第1章 僕と俺の日常①
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勉強、中の下。英語が苦手。
運動、あまり好きじゃない。特に球技は壊滅的。
趣味、アニメ・ゲーム・漫画・ラノベ。
そんな平凡よりもやや低いステータスを持った僕だけど、一つだけ胸を張って誇れることがあった。
それは昔から人間関係に恵まれていたこと。
そのおかげでこれといって取り柄のない、ラノベや漫画なんかじゃボッチポジ必須のオタクで内気な僕だけど、つつがなく高校生活を謳歌出来ている。
もし神様が本当に存在するのなら、こんなコモンキャラにも良縁という隠しステータスで、救済テコ入れをしてくれたことに頭が上がらない。
特に今は、昨日とてもラッキーなことがあっただけに尚更――
「じゃーん! どうこれ、凄いでしょ。羨ましいでしょ」
月曜の朝。学校に登校した僕は、自分の席についてすぐおはようと集まってきた友達の
そのドヤ顔と共に両手でどんと掲げたのは、一枚のハンカチもとい、昨日の努力の勲章で、
「秋山紅葉のサイン入りハンカチ! ゲットしたよ、ガチで頑張ったよ!」
熱狂のあまりつい立ち上がっていたことに気付く。それでも、今も身体の内側からこみ上げてくる興奮の熱は収まりそうになかった。
「ほー、昨日ラインで写真は見せてもらってましたが、これがその実物ですか。何はともあれ、やりましたなぁ、冴羽殿」
ふくよかな体型の男子――杉山君が感心げにハンカチを眺めてぐっと親指を立てる。
「うん。朝早くから四時間、頑張って並んだ甲斐があったよ」
「それ、メルカリじゃプレ値ついてて、一万超えてるんだってな。時給2500円流石です。いやぁ晩ご飯、ごちになります冴羽様」
「売らないって! けど――マックくらいならあっても」
眼鏡をかけたインテリ系の男子、石田君の冗談に僕はにっこり笑って応える。わりと本気でバーガー一個なら奢ってもいいかも。それだけ今の僕は上機嫌だ。
ちなみに僕達三人は低身長の僕を含めて、チビデブ眼鏡の2ーCのオタクトリオ。縮めてオタトリなんてクラスで呼ばれてたりするけど……。って今はそんな情報どうでもいい。
秋山紅葉。
彼女は、通称クレハで親しまれている今人気絶頂中のブイチューバーだ。何故クレハかというと、他のブイチューバーとコラボした際、コラボ相手が名前の漢字をずっと読み間違えたままだったのが始まりで、今では本人公認ですっかり定着してしまっている。
ゆるめのウェーブがかかったセミロングな髪は、その名の通り、秋の山並みを連想させるよう、情熱的に赤い。ご自慢の巨乳を強調させた露出度の高い服装がウリの紅葉は、もう見るからに遊んでいそうな、ギャルだった。けれど実際に初配信で現れたクレハは、見た目通りのコミュ力高めな印象を受けるギャルっぽさのある口調だったものの、下ネタの話題にちょっとでも触れられるだけで恥ずかしそうに慌てて、あからさまに話題をそらそうとするほどの超絶ウブだったのである。そのガワと中身の激しいギャップ差から絵に描いたような処女ギャルとして、一気に注目を浴びたクレハの魅力は、それだけに留まることなかった。ゲーム配信ではポンコツながらも凄い真面目で実に楽しそうにプレイするは、どれだけコメントで煽られてもめげることなく、リスナーからのアドバイスをノートにメモって真剣にクリアを目指して頑張ろうとするは、しかもクリアした時はもう画面の向こうでめっちゃ喜んでいるのがわかるくらいに、声をあげておおはしゃぎして、それがまたどちゃくそかわいかったり――
とまぁ、気がつけば僕はすっかりクレハに魅了されていたのだ。
そしてこのハンカチは、先日アニメショップ限定で販売したくじの三等の景品、クレハのイラストにサインが入ったハンカチだった。
僕がこのお宝をゲット出来たことをこれほどまでに馬鹿喜びしているのには、それ相応の理由がある。それは、このハンカチの入手しにくさだ。
