第30話 陣内晴海・君が使ってる
これは、陣内くんが高校生の頃、まだ実家で暮らしていたときの話だという。
陣内くんは実家の2階の端の六畳間を、自室として割り当てられていた。
ある春の日、部活で疲れて帰宅した陣内くんが、ベッドに勢いよくひっくり返ったところ、バキッという音と共に身体が沈んだ。10年以上、毎日のように使っていたベッドの底が抜けたのだった。
この状態では眠れない。親に相談して、新しいベッドを買おうということにあった。
しかし希望通りに進学できれば(実際その通りになったのだが)、来年から実家を出て一人暮らしをする予定の陣内くんである。実家に置いていく新しいベッドには、あまりお金を使いたくない。
そんな風に思っていたところ、自宅からほど近いリサイクルショップで、手頃な価格のベッドを見つけた。
それまで使っていたものよりかなり高さの低い、いわゆる「ローベッド」というものだった。使い勝手は前のものと違うだろうし、ベッドの下に物を置くのも難しい。ただ新しくて状態はいいし、見た目もお洒落だった。
迷ったが、まぁ安いならいいか、とそのベッドを購入することにした。
いざ新しいベッドを使い始めてみると、思った以上に快適だった。いいマットレスなのか寝心地はいいし、高さがあまりないので部屋が広く見える。いい買い物だったな、と陣内くんは思った。
ところが購入から数日後の夕方。陣内くんが高校から帰宅し、自宅の門扉をくぐろうとしていたところ、「ねえねえ」と声をかけられた。
振り返ると、知らない男性が立っていた。大学生くらいの若い男だった。
背が高く、整った顔をしているが、どことなくすさんだ雰囲気を醸し出している。モノトーンの、派手なストライプのジャケットを着ており、男物の香水の匂いが鼻をついた。
「君さぁ、1週間くらい前に×××って店でベッド買ったよね?」
ベタベタした、妙に馴れ馴れしい口調だった。
イラッとした陣内くんが「はぁ?」と返すと、男は自慢話でもするような調子で続けた。
「あれさぁ、俺が使ってたベッドなんだよね」
「はぁ……それで、何ですか?」
返してほしいとでも言うのだろうか? と思って、陣内くんはとりあえず話を聞いていたが、
「いやー、どんな人が使ってるのかと思って、見に来たんだよねぇ」
という言い分と男のニヤニヤ笑いを見た途端、あ、関わらない方がいい人だな、と直感した。
「何の話かわかんないんで」と言いながら門扉をくぐり、玄関に飛び込もうとする背中を、男の声が追ってきた。
「君が使ってるんだよねぇ! 嬉しいなぁ! あれ俺が寝てたベッドだから!」
背筋を虫が這いあがるような悪寒を覚えながら、陣内くんは自宅に入って鍵をかけた。
リビングの窓からそっと覗くと、男はきびすを返して、どこかに去って行くところだった。
その時はほっとしたのだが、それ以降、度々その男が陣内くんの前に現れるようになった。
帰宅時間に合わせて自宅付近にやってくるので、陣内くんは帰宅時間をずらすことにした。すると、まだ日の高いうちから家の前で待っている。
この時はさすがに不審すぎたので、陣内家のお母さんに110番通報された。警官に注意されて以降、家の付近では見かけなくなったが、今度は高校付近をうろうろするようになった。
「あいつ、私と同じ大学の学生らしいわ」
地元の大学に通う陣内くんのお姉さんが、そんな情報を持ってきた。
「同じサークルの女の子につきまとって、相手にされないから殴ったかなんかしたんやて。そんで治療費とか慰謝料とか請求されて、サークルでもハブられて、今全然学内で見ないらしいけど。慰謝料とかでお金がないから、ベッドも売ったんと違う? あはははー」
そう言ってお姉さんは笑った。
そういえば例の男は、いつも同じストライプのジャケットを着ていたな、と陣内くんは思い出した。あれもお洒落というよりは、ただ着たきりなのかもしれない。
「何で俺に絡んでくるんやろ」
「さぁー?」
陣内くんの姉は、大学のミスコンを制覇したこともある美人だ。それを差し置いて自分に付きまとってくる男が、彼には余計に不気味だった。そもそも、どうやってベッドを買った人物を特定したのかもわからない。それも何となく嫌な感じがした。
元々変な人に好かれることの多い陣内くんは、「ヤバい人」には免疫がある。そのため、この期に及んでもまだ男をスルーし続けていた。が、高校でも男が「不審人物」として話題になりかけているのを知って、さすがの彼も「そろそろ警察に相談した方がいいかな」という気持ちになってきた。
ちょうどその矢先、さっぱり男を見かけなくなった。
安心した反面、気味が悪かった。どうして付きまとうのを止めたのか、まったくわからなかった。
男に付きまとわれるようになってから、陣内くんは例のベッドで寝ることをやめ、床に布団を敷いて眠っていた。完全に無駄な買い物になったわけだが、それでもそのベッドで寝るのはどうしても嫌だった。
男の姿を見なくなってからも、その習慣は続いていた。ベッドの上は、完全に物置と化していた。
男を見かけなくなって1週間ほどが過ぎた頃、自室で眠っていた陣内くんは、突然夜中に目を覚ました。
家族の誰も使っていないはずの香水の匂いが、部屋中に漂っていた。
手をついて起き上がると、なぜか自分がベッドの上に寝ているのに気付いた。常夜灯の下で、ベッドの上に放り出していた服が、布団の上に散乱しているのが見えた。
「なんで……」
困惑していると、突然左腕を強い力で引っ張られた。ふいを突かれて、彼はベッドの下に転がり落ちた。
ローベッドの下、ほんの10センチほどの隙間から、派手なストライプ柄が覗いていた。
目を離せずにいると、その柄の間から、間延びしたような男の顔がぬるりと現れた。
「うれしいなぁ」
引き伸ばしたような低い声が耳元で響いた。
陣内くんは生まれて初めて失神した。
次の日、陣内くんは自室と物置を交換してもらった。
それからまた何日かが経った頃、男の名前が新聞に載った。大学近くの山の中で、首を吊っているところを発見されたという。小さな記事だった。
ローベッドは粗大ごみとして捨てた。
以来、陣内くんはどんなにお金がなくても、中古の家具は買わないと決めている。
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