第28話 陣内晴海・菊を贈る
陣内くんの、お化けではないけど怖かったという話をもうひとつ。
何かと変なことに巻き込まれがちな彼が、ある事情で安アパートを出て、なるべくセキュリティのしっかりした学生専用マンションに移り住んだ後の話だという。
大学では軽音楽部に籍を置いている陣内くんだが、その日は同じ大学のオーケストラの定期演奏会に、エキストラとして参加していた。畑違いのような気もするが、「俺はドラムなんで、オケとかブラスにスネア叩きに行ったりしますよ」とのことである。
終演後、片付けとミーティングを終えて会場を出ようとすると、オーケストラ部の部員に声をかけられた。
「ハルミン、花束届いてるよ」
「花束?」
確かに、観客から出演者への花束のプレゼントは多い。
ステージ上の出演者に直接渡すことはできないため、花束や差し入れなどを持ってきた人は、渡してほしい人と自分の名前を告げて、受付で預かってもらうことになる。人数の多い部だったため、受付に置かれた長机には、それらのプレゼントが満載されていた。
が、エキストラとして1曲乗っただけの陣内くんに、花束を贈ってくれる人の心当たりはない。それでも確かに、彼宛に届いているという。
花束はそう大きなものではなかったが、一風変わった存在感を放っていた。
「ちょこちょこっと葉っぱとか、小さい花なんかは入ってるんですが、ほとんど菊なんですよ。赤い菊」
大輪の菊が何本も、少し紫がかった赤色の花弁を広げていた。
菊がメインといっても、仏花を連想させるような感じの花束ではない。とはいえ正体不明の差出人と暗い色合いが相まって、何となく嫌な感じがした。
貼り付けられていたカードには、差出人の名前とIDが書かれていた。同じ大学の、ひとつ上の学年らしい。
名前は男性のものだった。変わった苗字だ。よく考えてみたが、心当たりがない。
「知らない人なんですけど……これ、俺宛で合ってます?」
「そうなの? うーん、ちょっと皆に聞いてみようか。それにしてもこれ、菊? 赤い菊なんてあるんだねぇ」
花束を持ってきた部員は、感心するようにそう言った。
「で、その人が周りに聞いてくれたんですが」
送り主と同じ学年の部員中心に聞いて回ったらしいが、はかばかしい返事はもらえなかった。
「確か、同じ授業とったことがあるけど。ラグビー部かなんかの、身体のでかい男じゃない?」
そう答えた部員がいたものの、陣内くんはその人物と知り合いどころか、面識もなかった。
困惑する彼を見かねて、花束を持ってきた部員が、
「よかったらもらっていい? 部室に飾るからさ」
と提案してくれたので、有り難くそうさせてもらった。
赤い菊の花束は、オーケストラ部宛に届いたいくつかの花束と一緒にされて、部室の大きな花瓶に活けられた。他の花々に混ざると、その異様なまでの存在感は薄れてしまった。
その様子を見た陣内くんは、なんとなくほっとしたという。
「知らない人から花束もらうって、何か怖いじゃないですか。しかも男からだし。菊ってのもなんかアレだし」
仏花とかではなく、アレだ。
たまたま花に詳しい人から、「赤い菊の花言葉は『あなたを愛しています』だね」と言われた陣内くんは、ますます落ち着かない気分になった。
真面目な陣内くんだが、人並みに女の子とは付き合いたい。しかし彼氏はいらない。むしろ困る。というか、ゲイの先輩にしつこく絡まれて学生寮を退寮した経験から、トラウマがあると言ってもいい。
幸い、その後1週間ほどは何事もなかった。
ところがある日、陣内くんがロッカールームに教科書をとりに行くと、扉の隙間に紙が挟まっていた。
「花束受け取ってくれましたか」
とだけ書かれていた。
簡潔なだけに気味が悪かった。
後で捨てようと、丸めてポケットに突っ込み、ロッカーを開けた。
背筋がぞっとした。
鍵がかかっていたはずのロッカーの中に、赤い菊の花が一輪入っていた。
ふいに、誰かに見られているような気持ちがした。近くのゴミ箱に手紙と花を捨てると、陣内くんはロッカールームを飛び出した。
陣内くんは、その日は授業が終わり次第、すぐに自宅に帰ることにした。幸い部活もアルバイトもない日だった。
大学から歩いて10分くらいのところにある、3階建ての学生専用マンションの2階に彼は住んでいた。
部屋に着いたら、とりあえず近くに住んでいる友達に来てもらおうかと考えながら、陣内くんは家路を急いだ。ひとりでゆっくり考えたいことがあるのに、本当にひとりになってしまうのは怖かった。
マンションの部屋は、玄関を開けると短い廊下があり、その途中にトイレと風呂のドアがある。陣内くんは鍵とチェーンをかけて、とりあえず一息ついた。
顔を上げると、廊下の先にある居室が目に入る。
明らかに様子がおかしかった。
靴を脱ぐと、陣内くんは廊下を抜け、居室へと急いだ。
部屋の至るところに、赤い菊がばらまかれていた。
立ちすくんでいると、背後でドアの開く音がした。
振り向くと、トイレのドアの陰から、大柄な男の姿が現れるところだった。
「いや、もういいよ……無理して辛い話をしなくても」
そう言って一旦話を止めると、陣内くんに怒られた。
「いや、もうちょっと聞いてくださいよ! ここで終わると誤解が生まれるから!」
とは言ってもマンションに他に部屋はなく、出口は玄関しかない。進退窮まるとはこのことだろう。
「まだ窮まってないから! ベランダに出て、パーテーション破って隣の部屋に逃げたんですよ!」
何度か顔を合わせたことのある隣人は、驚きながらもすぐに陣内くんを中に入れてくれた。
とりあえず事情を説明しなければ、と思いながら息を整えていると、ふいに重たげな音が響いた。
部屋に侵入していた男が、陣内くんの部屋のベランダから身を投げていた。
救急車が呼ばれたが、さほどの高さでもなく、一命はとりとめた。
「だからあのときは、向こうのご両親が来たりして、警察に通報するのしないのって話になったり、大変でしたよ」
ずいぶん面倒なことになったようだ。
「とりあえず引っ越しました。相手のご両親にお金出してもらえたんで。ロッカーもだけど、何で鍵が開いてたのかよくわかんなかつたんですよね。死んでないにせよ、ベランダから人が飛んだってのもさすがに気持ちが悪いし」
相手は大学を辞めて、実家のある地方に帰ったらしい。
故郷は遠方だそうで、正直そうしてくれてよかった、と陣内くんも思っているそうだ。
ところでここまで聞いて、以前聞いた話をふと思い出した。
「ああ、そういえば前に加賀美さんに聞いたんだけど、『ゲイのストーカーに追いかけられてる』って、その人のこと?」
「いや、それは別の人です」
即答だった。難儀な奴だ。
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