第3話


 怖くてずっと避けていたこと、その話題に今ようやく俺は触れる決心をした。


「なあ、サラン。

 ずっと気になっていたんだ。

 ここを出ていった人たちは一体どこに行くんだ?

 それにどうして、ここに来た人は皆、同じ年の場合同じ誕生日になる?」


 ここには日本のような戸籍なんて存在しない。だから、本人がこの日が誕生日だと名乗ればそれが正しくなる。まあ、それがいつでも通用するわけないが。そしてこの孤児院、誕生日は勝手に設定される。たいてい、その年齢の中で最初にここにやってきた人の誕生日に合わせるのだ。だから、皆同時に成人に達する。


 俺の質問に、サランは俯く。やっぱり、何か言いづらい内容、なのだろうか。これ以上せかすことはできなくて、ひたすらサランの次の言葉を待つ。そして、うつむいた顔を上げ、こちらを見る。その緊張感に俺も自然と息をのんだ。


「……俺も、知らないんだ」


 ……は? 今なんて言った? 知らないって……いやいやいや、どういうこと? 先ほどまでの話の流れとして、何か厳しいことが待ち受けているんじゃないのか。それこそ……。


「くっ、は、あは、ははは」


「サラン」


 おい、なんでそこでお前は爆笑しているんだ。俺の先ほどまでの気持ちをかえせ。こっちがにらんでも全く気持ちが入っていない、ごめん、としか返ってこないし。早く説明しろよ。


「は、はは。

 まさかハールがあんなぽかんとした顔をするとは思わなかった。

 いいもの見れたわ」


「あのさ、早く説明して」


 もうこいつ殴っていいかな? 殴っていいよね。だが、手もとについでいた酒を一気に飲むと、サランはようやく口を開いた。これで適当な内容だったら許さん。殴る準備はできている。


「いや、本当にわからないんだ。

 この後どうなるのか。

 お前も知っているだろう?

 ここを出て行ったあと、誰も戻ってこないんだから」


「いや、でもさ!

 あんな切り出し方したら、知ってると思うだろう!? 

 それに、誰ももどってこないからこそ、ずっと嫌な予感がしていたのに」


 うーわー、なんかすごく恥ずかしいんだが!? 嫌な予感が確信になったとか。うん、誰も聞いていない、よしとしよう。口に出さないで、本当に正解だった。はー、なんか一気に殴る気なくした。でも、ならなんであんなことを言った? それに笑っているくせに、暗い表情だ。


「わからないから、怖いんだよ。

 今までは曲りなりにもここで守られていた。 

 だが、これからは違う。

 頼れるものが何もない中で、いやもしかしたらフムラたちは頼れるかもしれないが。

 とにかくそんな状態で、外に出る。

 俺は、本当に今のままの俺で生きていられるのか?

 変わって、しまうのでは?」


「……ごめん、待って。

 つまり、どういうこと?」


 酒の影響だろうか。いつも以上にサランの口が回っているが、いつも以上にとりとめがない。言いたいことが自分でもまとまっていないのだろう。おかげで意味が分からない。


「つまり?

 えーっと、つまり。

 俺はここでだいぶのびのびと過ごさせてもらった。

 ここでの俺は間違いなく、俺自身だ。

 でも……。

 でも、この後はわからない。

 きっと、俺は俺を偽ってでも生きていかないといけない。

 その中で俺は、俺を失わずに生きていけるのかな?」


 まとまってない、それはまとまっていないよ、サラン。って、そんな泣きそうな顔をしないでくれ。何となくなら、伝わってきた。自分自身のままで、か。サランは何もわからないここから出た後のことを、必死に考えていたんだな。


「いいんじゃない、それで変わっても。

 それは悪いことではないでしょう」


「そう、なのかな。

 変わるって、怖いよ……」


「そっか。

 変わってもサランはサランだと思うけれど。

 なら、覚えておくよ、俺がちゃんと」


「……ありがとう、ハール。 

 戻ってこれる場所があるなら、頑張れる気がする」


 うん、それならちゃんと覚えておこう。はー、それにしても本当に人騒がせというか。まあ、確かに不安な気持ちはわかるけどさ。でも……。


「死んじゃうかと、思った」


「え?」


 しまった、口に出していたか?


「いや、何でもない。

 今日はもう休んで」


「待て、ハール。

 どうしてそう思ったんだ?」


 う、さっきまでの酔っぱらいはどうした。いきなり、心配そうな目でこちらを見ないでほしい。まずい、かもしれない。


「だって、そうじゃないか。

 そんな自分のことを覚えていてほしい、なんて」


「あー、まあ確かに紛らわしい言い方をしたかもしれない。

 だが、……どうした?」


 なんで、立場逆転しているんだよ。さっきまで泣きそうになっていたのはサランの方だったのに。これも酒のせいだ。自分で触れないようにしていたところが、頭をすり抜けて心に影響する。


「びっくりした……、あんな、何にも無頓着なハールが泣いている……」


「あーーもーーー!

 泣いて悪いか!

 みんなが、そうやって残るやつに勝手に託して、いなくなっていく。

 だから、サランもか、って……」


「いや、確かに勝手に託して悪かったが。

 ……みんなって?」


 優しく、サランが問いかける。こんな風に、問いかけられるの初めてかもしれない。そして、自然に答えが口を滑り出る。やっぱりこれも酒のせいだ。


「母上と、兄上」


「そっか……。

 形見って、言っていたもんな」


 あ、っと思ったときには手遅れで久しぶりに母上、兄上って口で呼んでしまった。でも、サランは何も言わない。まあ、そこはいい。そう、形見になってしまったんだ……。


「あーあ、俺も何か残せたらいいのにな。

 そしたら、ハールは絶対に大切にしてくれるだろう? 

 何にも興味がないふりして、お前はやさしいから」


「優しくなんて、ない」


 うっ、そんなことないって言いながら、頭をなでてくるなよ。力強いし。なんで、こいつはそんなに嬉しそうなんだよ。本当に失敗した。


「でも、一緒に酒が飲めてよかった。

 おかげで初めて、ハールの心に触れられた気がするよ」


「そんなことないだろう」


 もうグダグダだ。大事であろうこの場が、こんなのでいいのだろうか? それにしても。


「どうして酒を?」


 別に果実水だってよかったはずだ。それだったら、頑張れば自分たちで作れるが、酒は無理。買ってこなくてはいけない。いつの間にわざわざ買いに行ったのか。


「どうしてって、まあ、酒を一緒に飲めば兄弟、みたいな感じか。

 あと、情けないところ、酔いもせず見せられないだろ」


 え、そんなすねた顔されても何も思わない。しかも、兄弟って……。まあ深くは突っ込むまい。でも、それで少しでも前向きな気持ちで出ていけるなら、よしとしよう。それだけで、この場に意味があるものだと思える。


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