第17話 谷中礼一・床下

 谷中礼一やなか れいいちは僕の小中の同級生で、大人になってから再会し、なんとなく交友が復活した。無口で表情に乏しいので誤解されがちだが、実は心優しく、動物や人間の赤ちゃんなどのかわいいものに滅法弱い。


 努力家で、中学から始めたというギターは、アマチュアながらかなりの腕前に達している。とにかく地道な努力というのが得意な男だ。


 ちなみに近年では、カフェの店員さんに一目惚れし、通いつめて少しずつ少しずつ距離を詰め、とうとう先日入籍した。地道というより粘着質なのかもしれないが、彼は今とても幸せそうである。


 そんな谷中に、僕は以前「怖い話ないか」と聞いたことがある。


 ダメ元のつもりでいたら、「あるよ」という返事が返ってきた。




 最初にその話を聞いたのは、3年ほど前のことだった。まだ谷中が独身で、一人暮らしをしていた頃のことだ。


「今住んでるマンションだけど、時々下からドンッてされるんだよ」


 彼は相変わらず表情に乏しい顔で言った。


「下に住んでる人が怖いって話か?」


「俺の部屋1階だぞ。下に住んでる人なんかいないって」


 バンドの練習でギターやアンプを持ち運ぶ谷中は、移動を少しでも楽にするため、マンションの1階に住んでいた。


 住み心地は悪くないが、3日に1度くらいの頻度で、床下から音と共に、何かで突き上げるような衝撃を感じるらしい。


「俺も一日中家にいるわけじゃないし、一人暮らしだから、昼とかにもっとやられてんのかもしれないけど」


「気持ち悪くないの?」


「そんなに害はないからなぁ。無視してる」


 谷中は胆が太いというか、鈍感というか、昔からそういうところがあった。




 そんな谷中が突然引っ越したのは、それから1年ほど後のことだった。


 引っ越し祝いを兼ねて遊びに行くと、続報を聞かせてくれた。


「有休とって掃除してた時に、フタみたいなの見つけたんだよ」


「有休とって掃除?」


「ストレス溜まってると、徹底的にやりたくなんだよ。有休余ってたし。そんで、網戸と台所の掃除してた」


 基本的にマメな性格なのだ。


 谷中の部屋には備え付けの冷蔵庫があって、引っ越してからこの方、一度も動かしたことがなかった。さぞ埃が溜まっているだろうと思って移動させたところ、下に小さな扉のようなものがあったという。


「なんか、床下収納のフタみたいなやつ。そんなもんあったなんて知らなかったけど」


 ためしに取っ手を引っ張ってみると、開いた。


 下を覗きこんでみたが、思いの外深い上に、暗くて何があるのかよく見えない。ただ、嗅ぎ覚えのある青臭い匂いがした。


 気になった谷中は、懐中電灯で照らしてみることにした。


「畳があった」


 まだ新しい畳が、床下に敷かれていた。


 あたかもその空間が、普通の部屋として使われているように見えた。


 谷中が懐中電灯を動かそうとしたところ、光の輪の外、見えない暗がりから、畳を擦る音が聞こえてきた。


 慌てて懐中電灯を引き上げ、蓋を閉めるまでの間、激しく動く光の輪の中に、確かに一瞬、影のような人の姿が映った。


 冷蔵庫を押して、蓋を隠した。直後、下から突き上げるような、ドンッという音と衝撃があった。


 全身の毛が逆立った。


 谷中は財布と携帯と一番高いエレキギターを持って部屋を飛び出すと、そのまま彼女(現在は奥さん)の家に逃げ込んだ。


 その晩、引っ越しを決めた。




「やっぱ気になるから、管理会社に聞いてみたんだよ。地下に部屋みたいなのがあるんだけどって」


 答えられない、の一点張りだったが、敷金は全額返ってきた。


「冷蔵庫戻す時に、床にものすごい痕がついたはずなんだけどな。急いでたから」


 口止め料と思って、それ以上聞くのは止めたという。




 ちなみにそのときも、そして結婚した現在も、谷中の部屋は2階より上である。

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