7.32.宣戦布告
馬車の中で痛みに耐えている男がいた。
サニア王国から遥々やって来た、国王の息子、カレッド・イースア・デナトックスである。
フェンリルとエンリルの話を聞いて飛びついたはいいものの、いざ来てみれば片腕を食い千切られるという結果に腹を立てていた。
あのまま感情に任せて兵を動かそうとしたのだが、今回の護衛を担当する騎士団の一人にそれを止められてしまった。
その彼の名は……ゼバロス。
エンリルの毛皮を献上した褒美に、騎士団への昇格を許された男であり、その能力も認められて今ではカレッドの側近にまでのし上がった。
二年前にサニア王国に来たが、彼は元テクシオ王国に属していた人間だという。
素性はあまり分からないが、能力のある物を側に置かない理由はない。
しかし、今回ばかりはその指摘にカレッドは怒りを露わにした。
「ぐうぅ……! 何故だ! 何故この兵士を使わんのだゼバロス!!」
「ですから言っているではありませんか。ここにいる兵士だけでは、あのフェンリルには勝てません。だから一度体勢を立て直すのです。奴らに勝てる兵力をかき集めなければ」
「これだけの兵がいるのだぞ! 負けるというのか我が兵は!」
「負けますね」
はっきりと言い切ったゼバロスの言葉に、流石のカレッドも言葉を詰まらせる。
以前の話とは全く違う力を持っているフェンリルたち。
二年前であればそのまま狩ることができるだろうが、今は不可能だ。
あのフェンリルとエンリルの戦いを見ていればわかる。
だがこれは、ゼバロスにとって好都合な話であった。
というのも、カレッドがこうして怪我をするのは既に織り込み済みだったからだ。
最悪死んでも問題はなかった。
兵を動かす口実が欲しかったからだ。
ここにフェンリルがいるのが分かっているのであれば、それを逆手に取り二年前に狩ったエンリルの毛皮を見せれば、必ず奴らは攻撃を仕掛けてくる。
予想通り一匹のエンリルが怒りだし、こうしてカレッドの腕を噛み千切った。
これで、舞台は整ったのだ。
(完璧だ……。これでまた、あの毛皮を手に入れられる)
ゼバロスは二年前、冒険者たちにエンリルのことを話した。
その報酬として、狩ってきたエンリルの毛皮を受け取っているのだ。
重度の毛皮マニア。
それがこのゼバロスの本性である。
家には様々な標本から毛皮が転がっており、それを見てはいつもニヤニヤと口元を緩めていた。
そんな時にエンリルが出たというではないか。
狙わない理由がない。
だがあの時、研究者によってテクシオ王国の王が言いくるめられた。
それでは毛皮を手に入れることができない……。
だから王の言葉を隠蔽し、情報を冒険者に手渡したのだ。
自分の地位を捨てるのはもったいなかったが、報酬としてもらった毛皮をサニア王国に献上したらすぐに地位は取り戻すことができた。
今ではこの国が自分を守る行動をするように誘導できている。
初老ではあるが、魔法も剣の腕もそこそこにあるのだ。
他の冒険者に後れを取ったりはしない。
「まずは一度国へ帰り、この事を報告。そして兵を集めましょう。あの領地のフェンリルは勿論、それを庇う人間も危険な存在です。すぐにでも他国からの援軍が来ることでしょう」
「お、そ、そうか! そうか!」
他の国の人間は、毛皮の事を知らない。
エンリルの毛皮が手に入ると聞けば、誰もが躍起になることだろう。
問題はその領地を支配下に置いているアストロア王国だが……どうやら支援を打ち切ったらしい。
どういう経緯でそうなったのかは分からないが、話を付ければ敵対することはないだろう。
(まともな話をするつもりはないがな)
目的は誘導である。
あの領地の人間を何処まで危険視させるかが重要となってくる。
いくらエンリルが魔物を間引いてくれるとは言えど、魔物には変わりない。
人間に牙を向いてくるのであれば、討伐されるのは仕方がないことだと誰もが思うはずだ。
流れはこちら側にある。
それに、二年前のエンリル討伐隊に出陣したあの冒険者も、サニア王国に滞在しているのだ。
また同じ方法で、狩ることができるだろう。
あとは兵を集めるだけだ。
カレッドを攻撃した時点で宣戦布告をされている。
もうどうなろうと出兵は止められないだろう。
(さぁ……楽しい時間の始まりだ)
不敵な笑みを浮かべ、ゼバロスはライドル領の方向を見たのだった。
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