第1章 僕と俺の日常②
瞬間、連休明けの報告会話を中心に各々で繰り広げられてた会話が止まり、教室がしんと静まり返る。思わず音のした方に目を向けると、音の発生主である金髪の少女の猛禽類を彷彿させるギロリとした不機嫌な視線と目があい、ぶるりと首筋に悪寒が走る。
「さっきからさー、めっちゃ耳障りでうざいんだけど。ねぇ、あたしの教室でそんなキモイ話すんのやめてくんない」
眦をつり上げ、怒りのオーラを纏いながら、金髪の少女、
「ただでさえあたし寝不足の低血圧で苛ついてるってのにさ。何、わかっててやってるわけ? あたしが朝弱いの知ってるっしょ」
あの、初耳なんですけど……。
「あ、あはは……ごご、ごめん。話し声、ちょ、ちょっと、大きすぎたよね……。こ、これからは気を付けます……」
僕は精一杯の苦笑を浮かべて謝った。冷や汗が止まらない。
そんな生まれたての子鹿のように震える僕を前に、蓮条さんはふんとつまらなさそうに鼻を鳴らす。
軽くウェーブがかけられたブロンド色の髪は肩の辺りまで伸びていて、獅子のように鋭い瞳は彼女の強気な性格を象徴しているようだ。すっと伸びた鼻筋にふくっらとした形のいい唇、スラッとして白く綺麗な美脚を筆頭にしたモデル並のプロポーションで、その身長は恐らく百七十くらいと、男の僕よりか頭一つ分も背が高い……。彼女は文句なしに進藤さんと同じく学年トップレベルの美少女。でも、少々我が強い性格と、カーストトップの立場から、男子からは憧れよりも、恐れられることが多かったり。かくいう僕も超苦手で、超恐い。自分がまいた種とはいえ、早く終わって欲しいな……。
しかもこの人、オタクに厳しいギャルといいますか、僕みたいなオタクが大っ嫌いなんだよねぇ……。ほんと、オタクに親でも殺されたのってレベルに。あ、もしかすると過去にオタクの女の子に、好きな人をとられたとか? それなら、あながちありそうでは――
「……なに、あんた今、とっても失礼なこと考えてない?」
「めめめ、滅相もないです! ここ、この通り、深く反省しています。はい」
「ふーん。そう」
腕を組んで威圧するように見下ろす蓮条さんに、脂汗を浮かべて畏縮する僕。すると、蓮条さんの興味はいつの間にか僕の机に置かれたハンカチへと向けられていて、
「つーかこれが、あんたがさっきからギャーギャー嬉しそうにはしゃいでた例のハンカチなわけ」
「あ」
蓮条さんはまるで汚物でもつまむかのようにハンカチの端をちょこんと持ち上げると、ひらひらと軽く振って顔の前で広げる。
「ふーん。この絵があんたの嫁ねぇ。いくら非モテで女に縁のない人生送ってるからって、ハンカチを奥さん扱いとか、ありえないつーか、マジ末期って感じ。きんも。ま、実際こんなかわいい子がいたら、あんたみたいな冴えないやつを相手にすることは100パーありえないつーか」
侮蔑の表情で言いたい放題の蓮条さん。
「で、なんだっけこれ。あれでしょ、一回ニュースで特集やってたの見たことあんだけど……今流行ってるブイチューバーのオタク版的な……ま、名前なんてどうでもいいや。ようするに、中の人が存在するんだよね。その人さ、絶対にオタクチョロって思ってやってるっしょ。ウケる」
その非難の対象はいつの間にか手に持つクレハへと変わっていて――
「こういうのってさ、よするに顔に自信のないけど男にチヤホヤされたい的な、アイドルかぶれみたいな人がやってるんでしょ。わざわざやりたくもないゲームで、あんたみたいなオタク釣って」
最初は「はは」とただ笑みを引きつらせて聞いていただけどの僕だった。
――けれど、クレハを馬鹿にされる度に胸の鼓動がどんどん高鳴っていき、次第に身体の内側から熱い何かがこみ上げてくるのを覚えて――
「これ以上クレハの頑張りを愚弄するのは止めろ!」
「へ?」
「というか返してよ、クレハにビッチがうつる!」
自分でも信じられないほどの大声。
気がつくと僕は蓮条さんの手からハンカチを奪い返していた。
強引にひったくたことで唖然となった蓮条さんが、愕然としたまま一歩後退する。
お通夜のように静まり返った教室で、クラスみんなのまるで化け物でも見るかのような絶句した視線が僕に集まる。
ややや、やばいぃいいいい!? ついかっとなってとりかえしのつかない不味いこと口にしちゃったぁああああ!
