10.11.人と魔物
エンリルたち、そして人間たちが集まっていた。
第三拠点で療養していたのだが、本当の限界が来てしまったのだ。
もう、起き上がることすら難しい。
喋ることはまだできる。
しかしそれも……もうできなくなりそうだ。
『ふすー……』
『……』
『……』
ベンツとガンマが隣にいる。
看取ってもらえるというのは、ここまで安心するものなんだな。
だが心配させてしまっている。
仕方ない事なのだが……やはり少し申し訳ない。
目を開けてみると、二匹の顔が目に入った。
三狐もいるようだ。
それに加えて、多くのエンリルが周囲に集まってくれている。
何か声をかけようと思ったが……どうしようか。
喋ることができる内に何かを伝えておきたい。
『……シャロ、デルタ、ニア、ライン、レイン。俺がリーダーになったときから、よく付いてきてくれたな』
『当然だよ』
『うん……』
シャロの答えに、デルタを含めた四人が頷く。
『ウェイス、ドロ、バッシュ、ヒラ、リッツ、レイ。お前たちの親をあんな形で帰して申し訳なかった。俺に今くらいの力があれば、死ぬ奴は一匹もいなかった……』
『気にしてないよ、オール兄ちゃん』
『そうだよ。お父さんとお母さんがいなくても、私たちは幸せだったから』
『なのなの。凄い楽しかったし、オールお兄ちゃんがいたから、生きてこれたの』
ウェイス、ヒラ、レイは優しい声でそう言った。
その回答に小さく笑って、今度はメイラムたちを見る。
『メイラム、アリア、ラムイム、ルース、レイア、レスタン。スルースナーと共に、よく俺たちと合流してくれた。お前たちがいなければ、子供たちはここまで大きくなれなかった』
『大袈裟、ですよ。オール様。スルースナー、が……優秀、だっただけです』
『メイラム。貴方も優秀なのよ。人間たちを助けたんだから』
『……そう、かも……しれないが……』
メイラムが謙遜しているのを、アリアが指摘する。
こいつがいなければ、友好的な関係は築けなかったかもしれないのだ。
スルースナーと同じくらい、メイラムは群れに貢献してくれた。
『……ヴェイルガ、ガルザ、ディーナ、デンザ。戦いの中で、お前たちには世話になった。今、礼を言う』
『当然のことをしたまでです! 僕たち一角狼はいつまでもオール様を慕います!!』
『……ヴェイルガ……』
『ううぅ……うわああん……』
泣き崩れるヴェイルガを、ガルザが慰める。
群れの中で、一番俺のことを慕っていたのはヴェイルガだ。
我儘な性格は何処へやら。
本当に成長したと思う。
『……セレナ。お前には一番助けられた。人間たちとの関係を繋いでくれたんだからな……。これから、ベリルと共に仲間たちを導いてくれ』
『……あいっ……!』
ぼろぼろと涙をこぼしながら、何とか頷いた。
ベリルが隣にいて背中を撫でている。
『……三狐。本当のことを教えてくれてありがとう。そのおかげで、あの戦いに勝てた……』
『『『隠していて申し訳ありませんでした……』』』
『気にするな……』
寂しそうに耳を垂らしながら、三狐は頭を下げた。
いろいろあったが、こいつらがいたおかげで群れの雰囲気が明るくなった。
憑りつかれた時は、驚いたけどな。
『……ベンツ、ガンマ』
『『……』』
『いや、お前たちには……何も言わなくても大丈夫か』
『分かってんじゃねぇか』
『フフッ……。兄ちゃんらしいね』
本当はもっと伝えたいことがあった。
もっと早く伝えておけばよかったと、少しだけ後悔してしまう。
一匹一匹としっかり、一日、話をしていればよかったかもな。
もうその時間もないのではあるが……。
『……ベリル』
『『『……オール様』』』
『……そうだったな』
俺は人間と契約をしていない。
故に声は届かないのだ。
だが、別に聞こえていなくてもいい。
俺が満足したいだけなのだ。
『『『待っていてください』』』
『……?』
「うお!!?」
「わぁ!?」
三狐がベリルとヴァロッドに飛び掛かる。
急に動き出した三狐に人間たちと仲間たちは大層驚いた。
三狐は二人の脚に爪で引っ掻き傷を作る。
爪には少しばかりの血が乗っていた。
それを俺の口に無理矢理入れこむ。
『む……。お前らなぁ……』
『『『これが最善です。最後くらい、人間と直接お話を』』』
「「……」」
『……それもそうか』
目を二人に向ける。
先ほどの声が聞こえていたのか、少し驚いているようだ。
……こうして話をするのは、本当に初めてになり、最後になるか。
『ヴァロッド、ベリル』
「そんな声をしていたのか、フェンリル」
『オールだ。そう呼んで欲しい』
「オール……さん……」
『俺たちを受け入れてくれたこと、本当に感謝する。お前たちがいてくれたおかげで……俺たちは子供たちを守ることができる。これからも末永く、この関係を続けて欲しい』
「勿論だオールよ。私が責任を持って……お前たちを守ろう……!」
「僕も、次期領主として誓います。この関係は、意地でも繋げて見せます」
『……ありが、と……う……』
短い会話だった。
だがそれを境に、俺の体が動かなくなる。
スルースナーも、急に動かなくなってしまったもんな……。
こういう感じだったのか。
瞼が重い。
ベンツとガンマが何か喋っている?