このくじの三等のハンカチは彼女だけではなく、同じ事務所に所属するブイチューバーがクレハ含む五人分存在し、三等が当たったとしてもどのヒロインが貰えるかは完全にランダムなのだ。現物は可視不能なグレーのナイロンに梱包されていて、封を開けるまでは、どれが貰えたのかすらわからない。
しかも三等の数は全部で五つ。つまり一キャラ一つ分しか存在しないので、欲しい物を引き当てるのはほぼ奇跡。だからネットでは一万なんて高値で売買されてるし、おまけに人気なため、僕の行きつけのアニメショップでは最初から購入制限がお一人様三回になっていた。たった三回のくじで三等を引き当て、更にその三等の袋の中からりつきんを選ばなければならない。ちなみに、くじの総数は100だ。
「残念ですが、くじに望みを託すのは諦めた方がいいですな」
「本当に欲しいなら、メルカリで買うのがいた」
これが先週、僕が今週の休日はクレハのハンカチ狙いで、開店前から並んでくじを引きに行くと言った時の、杉山君と石田君の反応だった。
けど、僕は決して諦めなかった。
クレハは一番クレハ愛のある者に微笑む。そう信じて。
だって、クレハ愛が誰よりもある自信があったから。そうデビュー以来、彼女の全配信を追っかけメンバーシップにも登録し、彼女のグッズを全て集めているくらいに。まぁ、高校生である以上、流石に投げ銭までは出来ていないけど……。
とにかく、その意志を信じて行動した結果が、ご機嫌な蝶になった僕であって、
「いや~やっぱり、クレハは僕の嫁だったってことだね。うんうん、これが真の愛、相思相愛がなせるミラクルってやつだよ。正に運命の相手」
「おやおや、冴羽殿ったら調子いいですなぁ。先月まではとあるアニメヒロインに『十六年生きていて遂に会えたよ、僕の人生を彩る理想のヒロインに』とか言っていたのに」
「ああ、あの子はダメだよ。主人公に振られたと思ったら、次の話ですぐ親友ポジの男とくっついててさ。ああ言うのほんと、萎えるんだよねぇ。ほんとは主人公にじゃなくて、単に恋に恋してたんじゃないかって。ただ周りがきゃっきゃしてたから自分も――って考えの頭もお股も緩い尻軽女にしか見えない。ほんと、僕の純情を返して欲しいね」
「はいはい童貞乙。ったく、相変わらず冴羽は冴羽というか、今日はいつにもましてキモオタ全開だな本当に。しかも朝っぱらからこんな教室で他のヤツにも聞こえるくらいによくそんな堂々と」
「むー。そんな、自分は違いますみたいな一歩距離をとった感じの発現ずるくないですか? 石田君だってオタクでしょ。なに、三次元にカノジョがいるのがそんなに偉いの? カノジョがいるとオタクでもキモは外れるんですかー」
石田君には他校で、幼なじみのカノジョがいるらしい。らしいってのは、何度お願いしても一向に写真一つ見せてくれないから。けど、昼飯はいつもカノジョが作ってくれたお弁当だから、悔しいけど実在はするみたい。悔しいけど。もし、単に見栄をはるための自作自演だとしたらある意味尊敬する。だって、たまにご飯の上に桜でんぶでハートマークが作ってあったりするし……。
「少なくとも、お前よりはキモくないって胸を張って言える自信はあるよ」
ジト目を向けて詰め寄る僕を前に、石田君が嘆息して肩をすくめる。
と、そんな僕らオタトリのところに、一人の少女が呆れたと言わんばかりの顔でやってくるのが見えて、
「はぁ……。相も変わらず冴羽君は実に残念な理由で浮かれているようね。ほんと、頭ハッピーセットというか、私の目に映る貴方は、実に滑稽だわ」
「滑稽って、どういう意味ですか
挨拶代わりに哀れみの視線を向けて現れた長い黒髪の少女、
ただ、もう一度僕の方を見た途端、その表情は侮蔑へと変わっていて、
「冴羽君。貴方の推しを推すその熱量と行動力は、同じ二次元女の子を愛する同士として尊敬に値すると思っているわ。――けれど、相変わらず女の趣味が極めて悪いことについては、頂けないわね」
「は、女の趣味が悪い? もしかしてクレハのことを馬鹿にしてるの?」
「ええ、そうよ」
ニヤリと口角を釣り上げて頷く進藤さん。
