第4話

翌日、僕は寝不足で登校した。

指輪を窓から投げ捨てたあと、やっぱり気になって外に探しに出たけれど見つけることは出来なかった。

結局のところ、最初からそんな指輪は存在しなかったのかもしれない。

やはり殴られすぎておかしくなったんだ。 じゃなきゃ、説明がつかないじゃないか。あん異常なこと。

だけどもし昨日のことが現実だったら。

僕は佐藤に目を付けられてしまった。

気の弱い僕はこれから毎日、なにかしらろくでもない目に逢わされるだろう。

あいつらの今までの被害者がそうだったように。

だからこそ指輪を捨てなかったら、あの非現実的な力が僕を取りまくどうしようもない現実を変えてくれていたんじゃないか。

そう思わずには居られなかった。


その日の放課後、体育倉庫裏で、僕はまた佐藤たちと沙織に取り囲まれていた。


「よーしーおーくーん。もう一度お金貸して」


そう言って佐藤は僕を壁に叩きつけた。

沙織が取り巻きと一緒になってキャハハと笑う。

僕の中にはもう強がろうとか抵抗しようなんて気持ちは残っていなかった。

足を蹴られても腹を小突かれても、ただされるがままになるだけ。

少しでも早くこの最悪な時間が過ぎ去ることを祈るだけだった。

お金なんてもう持ってない。

あるだけ全部盗られたのだから。


「ごめん。今日は本当に持ってない。昨日全部持ってっちゃったから」


昨日の今日で無い袖は振れない。

こいつらはさんざん他人からカツアゲしてきただろうに、そういうことに頭が回らないのはゴリラの方がまだ賢いと考えざるをえない。


「ちっ、財布見してみろよ。嘘だったらぶちのめすぞ」


僕は絶望していた。

どうせ嘘を付いていなくたってぶちのめされるんだから。

かといって財布を出さなくても同じ結果になるんだろう。


ポケットに手を突っ込むと、指先がなにか固くて小さな物に当たった。

指輪だ。

ドクン、と僕の心臓が跳ね上がった。

ポケットに入っているはずがない。

昨日窓から捨てたはずの指輪だ。

探しに出ても見つからなかった指輪だ。

だけどこの石座の形は確かにあの不気味な顔の手触りだ。

昨日の出来事はすべて、夢じゃなくて現実のことだったのか。

この輪の中に指を通せば助かるかもしれない。

だがニヤリと笑った不気味な指輪の顔が僕の脳裏をよぎった。

身をまかせてよい力だろうか。


「なにボサッとしてんだよ。てめえ!早く財布出せや!」


業を煮やした佐藤が拳を振り上げて殴りかかってきた。

今や僕の心臓はドラムを叩いているかのように全身に鳴り響いている。

僕は心を決めた。


今度は目眩も吐き気も伴わなかった。

指輪を嵌めるやいなや一瞬大気が震えたかと思うとそこからすぐさま粘り気が溢れ出し、周りの光景すべてが淀んだようだった。

時間がゆっくり流れている。


間一髪、佐藤の拳は僕の顔のすぐそばまで迫っていた。

が、今の僕にとっては交わすことなど造作もない。

だんだんと迫る拳のを目の前に、右に避けようか左に避けようか考える余裕すらある。

渾身のパンチを避けられた佐藤は顔に困惑の色を浮かべた。

僕ははじめ反撃しようなどと考えもしていなかった。

しかしなぜか佐藤の驚く顔を見た瞬間、胸にマグマのような憎しみが湧いてきて抑えられなくなっていた。


「なに避けてんだよ!」


佐藤がスローな時間のなかで野太く間延びした怒声をあげている。

もう一度やつは拳を振り上げた。

僕は左足を大きく佐藤に向かって踏み込むと、渾身の力でやつの頬を殴りつけた。

もとの時間の流れなら僕のパンチはけっこうな速さだったはずだ。

佐藤は操り人形の糸が切れたみたいにがっくりと頭を垂らすと、そのまま地面に大の字に転がった。

人生で初めて他人を殴った。

拳がジンジンと痛んだが、僕の胸は得も言われぬ快感で満ち溢れている。


「てってめえ!ふざけんなよ!」

「こんなことして、どうなるかわかってんのか!」


佐藤の取り巻きがワアワア喚いた。

僕はもう躊躇わなかった。湧き上がってくる暴力性を抑えることもなく、その全てを彼らにぶつけた。

無我夢中で彼らを殴った。

頬を腹を殴る度、気絶して倒れた奴らの頭を踏みつける度、満足感と解放感が僕の体を駆け抜けていく。

気がつくとその場に立っているのは、僕と沙織だけだった。

彼女は足を震わせて絶句している。

僕は倒れている連中の懐をまさぐり、彼らの財布からお金を全て抜き取ると、指輪をはずした。

時間の流れが元に戻る。

そして沙織を睨みつけて言った。


「今日のこと誰にも言うなよ。言ったらただじゃおかないから」


沙織は黙って何度も頷いていた。


ああ、何ということだろう。

僕は今まで暴力とは無縁の人生を送ってきたのだ。

それなのに今日は他人を殴ったばかりか、彼らのお金を盗むことまでするなんて。

自分の何処にこんな暴力的な性格が眠っていたのだろう。



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