第8話
「土曜日だったかしら。電話で様子がおかしかったから心配してたのよ」
コーヒーを出しながら、彼女の姉が口を開く。
「最後は返事もせず電話を切って。あんなこと初めてだったからびっくりしちゃって」
俺の知っている彼女も、決してそんなことはしない。
「電話の内容って、聞いてもいいですか?」
「ええ。その日の新聞に事故の記事があってね。その死んだ人が父と同じ名前だったの」
「えっ?」
彼女の父親は、確か小学生のときに死んだと聞いた覚えがある。
「玲は、それが父親だと思って私に電話してきたの。私も最初そう思ったんだけど、母に聞いたら年齢が違うから父じゃないって」
どういうことなんだ
死んだ父親が死んでなくて、死んだと思ったら別人?
俺は何を言ったらいいのか分からなくなり、コーヒーを飲んだ。
「あの子は」と、姉が話を続けた。
「父親をとても嫌っていてね。父は私が小学校六年だから……玲が二年の時に家を出て行ったんだけど、それ以来一度も父のことを口にしたことがなかったの」
「出て行った……」
死んだのではなかったのか。
「ええ、とても優しい父だったわ。お酒が好きでたまに大声出したりしてたけど、なぜあんなに嫌っていたのか。父が出て行った理由もよく分からないのよ」
何だか不思議な話だ。分かったような、何も分からないような。
「お父さんは何歳なんですか?」
どうでもいい質問をしてみた。
「今年五十七歳らしいわ。記事の人は六十二歳だったと思うわ」
五十七歳。彼女の課長と同い年だ。
「そういえば」
思い出したように姉がつぶやく。
「夢で新聞を見たとか……いや、父を見たのかな? なんかボソボソ言ってたのよね。よく聞き取れなくて、どうしたのよって聞いたら、返事もせずに電話を切ってしまって」
――夢
その言葉に背中がゾクッとした。
何だか後ろが気になり振り返と、戸の隙間から小さい女の子が俺を見ていた。
「こ……こんにちは」
「こんにちは」
その子はにっこり笑って行儀よくあいさつをした。
この子は夢で見た姉妹の下の子か?
「あら。入ってきちゃったのね。今日は少し咳が出るから幼稚園をお休みしたのよ」
「お子さんはこの子と――」
「ええ。四歳になるこの子と四月に小学生になる姉の二人。二人ともあの子にはよくなついていて……本当にどこに行ってしまったのか」
姉には彼女の行方がまったく分からないようだ。
そうなると、いつまでもここにいても仕方ない。
「あの、玲さんの友達を誰か知りませんか?」
「高校時代からいつも一緒にいるお友達が二人いるわ。ちょっと連絡先を調べてみるから待っててね」
そう言って姉は部屋を出て行った。
女の子と二人残った俺は戸惑っていた。子どもは苦手だ。
「えっと……あの……」
「ねえ」
その声は、先程まで無邪気な笑顔で母親に寄り添っていた姿からは想像できないほどに大人びていた。
「ねえ。おにいさんはおばちゃんのコイビトなの?」
「えっ?」
いまどきの幼稚園児はこんなこと聞くのか。
「違うよ。お兄さんは君のおばちゃんと同僚……えっと、同じ会社で働いているんだよ」
焦ったように女の子が重ねて聞いてくる。
「コイビトじゃないの? 違うの?」
「うん。どうしてそんなこと聞くんだい?」
女の子がうつむいて何かつぶやいた。
「――がえ……」
「えっ? なに?」
はっとして上げた顔はもう、無邪気な笑みを浮かべていた。
「ううん。なんでもない。おにいちゃん……またね」
そう言い残してどこかへ行ってしまった。
「…………」
気が付いたら全身に力が入っていた。
手の平にすごい汗をかいている。
やっぱり俺は子供が苦手だ
「お待たせしてごめんなさいね。これお二人の電話番号ね。玲のこと、どうかよろしくお願いします」
彼女の姉が深々と頭を下げる。俺も頭を下げながら礼を言い、家をあとにした。
なんだか気が重い。
車に乗り込み帰る様子を二階の窓から見ながら、小さい女の子がもう一度つぶやく。
「――まちがえちゃったかな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます