第24話 陣内晴海・うらみかわ

 加賀美さんから陣内くんに関する話を聞いたしばらく後、僕はようやく本人に会う機会に恵まれた。


 実物の陣内くんは、想像していたよりもずっと好青年で、朗らかな印象の子だった。


 21歳の大学生で、専攻は「大まかに言えば西洋の近代音楽史」だそうである。真面目で成績がよくてピアノが弾けてドラムも叩ける、アイドル顔の好青年だ。


 スペックはイケメンの陣内くんだが、神社でお御籤を引けば、必ずと言っていいほど凶を引く、禍々しい体質の逸材らしい。


「気を取り直して、もう一回引いてみなよって言われて引いたら、また凶が出たことありますよ」


 もう笑うしかない、と言いながら爽やかな笑みを浮かべていた陣内くんに、最初に聞いた話がこれだった。


 なお、話中に出てくる苗字は仮名であることをお断りしておく。




 陣内くんは高校生の頃、実家から高校までの道のりをバスで通っていた。


 その日は夏休みだったが、彼の通っていた高校は進学校で、受験対策の課外授業が毎日のように行われていた。午前中にみっちり勉強してから、午後は部活で揉まれ、くたくたになってバスに揺られているうちに眠ってしまったという。


 気が付くと、降りるべきバス停をいくつか通り過ぎていた。慌てて次のバス停で降り、時刻表の前で歩いて帰るべきか悩んでいると、誰かにシャツの裾を引っ張られた。


 小学校2、3年くらいの女の子だった。肩まで髪を垂らし、白っぽい、提灯のような形の袖のワンピースを着ていたのを覚えているという。


 実は陣内くん、このくらいの年の知らない子に話しかけられるのには慣れている。彼のお母さんが自宅でピアノ教室を営んでいるため、知らない小学生がしょっちゅう家に出入りしていたのだ。陣内くんは覚えていなくても、門下生の子が彼の顔を知っているということも多かった。


 そこでまず、「もしかして、ピアノに来てる子?」と聞いてみた。すると女の子は首を横に振って、こう答えた。


「うらみかわです!」


 珍しい苗字だな、と思ったという。


「どうしたん? お家近く?」


「〇〇町の三丁目」


 徒歩圏内の住所だった。夏とはいえ、すでに日が暮れかけている。この子を家に連れていかないと、と陣内くんは思った。


「お家帰らへんの?」


「入られへん」


「なんで?」


「怖いのがおって、入られへん」


 誰かわからないが、この子の苦手な人が来ているのかな、と彼は考えた。ともかく、こんな小さな女の子をバス停にひとり置いていくのは気がひける。家がわかっているのなら、交番に連れていくのはおおげさだ。


「ほな、お兄ちゃんがお家の前まで一緒に行ったろか?」


 陣内くんがそう尋ねると、女の子は嬉しそうに「うん!」と言って、彼の左手を掴んできた。




 女の子に案内されるまま歩いていくと、門構えの立派な、どっしりとした日本家屋の前に着いた。


「あれが怖い」


 門の上に付いている鬼瓦を指さして、女の子が訴える。門柱には「浦見川」と表札が掲げてあり、こういう字を書くのか、と思ったそうだ。


「鬼瓦やん。あれはこのお家のお守りやから大丈夫」


 そう言って促すが、なかなか女の子の足が動かない。表札の下にはチャイムがあったので、陣内くんはそれを押して家の人に来てもらうことにした。遅くなったから心配しているだろうと思って待っていると、少しして中年の女性が家から出てきた。


「どちら様でしょう?」


 上品な女性だったという。


「あの、浦見川さんのお宅ですよね? お子さんを連れてきたんですが……」


 そう言って左手の方を見ると、今までその手をしっかりつかんでいたはずの女の子がいない。


「あれ? どこ行ったんやろ」


 ふと手を見ると、まったく痛みがないのに、掌に縦にまっすぐな傷ができていた。


「おらん! うちに女の子なんかおらん!」


 突然の怒鳴り声に振り向くと、女性が般若のような顔をしていた。


「うちにはおらん! 帰って!」


 呆気にとられている陣内くんの鼻先で、玄関の扉が閉まった。


 仕方なく、出血し始めた左手にタオルを当てながら家まで帰ったという。




「俺、確かに『お子さんを連れてきた』って言ったと思うんですけど、何で女の子だとわかったんでしょうね」


 何を連れていったのかはわからないが、浦見川家は今も同じ場所に建っているという。


 陣内くんの左の掌には、その時の傷が手相になって残っている。

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