わっかた。何かあったら頼らせてもらうことにするよ」

「はい。是非」

「けど、君の方だって、何か困ったことがあったら全然頼ってくれて構わないんだよ。生徒会長としての立場だけではなく、この真山夏凛一個人としても。……それに、き、君とは来年以降も、この学校を卒業して先輩と後輩という繋がりがなくってからも、こうしてずっと一緒にいる間柄になっているかもしれないからな」

「え、それってどういう――」

 もごもごと呟かれた言葉を聞き逃さずに拾った僕は、その内容に思わず目を見開く。

 けど、すぐさまはっとなった先輩にはぐらかされて、

「い、今のは何でもない。忘れてくれ。さ、とっと作業を再開しようではないか。このペースだと本当に昼休み内に終わらなくなるからな」

 ふいと顔を僕からそらし、慌てて作業を始める先輩。

 つ、つつまり、そういうことなんですか、先輩!?

 別にラノベや漫画の主人公でも何でもない僕は、意味深な発言と反応から一番の最適解を推測する。来年といえば、順当に行けば僕は三年生で、先輩の方は恐らく進学していて――とりあえず既にこの学校を卒業のは確か。そんな環境の変化でも僕達が会っている間柄だとすれば、ほぼプライベートでしかありえないだろう。

 ようするに男女の関係、僕にも春が来てるかもしれないってことで――

 僕は二次元の女の子が大好きだ。

 でも、三次元が、リアルの女の子が嫌いかって言われると、別にそういうわけではない。寧ろ、ラブコメが好きだからこそ、いずれは僕にもあんな風な甘いイベントが起きてもいいんじゃないかって、内心で虎視眈々と期待していたり。

 きっとそれは僕だけではなく、オタクを公言している大多数の人がそうだと思う。じゃないと、声優自体に人気が出たりしないし、リアルに未練があるからこそ、声優の結婚に一憂するのだろう。何というか、自分だけがその世界からおいて行かれた気がして。

 そして今、心の隅っこで待ち望んでいた展開が、もしかするとがあるかもしれない。

 それも、お相手がまさかの才色兼備でクールな生徒会長と、まさにラノベのような境遇が――ほら進藤さん、本当にフィクションみたいな展開がリアルでも充分ありえるみたいですよ!

 というか本当に――

 き、きき期待しゃってもいいんですよね先輩!?

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