第25話 陣内晴海・舌と8万円

 何かとおかしな人を惹きつけ勝ちな陣内くんは、大学入学と共に入寮した学生寮で早々にゲイの先輩に迫られた。あまりにしつこいので寮を出て、アパートで一人暮らしを始めることにした。


 このとき、お金がもったいないと思った彼は、家賃の安い古いアパートを借りたが、これが間違いの元だった。




 ある夜、熟睡していた陣内くんは、昔実家の近所で飼われていた黒犬にじゃれつかれている夢を見ていた。


 黒犬は彼の足にじゃれついて、しきりに靴の上から甘噛みしたり、足を舐めたりしてくる。


 そのうち「なんだか感覚がリアルだな」と思って目を覚ますと、ベッドの足元に頭の禿げかけた知らないおじさんがいて、陣内くんの足を舐めたり頬擦りしたりしていた。


 悪夢のような光景を目の当たりにした陣内くんが、「おおぅわあぁ」というような悲鳴をあげながら、思わず足を振り上げたところ、おっさんの顔に見事にヒットして鼻血が出た。陣内くんは枕元の携帯をひっつかみ、アパートの外に走り出ると警察を呼んだ。


 程なくして、おっさんの正体はこのアパートの大家の甥だということがわかった。大家の家から合鍵を盗み出したらしい。


 陣内くんはぐったりと疲れて、警察署から帰宅した。


 再びの引っ越しのことを考えながら郵便受けを開けると、パンパンに中身の詰まったポチ袋が入っていた。開けると汚い一万円札が8枚詰まっている。


 陣内くんはとっさに、例のおっさんの顔を思い出した。それでなくとも、拾得物として交番に持っていくべきだろう。いくら金欠といっても、手元に置いておくには、そのお金はあまりに不審過ぎた。


 しかし、あいにく泥のように疲れている。彼は何も見なかったことにして郵便受けを閉じ、部屋に戻った。その日は親しい友人に泊まりにきてもらった。




 翌朝、友人を見送ってから、陣内くんはしぶしぶ郵便受けに右手を突っ込んだ。もちろん、8万円の入ったポチ袋を回収するためである。


 その時、湿って弾力のある何かが、郵便受けに入れた手の表面を這い回った。おっさんの舌の感触が甦り、全身に鳥肌が立った。


「うわっ!」


 手を引き抜き、郵便受けの中を見たが、そこには薄汚れたポチ袋が入っているだけだった。


 引き抜いた右手の先はじっとりと濡れており、唾液の臭いがした。




 この事件の後、陣内くんはセキュリティのしっかりした学生マンションに移り住んだ。


 が、ここも1年もしないうちに引き払う羽目になることを、このときの彼は知るよしもなかった。

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