耳が聞こえなくなってんのか。
匂いもしなくなってきた。
(オール。改めて礼を言う。人間たちとの関係性を作り上げてくれたことに……感謝する)
やっぱり、上から目線だなぁお前は。
この声は聞こえているか?
皆今どうしてる?
(……泣いてるよ。人間も、仲間たちも等しくな。違う種族、違う認識、違う生活。何もかもが違うというのに、皆がお前のことを想って泣いている)
嬉しいことだな。
まさか自分がそんな立場になるなんて、今まで思いもしなかった。
ほんと、人生ってのは……いや、狼生っていうのは、分からないものだな。
で、オルオードはこれからどうなるんだ?
(循環に戻るだけだ。オールが死んだあと、魂が今いる仲間たちに乗り移る。その子供に、私の魂が宿る。何も心配することはない。……何か、伝え損ねたことがあれば、生まれ変わったあとに伝えるがどうする?)
えぇ?
いいよ別に。
死んでも未練たらたらみたいで嫌じゃんそれ。
もうあいつらは自分たちでやっていける。
これ以上何かを伝えても、蛇足になりそうだからな。
ていうかお前こそ、死に際の俺の会話を仲間に伝えて怒らせるなよ?
信じるかどうかも分かんねぇんだから。
(そ、それもそうだな……。気を付けよう)
うんうん。
あ、そういや俺ってこれからどうなるんだ?
もう魂だけの存在になってるっぽいけど。
(すまないが、私もそこまでは分からない。何せ特殊な条件下でお前がフェンリルの体に宿ったんだからな)
それもそうか。
あ、意識が……。
(時間か。さらばだオール。お前の意志は私が引き継ぎ続けよう)
意識が暗転していく。
声も遠くなり、静寂が広がった。
◆
パタン──。
分厚い本を閉じる老人が、孫と思われる子供の頭を撫でた。
彼は大きな椅子に座っており、机には書類がいくつか積まれているが、すべて終わらせているものらしい。
子供を膝の上から降ろしたところで、子供が笑う。
「面白かった!」
「そりゃよかったのお。古い歴史を知るのは良いことだ。フェンリルとワシら人間が仲良くなった昔話。さ、友達にも話しておいで」
「うん!」
大きく頷いた子供は、すぐに部屋から出て大声で友達の名を呼んだ。
それに満足しながら、老人は腰を伸ばして外へと歩いていく。
大きな庭には美しい緑が広がっており、そこには巨大なエンリルが座っていた。
側まで歩いて地面に座り、背をエンリルに預ける。
これがやはり一番落ち着くと、老人は大きく息を吸ってゆっくりと吐き出した。
遠くから子供エンリルと人間の子供たちが遊ぶ声が聞こえる。
平和だ。
そう心の中で呟いた。
『契約魔法も増えたわねぇ……』
「ああ……。今ではテイム、とかテイマーだとかいう言葉も増えたらしい。魔力で契約する場合はそう呼ぶんだと」
『私は好きじゃないわ。どちらから上の立場にあるなんて。それも人間の方が上に見える』
「ワシも同じ考えだ。従属ではなく協力が一番なのにのぉ」
彼が生きてきた中で、契約魔法は増えていった。
このライドル領が世界初の従魔契約を成し遂げたことが話題となり、他の魔物にも同じことができないかという研究が数多く行われてきた。
その成果はあったが、それはライドル領の民を喜ばせるようなものではなかったことを覚えている。
魔獣を従わせるテイム。
その職業をテイマー。
魔獣を調教する従属。
その職業を従魔師。
いろいろあるが……血印魔法は危険な物として外の国では取り上げられないらしい。
今でもこの魔法を使っているのは、このライドル領だけである。
『まぁ、人間は危険を冒したくない生き物だし、今更どうも思わないけど』
「そうじゃなぁ。そうだセレナ。今日は墓参りに行くぞ」
『あら、よく覚えていたわねベリル』
「当たり前だ。今日が命日、明日が宴会。準備するのはワシなのだから、覚えていて当然じゃろう」
『リーダーを崇める祭典だっけ? 堅苦しいわねぇ。リーダーはそんなの嫌だーって言いそうだけどね』
「石像も作ったんじゃ。守り神には、今年の作物を奉納せねば」
『ああー、それは喜びそう』
軽く話し合った後で、ベリルとセレナは立ち上がる。
どちらも歳を取った。
だがオールの命日であるこの日だけは、絶対に墓参りに行くと決めている。
彼が死んで大きく変わってしまったこともあったが、それは人間とエンリルたちが関係を築き上げた歴史に比べれば些細なことだ。
今の今まで昔ながらの伝統は守られ続け、それは後世にまで伝えられるだろう。
音を聞けば笑い声が聞こえ、周囲を見れば楽し気に生活する領民の姿が見える。
ベリルの姿を見つけて手を振る者は多い。
セレナの姿を見て集まってくる子供たちも多い。
こんな生活がいつまでも続けばいい。
そう静かに願いながら、ベリルとセレナはオールの墓へ続く道を歩いていったのだった。
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