「ごごごご、ごめん蓮条さん! けど、すっごい大切な物だから、雑に扱うのは止めて欲しいなぁって……」
青い顔で慌てて謝罪する僕。
すると、蓮条さんは恨みがましい顔で何やらつぶやいて。
「……じゃねぇし」
「……え?」
「ビッチじゃねぇし! あたしまだ処女だし! そっちこそ見た目で判断してんじゃねーよ。キモオタ!」
「……へ? ご、ごめんなさい……」
衝撃的事実の告白に、僕はどうしたらいいかわからず、とりあえず頭をばっさり下る。
今度は、蓮条さんがクラスのみんなから意味深な視線を浴びる番だった。
数秒後、ようやく自分がどんな発言したか理解したらしい蓮条さんは、それを告げるようにかぁっと顔全体を真っ赤にさせて、
「――!?!?!? ちょ、ま、今のは違、つい勢いで――いや、処女なのは違わないんだけど――って、あーもう――とにかく、冴羽!」
「は、はい!」
「ここまであたしに恥かかせて、タダですむとは思ってないよね」
「い、いやその……」
あの、完全な自爆による八つ当たりでは……。
破れかぶれといった様子で、羞恥と怒気が孕んだ表情で睨め付ける蓮条さん。どうすればいいかわからずに僕は慌てふためく。
と、そこにパンパンと大きく手を叩く音が二回なった。
「――はいはい二人とも、もうそろHRも始まるし、そんくらいにしとこうや」
皆の注目を引きつけてそう言ったのは、蓮条さんでも僕でもない、完全な第三者であるクラスの男子。
「
「
やれやれとした顔でやって来た背の高い乱入者、
それに何より彼と僕は、家が隣同士の一歳からの仲で、僕の自慢の親友だったりする。
「えー。いくら龍馬の頼みでもさー、ここまでコケにされて引き下がるとか、あたしのプライド的になしなんですけどー」
当然、同じリーダー格の蓮条さんとは仲がよく、一緒のグループに属している。というか、あの僕、一つもコケにした記憶は……。
「ってもなー、椿だって、自分の大事な物いきなり触られたら嫌だろ」
「そりゃまぁそうだけどさ~、けどー」
一理あるがそれでも折り合いがつけられないと、不満げな顔の蓮条さん。そこにもう一人、明るい空気を纏った女の子がやって来て、
「まぁまぁ、椿さん。龍馬さんの言うとおり、後少しで先生が来ますから、もう止めにしましょう。先生が介入して大事になるのは、椿さんだって望んではないですよね」
「むー、
朗らかな笑みを浮かべた少女、高宮凛々乃さんにそう言われ、蓮条さんが拗ねるように口を曲げる。
ほんわかとした高宮さんの登場で、緊縛していた空気が心なしか和らいだ気がした。
「う~ん、どうすれば椿さんは納得してくれるのでしょうか……あ、こういうのはどうですかね」
思案顔になっていた高宮さんが、何かを閃いたとばかりにハッと目を丸くさせた。
そして、一度ちらりと僕の顔を一瞥すると、
「私もその……処女、ですよ……」
と、龍君のいる方に向かって、もじもじとそう言ったのだった。
瞬間、僕や蓮条さんに龍君すら、高宮さんの発現を聞いた誰もが一様に目をかっぴらいてフリーズした。たたたた、高宮さん!? ど、どどどうしてそのような爆弾発言を……!? あれですか、これがちまたに聞くウンコ理論――もし友人がウンコを漏らしたら一緒になってウンコを漏らすのが真の友たる行動――ってやつですか。まさに女神、どんだけ性格いいんですか!
