午前1時の独り言
麻城すず
午前1時の独り言
今日の湯船のお湯は温かったとお姉ちゃんに叱られた。考えごとをしていて長湯になってしまったせいだ。
「しおは明日から最後に入ってよね!」
お風呂のお湯くらい追い炊きすれば良いじゃないと思ったけれど黙っていた。だって、一言えば十になって返ってくるから。
お姉ちゃんと同じ部屋、二段ベッドの上に潜り込んだあたしは天井をジッと見つめ、それから静かに目を閉じる。瞼の奥に昼間の出来事が、鮮明に浮かび上がってくる。
「しおちゃん、こうちゃんは?」
二時間目の後の休み時間。廊下から声を掛けてきた隣りのクラスの佳穂ちゃんは、あたしや「こうちゃん」と呼ばれた西脇弘平君と同じ幼稚園の卒園生。佳穂ちゃんだけが小学生に上がる年に引っ越し、そして中学に入る年に戻ってきた。
「えっと、さっきまで席に居たと思うんだけど…」
教室を見回すあたしに笑いながら「しおちゃんに聞いても分かんないよね」と、さっさと結論付けていなくなった佳穂ちゃんに呆気に取られていたら、西脇君と仲の良い風間君に腕を引っ張られた。
「ねー詩織ちゃん、弘平が佳穂ちゃんに告白されたって知ってた?」
小さな頃は仲良しだったけれど、小学校高学年になった頃から西脇君はあたしと話をしなくなり、だからそんな事は全然知らなかったんだけど、風間君はなんでかあたしと西脇君の仲が良いと思っているようだ。
仲が良ければどんなに嬉しいだろうと内心思っている事なんか、きっと気付いていないんだろう。風間君の言葉は、少し無神経にあたしの胸を突き刺すことがある。
「そう」
一言返すのがやっとだった。風間君がまた口を開こうとした時、西脇君が教室に戻ってきたのでそれ以上の会話は無かったけれど。
知りたくて、思わず目で追った西脇君の背中。視線を感じたのかあたしの方を見て、けれども直ぐに目を逸らされてしまって、それ以上見つめる事すら出来なかった。
あたしが西脇君を好きになったのはいつからなのか、もう覚えてはいないけれど、ずっとその気持ちは変わらない。
あたしは西脇君を、今でも好き。
「こうちゃん、今日一緒に遊ぼうよ。お姉ちゃんも居るし、しおのお家においでよ」
五年生の夏休み。学校の宿泊授業で田舎の施設に三泊した一週間後。一緒に通っていた塾の夏期講習が始まり、あたしはその帰り、いつもと同じように西脇君を家に誘った。
「いかない」
返ってきた返事は素っ気無いもので。
「もうこうちゃんって呼ぶな。俺もこれからしおの事名字で呼ぶ。それに一緒に遊ぶのもやめるからな」
あたしが驚いて黙り込んでいる間に西脇君は走って行ってしまった。
それ以来、西脇君は本当にあたしのことを鳥羽(とば)と呼ぶようになり、あたしもこうちゃんの事を西脇君と呼ぶようになって一緒に帰る事も無くなった。話掛けることさえためらわれて。それでもあたしは、まだ西脇君が好きだった。
中学に入学し、再会した佳穂ちゃんは子供の頃と変わらずに西脇君をこうちゃんと呼び、西脇君もそれを止めはしない。
――弘平が佳穂ちゃんに告白されたって知ってた?
きっと佳穂ちゃんは西脇君のことを好きなんだろうと思っていた。告白だって、予想の範疇で驚く必要なんかない。だけど。
なんで、西脇君はあたしだけに冷たくなってしまったの?
特別嫌われるようなことをした覚えはない。なのに何故こうちゃんは突然変わってしまったのだろう。
……あたしもそうなりたい。ある日突然変われるのなら。すっぱりと西脇君への気持ちを変えてしまえるのならいいのに。
※※※
目が覚めたら、耳元が冷たかった。鬱々と考えながら眠っていたせいだ。目元を擦ると濡れてしまったから、あたしはそのまま濡れた両手を天井に向けてピンと延ばした。
微かな息遣いが聞こえる。お姉ちゃんの寝息。何時だろう。枕元の時計はもう一時を指している。三時間は寝たはずなのに全く寝た気がしなかった。
突然変わる。あたしと西脇君の関係を一瞬で変えてしまう言葉をあたしは随分前から知っていた。だけどその結果を知っているから言えなかった。
「…こうちゃん」
この名を口にするのは何年ぶりだろう。ずっと言いたくて、でも言えなかった言葉。
「好き。ずっと、好きだった。今でもまだ好きなの」
呆れられてしまう。あたし達はもう四年も会話らしい会話を交わしていないのに。
あたしに名前を呼ぶ事をやめろと言ったあの時、こうちゃんはきっとあたしの気持ちを知っていた。知っていたからこそああ言ったのだ。あたしに気がない事を分からせるために。
今更こんな事を言ったらしつこいって思われる? 気持ち悪いって嫌がられちゃうかな。でもそれで良い。それが良い。酷い言葉で拒絶して。そうでなきゃ、あたしはずっとこうちゃんを忘れる事なんて出来ないから。
「こうちゃん、好きなの」
明日言おう。そしてもう忘れてしまおう。ずっと好きだった、そして今でもまだ変わらず好きでいる人のことは。
キシッとベットが軋んだ。お姉ちゃんが寝返りを打ったのだろう。
そこで言葉を口にするのを止めた。
明日、こうしてベットに潜り込んでまた泣いてしまうだろうけれど、お姉ちゃんには知られたくない。
そう考えながらそっと目を閉じて、あたしは瞼の奥を満たす暗闇の中に意識を逃した。
午前1時の独り言 麻城すず @suzuasa
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