第27話 陣内晴海・一枚

 陣内くんが『8万円』のアパートに住んでいた頃の話をもうひとつ。

 ちなみにお化けの話ではないようだ。




 アルバイトを終えた陣内くんが、電車のつり革に掴まっていると、目の前の座席に座っている女性が、ちらちら見てくるのに気づいた。


 彼よりもやや年上らしい社会人風の女性で、ちょっとお目にかかれないくらいの美人だった。


 陣内くんが下を見ると、さっと視線をそらすのだが、どうも気のせいだという気がしない。


 まぁ相手が美女なので、そこまで嫌な気分でもなかったという。


 そうしているうちに、自宅の最寄り駅に電車が着いたので、陣内くんは電車を降りた。


 駅から出て、何だか雨が降りそうだなと空を見ていると、後ろからコートの袖をちょんちょんと引っ張られた。


「すみません、ちょっといいですか……」


 先ほど電車の中で、彼をちらちら見ていた女性だった。電車の中ではほぼうつむいた顔しか見えなかったが、ちゃんと見れば見るほど清楚な美女だ。


 普通の男だったら喜ぶところだが、陣内くんは違った。


「俺、時々知らない人に呼び止められて、『すごいもの憑いてますね』とか言われること多いんですよ……『あんた死ぬよ!』って言いながら占い師のオバちゃんが走ってきたりとか」


 ちなみにその時は、怖いので無視して逃げたらしい。


 ともかく、その美女もそのテの人ではないか? と彼は思った。


 だが違った。


「突然で申し訳ないんですけど……あの、さっき電車で、私の前に立ってた方ですよね? 私いつもこの沿線じゃないんで、このまま会えなくなったら嫌だと思って、声かけてしまいました。スミマセン」


 占い師には驚愕される陣内くんだが、見た目はイケメンである。美女に逆ナンされてもおかしくはない。


 その女性は頭をぺこぺこ下げながら、こう言ったという。


「あの……ほんと失礼なんですけど、爪剥がせてもらえません?」


 聞き間違いかと思ったそうだ。


「は?」


「あの、爪剥がさせてもらえませんか! 一枚だけでいいですから!」


 突然、女性が堰を切ったようにしゃべり始めた。


「ほんとに、ほんとに一枚だけでいいんです。ねっ? 利き手じゃない方でいいですから、親指の爪がいいんです。あのね、前まで剥がさせてくれる人がいたんですよ? でもね、死んじゃったの。ちょっとほっといたら死んじゃったんですよ? ありえないでしょ? だから最近全然剥がせてなくて、もう全然ね、だからもう、剥がさないと駄目なの! 爪なんてまた生えてくるでしょ? ねっ、全然生えてくるんだし、ねっ! ちょっとですから!」


 そう言いながら女性の目がきらきらと輝き始め、頬に赤味がさしてきた。


「爪の話になった途端、いきなり凄いキレイになったんですよ」


 これは関わったらあかんやつや。陣内くんの本能がそう告げる。


 彼は女性の手を振り払うと、後ろも見ずに走り出した。


 大通りに出ると、たまたまやってきたバスに飛び乗った。バスの中で友達に連絡をし、その日は彼の家に泊めてもらった。




 数日後、陣内くんの自宅のポストに封筒が入っていた。


 宛名も、差出人の住所や名前も書かれていない、無地の白い封筒だった。


 開けると、中から白い便箋とティッシュの塊が出てきた。


 ティッシュの中には、よく手入れのされた、形の綺麗な生爪が一枚くるまれていた。


 便箋には、


『一枚あげますから』


 とだけ書かれていた。




「いらんわ! と思いましたけど、一応しばらくとっときました。もしストーカー化したら警察に相談しようと思って、その時証拠になるかと」


 変な人に免疫ができ過ぎた感のある陣内くんは、この程度ではまだ引っ越しを検討しなかったようだ。

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