第22話 春日井桜子・あたしのせいかな

 春日井さんは高校の先輩の結婚式の帰り、同じく参列していた友達2人と喫茶店に入った。


 まったく土地勘のない場所で、乗りたい電車が来るのは数十分後。ハイヒールを履いた足を気遣いながら「疲れたねー」などと言葉を交わしているときに、ふとその店の看板が目に入ったのだという。


 店内はこじんまりとして庶民的な雰囲気で、ところどころに手書きのメニューが貼られている。お洒落とは言いがたいが、暖かみがあって落ち着く空間だった。彼女たち以外の客はいない。


 カウンターの向こうに若い女性がひとり立っていて、3人を見ると笑いかけてきた。


「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」


 3人は手近なテーブル席に着くと、置いてあったメニューをさっそく広げた。


「うーん、私コーヒーだけでいいかなぁ。お腹いっぱい」


「私も」


「私、炭酸飲みたいからレモンスカッシュにしようかな。皆いい? すみませーん」


 と春日井さんがメニューから顔をあげるまで、さほど時間は経っていなかったはずだという。


「はーい。少々お待ちください」


 女性の声が応えた。


 ところがカウンターの中には誰もおらず、代わりにコーヒーカップなどを納めた棚の横に、大きな絵が飾ってあるのに気づいた。そこに描かれている人物が、どうも先程の女性のような気がする。


「今どこから声した?」


「さっきの人、いないよねぇ」


 友達と店内を見回すが、人の気配すら感じられない。


 まるで女性が絵の中に吸い込まれてしまったような気がして、春日井さんは気味が悪くなってきた。


(いや、そんなことあるわけないでしょ……)


 とは思ったものの、正面に並んで座っている2人がやっぱり暗い表情をして、揃って眉をひそめているのを見ると、だんだん不安になってきた。


「ていうかさぁ、さっきあんな絵あったっけ?」


「わかんないけど……あの絵でかくない? 存在感やばくない? あったら気づいてるよね? 私気づかなかったよ?」


「いや、だからって突然現れるとかないし、気づかなかっただけでしょ……」


 そう言い合っていると、厨房らしきところからおばさんが出てきた。


「あらーお客さん! 気づかなくてごめんなさいね。この時間、私しかいないもんだから」


「え、他に女性の店員さん、いなかったですか?」


 春日井さんがそう言うと、袖をぐいっと引っ張られた。隣の席の友達だった。


「しーっ」


 おばちゃんは「いないわよ! 私ひとり!」と首をぶんぶん振ると、聞いてもいないのに物凄い勢いでメニューの説明をし始めた。結局その勢いに押されて、3人とも頼むつもりのなかったケーキセットを頼んでしまった。


「ねー、さっきさぁ」


 春日井さんはケーキを食べながら、何度か最初の若い女性の話を蒸し返そうとしたが、友達二人はその度に怖い顔で「しーっ」とか「聞かれるから」とか言うだけだった。


 そのうち本当に険悪な雰囲気になってきたので、春日井さんも追及をやめ、ひたすら美味しいのか美味しくないのかよくわからないモンブランとコーヒーを飲み下した。




 待ちかねていた急行電車に乗り込んでから、春日井さんは2人に「春日井、何やってんのよー」と散々文句を言われてしまった。


「あんたがあの若い方の女の話しようとする度に、カウンターの中の絵の女が、こっちをギロッと睨んでたんだよ? 何でやばいと思わないの?」


「いや、全然気づかなかったし……」


「うそー」


 帰りの電車の中では、2人がさっきの喫茶店の話で盛り上がるのを、春日井さんが黙って聞くという構図になった。


「春日井が何か言うたびに、絵の女がすっごい横目でさぁ」


「そうそう! すっごい怖い顔だった! 何とかってホラー映画に出てた時の○○みたいな」


「わかるわかる!」


 女優の誰に似ていると言われても、何しろ春日井さんはその顔を見ていないので、黙って聞いているより他にない。


 ところがいつの間にか、怖がっていたはずの2人の様子が変わって、


「美人だったよねー」


「うん、ほんとキレイだった」


などと、女性を賛美するような内容になってきた。


 電車を降りる頃には、「春日井、ほんとに見てないの? 損したね」などと言われるまでになり、春日井さんはどういう反応をしていいのかわからなかったという。




「そんでそれから急に、2人と疎遠になっちゃったんだよね」


 春日井さんは、居酒屋のテーブルに頬杖をついてぼやいた。


 例の友達2人と彼女とは、月に1度は遊びに行く仲だったのに、ふと連絡がとれなくなってしまったという。


 SNSも更新されなくなり、そろって仕事も辞めてしまったらしい。共通の友人たちからも、心配する声が聞かれるようになった。


 それから1年近くが経ったつい最近、春日井さんは知人から、あのときの友達のうちのひとりを見かけた、という話を聞いた。


 何でも、ある駅前通りにいたという。


 記憶が正しければ、例の喫茶店にほど近い場所のはずである。


「ねー、これってあたしがお店の中であーだこーだ言ったからかなぁ。2人がどっか行っちゃったの、あたしのせいかなぁ。どうしようシロくん、ねぇー」


 春日井さんは普段の明るい表情を潜め、落ち着かない様子でテーブルを指で叩きながら、こちらの顔を覗き込む。この話になると、彼女は人が変わったようになってしまう。


 もう一度その駅前に行って探してみたらどうですか、と勧めてみると、春日井さんは怖いほど真剣な顔になって、


「じゃあ、もしあたしがいなくなっちゃったら、今度はシロくんが探しに来てくれる?」


 と言った。


 もちろん断った。





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