そんな周囲の反応など確認するまでもなく、高宮さんは瞬時に両手で顔を覆ってその場に蹲った。
「うう、やっぱり恥ずかしいですね……」
耳をさきっぽまで真っ赤にさせて、悶々と身体を揺らす姿が、不謹慎だけどめちゃくちゃかわいい。リアルでこんな反応する女の子は、きっと高宮さんだけだよ。
「……はぁ。わかった、凛々乃。あたしの負け。もう完敗。つか、こんな下らないことでいちいち身体はるなし」
いち早く愕然状態から脱出した蓮条さんが、深くため息をついて高宮さんに優しい顔を向けた。
「いい、冴羽。今回は凛々乃の頑張りに免じて、勘弁してやるけど、次あたしに恥をかかせたら容赦しないから。凛々乃に感謝しな」
えぇ……、それは完全なマッチポンプですよね?
内心で顔を引きつらせつつも、僕は高宮さんにお礼を言う。高宮さんが身体をはって僕を助けてくれたのは紛れもない事実だしね。
「高宮さん、えっとその……ありがとう」
「い、いえいえ。この程度、全然気にしなくていいですから」
そう言いつつも、未だ高宮さんの顔は赤く、罪悪感を覚えてしまう。今度何かおかえし、した方がいいよね……。
高宮さんと蓮条さんが一緒に自分の席へと戻っていく。何というか、とんでもなく濃い嵐だった。まだ朝のHRすら始まってないのに、もう六限分の授業を終えたくらいの疲れを感じる。
そう、疲労感を覚えてぼーっとしていると、不意に背後からぽんと肩を叩かれた。
「災難だったな健吾。ま、朝の椿は日によってもの凄い機嫌悪い時があるから、一応覚えとけよ」
龍君が苦笑を浮かべる。
「そうだね、一応覚えておく。ありがとう龍君、おかげで助かったよ」
「おう。ま、後半は椿の自爆による完全なとばっちりとは言え、前半のはお前にも非はあるからな。そこは、ちゃんと反省しとけよ。興奮していて自覚がなかったとはいえ、お前の声が教室中に響いてたのは確かだし、それと蓮条のオタク嫌いは筋金入りだからな。俺や健吾からしたらどうしてって話かもだけど、教室が公共の場である以上、他人が嫌悪を感じる話題への配慮は一応、な。」
「わ、わかってるよ」
「そっか。ならよし」
龍君はからからと笑って、蓮条さん達がいる自分のグループに戻っていった。
「いやぁ、流石だよな播磨は。あの蓮条に臆さず物申せる男子って、うちのクラスじゃあいつくらいだろ。それもこんな奴を庇うためにさ。ほんと、未だに播磨と冴羽が親友ってのが信じられない」
「むー、今の言葉はちょっと酷すぎない
「運動が出来て社交性も高く、高身長のイケメン。おまけにクラスの美少女二人がいつも一緒に――くぅ、まさに生まれながらの勝ち組ですな。変われるなら、今すぐ変わってほしい。ああ、我が輩も叶うならあんな輝かしい青春を送りたかった」
下唇を噛んで本気で悔しがる
あんな輝かしい青春を送りたい、か……。
胸中で杉山君の言葉を復唱しながら僕はふと考える。
龍君と僕は家が隣で、幼稚園に入る前からずっと一緒だ。きっと誰よりも身近で、彼の凄さや活躍ぶりを見てきたことだろう。
だけど、不思議と龍君になりたいと思ったことは一度もなかった。
それはやっぱり誰よりも身近に彼と接してきたからに違いない。
日々をスポットライトのど真ん中で生活している人は、スポットライトを浴びているからこその苦労や問題があるんだって、彼の愚痴を散々聞いて、特と痛感していたから。
決して贅沢な悩みなどではなく、問題の拗れ具合やややこしさから、僕は日陰者の二次元オタクでいいやと思えるくらいに。
例えば、みんなが龍君に求める、頼れるリーダーポジションでいるために、気苦労が絶えない日々を送っていることとか。
……それと、あの仲睦まじい蓮条さんと高宮さんが、密かに同じ相手――ようするに龍君のことを密かに想っていて、三角関係の発展次第ではあのカーストトップグループが拗れて崩壊しかねないこと、とか。
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