背中まで伸びた艶のある黒髪に、切れ長の瞳を筆頭に他人を寄せ付けづらいクールな出で立ちをした女性、進藤詩乃。文武両道の優等生で、クラスどころか校内でトップレベルの美少女である彼女なのだが、何を隠そう超がつくほどのオタクだったりする。
それも僕と同じくらいにオタ趣味をオープンにしていて、ジャンルは一般的なアニメや漫画ラノベに、それからアイドル育成ソシャゲーまでと、かなり幅広く精通している。そのルックスとのギャップから、陽キャやオタ趣味をよく思わない連中からは残念美人なんて言われてたりもするけど――僕からすればよけいなお世話だと思う。好きな物を好きと言って、趣味に熱中しているだけで、何故残念扱いになるのか、本気で理解に苦しむ。
そんな進藤さんと僕が出会ったのは、一年の四月に入部したエンタメ同好会だった。
そう僕と進藤さんは、同じ同好会仲間なのだ。
エンタメ同好会とは、昨今のアニメや漫画等での人気作品と呼ばれているコンテンツが、何故ヒットしたかの理由についての考察、及びそれが社会に与えた現象をみんなで考えることで経済や流行の動きを知る――という高尚な建前の元に作られた、単なる語りたいオタク達による二次元好きの集まりだった。
ちなみに、去年三年生が卒業してからは同好会の正式な部員は僕と進藤さんの二人だけ。絶賛部員募集中です。
内気な性格で異性に免疫のない思春期真っ盛りの僕は、入部してから一月の間、進藤さんとほぼほぼ喋ることが、特に自分から話しかけるなんてだいそれたことは出来なかった。
けど、共通の趣味を持った仲間同士、いつの間にか打ち解け、今ではあの進藤詩乃と気軽に話せる男として、周りから人目置かれるほどに仲がいいのは実はちょっとした自慢だったり。
ただ、一つだけ相容れぬというか、僕達の間には大変重要な問題があった。
それは、お互いの推しの好みが毎回全くといって合わないこと。
「はぁ、全く。数ある魅力的なブイチューバーの中でよりによって何故秋山紅葉なんかに惹かれたのか、ほんと、理解不能よ。同じ女子として、あんな絵に描いたような処女ギャルのRPなんて、逆に信用ならないわね。私だってオタクに優しギャルは存在すると思うわよ。けどああも露骨すぎると、冴羽君のような女性に清楚な妄想を抱いているオタクを狙ってのムーヴとしか思えないのよね。私の経験上、自分から男子と付き合ったことないアピールする人に、ろくな人はいないから。友として忠告しといてあげる。あんなRPをずっと維持したまま配信が続けられるとは、到底思えないし、いずれ素がポロリする日が来ると思うの。辛い思いをする前に夢から覚めるべきよ」
「はぁ? 心配せずとも、クレハはそんな女じゃありませんから。だから素とか演じるとかそういのは一切ないの。まったく、クレハの配信をろくに見てないだろうに、決めつけないでほしいな。いい、事実は小説よりも奇なりって有名な言葉があるでしょ。いい、世の中ってのは案外フィクション以上のありえない展開が実在するというか、僕の理想が詰まった究極のヒロインだって存在たりえるってわけ。つまり何が言いたいかって言うと、秋山紅葉は運命の相手であり、クレハは僕の嫁ってこと」
「何かしらその頭痛を覚える理解不能な理論は……。とういか、貴方少し前にも似たようなことを口にしていたわよね? 『遂に巡り会えた運命のヒロイン。これぞ僕の理想』と。で、その結果、前の理想のヒロインとやらはどうなったのかしら?」
くすりと、意地悪な笑みを浮かべる進藤さん。
「あ、あれは……素直に僕の見る目が悪かった反省しているというか――とにかく、何を言われようと、クレハが史上最強のヒロインで、僕の理想の嫁であることには変わらないからね!」
腕を組み、しゃんと胸を張って誇らしげに宣言する。
「はぁ、忠告はしたわよ……」
と、肩をすくめた進藤さんが嘆息した直後だった。
ばん!
と、教室の片隅から、苛立ちを吐き出すよう、机を激しく叩きつけた音が聞こえてきたのは。
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