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怪しいおじさんに押し込まれるようにして中に入ったお化け屋敷は、最初こそ不気味な感じがしたけれど、中身は普通のお化け屋敷だった。
よくあるモーターで動くお化けの仕掛けが爆音と一緒ににょいーんと伸びる仕掛けがあるだけだった。
なんとなく次に脅かしてくるのが雰囲気で分かるし、脅かし役の人がいるわけでもなかった。
入り口の怪奇現象のような出来事にはどうなるものかと思ったけれど、なんということはない、一般的なお化け屋敷だ。ほっとしたようで、ほんの少しだけ残念でもあった。
実を言うと僕は別にお化け屋敷が怖いわけじゃない。むしろ昔は好きな部類のアトラクションだった。
でも、子供の頃に一度だけ女の子とお化け屋敷に入ったことがあって、そのことを否が応でも思い出してしまうから……嫌なんだ。
確かあれは近所の子ども会のイベントか何かで、たまたま近所に住んでいた女の子と一緒にお化け屋敷に入ったんだ。
咲ちゃんというその女の子は、ちょっと恥ずかしがり屋でよく緊張して固くなる子だった。あまり目立つタイプじゃなくて、僕もその時一緒になって初めて同じクラスの子が近所にいることを知ったぐらいだ。
でもそんな彼女の毒の無い雰囲気は皆から好かれていた。いつも気がつけば周りに誰か友達がいて、咲ちゃんが1人でいる所はあまり見たことなかった。
なんというか、放っておけないタイプだったのかもしれない。
……ところで、吊り橋効果ってやつを聞いたことがあるだろうか。
怖い場所で一緒に過ごした男女は、そのドキドキを恋におちたと勘違いしてしまうってやつだ。若き日の僕は「いやそんなの嘘だろ」と鼻で笑っていたけれど、その日を境にそれが本当だという事を知った。
つまり恋に落ちてしまったわけだ。
咲ちゃんと入ったそのお化け屋敷は内装も結構グロテスク気味な、本当に子どもが入っていいのかと思うぐらいの怖さだった。
仕掛けもどうなってるか分からない不思議なお化け屋敷で、怖いのが苦手じゃなかった僕でもちょっとびびってしまった。
あの時、咲ちゃんは僕の服の裾をぎゅっと持って、涙目で僕を見上げてたっけ。
なんか僕も手を差し出して「大丈夫だよ」なんて言っちゃって。
その日を境に、何故だか咲ちゃんのことを妙に視線で追ってしまうようになったんだよな。
ふぁー! 思い出したら恥ずかしくなってきたぜ。
いや、でも本当に恥ずかしいのはその後だ。
恋に落ちてしまった後、僕がどうしたか。
それが、結局告白しないまま終わってしまったんだ。
学年が上がっても、中学生になっても、ついに進路が分かれるその時も。それも何度か一緒のクラスにもなったことがあったりしたにもかかわらず。僕は自分の気持ちを打ち明けることはしなかった。
怖かったんだ、失恋してしまうことが。
だから拒否されるぐらいなら、最初から近づかなければ良いと思ってしまった。
高校生になって学校が離れても、たまに近所のスーパーや駅のホームで咲ちゃんを見かけた。もちろん気付かないふりをした、だって咲ちゃんもそんなに親しかったわけでも無い奴に話しかけられたら迷惑に思うかもしれないから。
高校生になった咲ちゃんは、見るたびにかわいくなっているような気がした。きっとあれじゃよくモテるに違いないと思った。
そしてついにある時、偶然にも、咲ちゃんが同じ制服を着た男子生徒と電車の中で話しているのを見かけてしまった。なんだか咲ちゃんよく笑っていたし、なんというか、なんだ、その……親しげな感じだった。
きっと彼氏ができたんだと悟った。
その日から、朝は早起きして電車の時間が被らないようにした。近所の道を歩くときも、なるべく下を見て人影が視界に入らないようにした。買い物はできるだけネット通販で済ませるようにして、大学は遠く離れた場所に願書を出した。
そうしていくうちに、僕はだんだんと「咲ちゃんが幸せだったら別に誰と付き合おうが結婚しようが構わないよね」と自己催眠のように思いこませるようになった。
ところがどっこい。そのくせ大学生になった今も無意識に、どこかに咲ちゃんがいないか未練がましく探している時があった。例えばゼミの飲み会で入った居酒屋とか、駅のホームとか、ニュースのインタビューの背景とか。そりゃもちろんそんな所にいる可能性なんて隕石が頭の上に降ってくる確率より低いってことはわかってる。
理解しているはずなのに、そこに咲ちゃんがいなかったことをどこか心の底でがっかりしている自分もいる。
こんなことならまだ失恋してすっぱり諦められた方がマシだった。
とはいえ、今さら連絡して告白してふられるのも怖い。それにこの、言わば粘着質な彼女への想いも、自分自身でストーカーみたいで気持ち悪いと思うふしもあった。
だからもう、忘れたかったんだ。
咲ちゃんの存在も何もかも、最初から無かったことにしてしまえばいい。
だからいろんな思い出がある地元には帰りたくなかったし、それに……くそぅ、もうお化け屋敷に入ることになるなんて無いと思ってたのに。
そんなことを悶々と考えていると、横から飛び出してくる河童たちにも、おどろおどろしいBGMや効果音も、全くと言っていいほど気にならなくなっていた。
今頃、咲ちゃんなにしてんのかな。
気がつくと目の前にドアが見えた。[入口か出口]と赤いペンキでへんてこりんなことが書いてある。
あのおじさんが言っていた「人間にとって本当に怖いもの」ってのは何なのかよく分からなかったけれど。もうゴールなのかな。
扉に手をかけると同時に、天井のスピーカーから『よぉ兄ちゃん、楽しかったかい?』と、音の割れたおじさんの声が聞こえた。
『人ってのは自分の想像力が怖い生き物さ。だから墓地にお化けがいるという話を聞けば墓地が怖くなるし、いるかもしれないという思い込みで枯尾花に幽霊を見る。そんなのいやしないって分かってても、想像しちまう、自分で恐ろしいことを想像して動けなくなる。それが怖さの本質だ。兄ちゃんは何を想像したんだい?』
おじさんには申し訳ないけれど、僕は何も怖いものを想像してなかったな。
ドアの取っ手を持って押し開ける。
外は濃い夏の夜の匂いがした。
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