第21話 春日井桜子・やめて


 あるとき、彼氏と別れた春日井さんは、失恋の痛手を癒すため、家の近所にあるファミリーレストランに入った。


 平日の深夜だけあって、店内は空いていた。


 そこで気の向くままにパフェをむさぼっていると、3杯目を食べている途中で、急にお腹がゴロゴロ鳴り始めた。


(やばいやばい……)


 急いでトイレに向かうと、幸いなことに個室に鍵がかかっていない。勇んで扉を開けると、中には春日井さんに顔から髪型から服装まで、何から何までそっくりな女が便器に座っていた。


 思わず数秒間見つめあってから、彼女ははっと我に返った。


「すっ、すみません!」


 反射的にそう言って扉を閉めたが、内心では(ええー!? ええー!?)と叫び声をあげていた。


 常識的に考えて、今の女性が自分であるはずはない。きっとたまたま、たまたま自分と物凄く似ている人が、トイレの鍵をかけ忘れていただけに違いない。すごい偶然だ。


 そんなことを考えながら、トイレの前で心臓が飛び出しそうにドキドキする胸を押さえて立っていると、トイレの個室からぼそぼそ声がする。


「……や……やめなよ……や……」


 よく聞こえないが、同じ文句をぶつぶつ繰り返している。その声も春日井さんにそっくりだ。どうも他人のような気がしなくて、思わず彼女はドア越しに、


「え? 何を?」


 と尋ねてみた。すると中から「やけ食いやめろっつってんだよ!」と怒鳴り声がして、中から叩かれたのか蹴られたのか、ドアがドカンと音を立てて震えた。


「ひゃっ」


 春日井さんが悲鳴を上げて離れると、外開きのドアが勝手に開いてきた。


 声も物音もしなくなっている。恐る恐る中を覗くと誰もいなかった。


 便意を忘れてしまった春日井さんはトイレには入らず、ぽかんとしながら自分の席に戻った。


 半分ほど残っていたはずのパフェが、すっかり空になっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る