第18話 驕るもの 欺くもの 悦ぶもの
〔午前一時 老舗旅館
――これはビジネスの話だ。
レン・グロス・クロイツェンが死神の如く大蔵金治の別荘に現れ、彼と接触していたまさにその時間。
レン達のゲートが存在する花山を一望できる老舗旅館 “
その小さな旅館の一室に現在、四人の特殊な肩書を持つ人間達が顔を突き合せている。
一人は魔術師。
――西洋魔術結社 虹の鐘代表 『織部』。
一人は巫女。
――旭神道 巫女長 『三上涼子』。
一人は警察官。
――福島県警警備部神事警護課 警部 『谷垣』。
一人は公務員。
――神道庁福島支局 支局長 『播本』。
魔術結社、神社、警察、省庁より彼らが集まった理由はただ一つ。
昨日、鳥頭の妖魔により花山へと拉致された九条ヒカルを奪還する為である。
最初をに集まった彼らは簡単な自己紹介を始めた。
まずスーツ姿ながら脂ぎった腹に、卵の様な坊主頭の男――織部が頭を下げる。
「皆さん初めまして、私は西洋魔術結社の“虹の鐘”で代表をしております織部と申します。九条ヒカルを調査していた
それを受けて隣の、三上忍の十年後からおっとりした感じを消し、刃物の様な鋭さを持たせた美人――三上涼子が口を開く。
「旭神道の巫女長を務めております三上涼子です。同じく九条ヒカルを調査していた三上忍の母親でもあります」
次に口ひげの生えた、五十代と最も高齢に見えるスーツ姿の男――谷垣が続く。
「福島県警、警備部神事警護課の谷垣です。階級は警部になります。よろしく」
そして今までの三人を見渡しながら、最後の一人であるボサボサした髪の三十代くらいの男――播本が挨拶をする。
「あらためまして皆さん、神道庁福島支局にて支局長をしております播本です。早速ですが、私から状況をご説明致しましょう」
彼ら各組織のここ福島における代表者がこんな深夜に集められた経緯はこうだ。
――昨日夕方。三上涼子の娘である『三上忍』と、魔術結社の織部の部下である『有鳥』が調査していた、邪人嫌疑の掛かっている九条ヒカルが何者かの手で花山へと連れ去られたのだ。
――さらに九条ヒカルが花山に入って以降、その周囲で妖魔と思わしき鳥頭の人間が多数目撃されており、さらに九条家より帰宅しないヒカルの捜索願が福島県警に出された事で、本格的に山に踏み込まねばならなくなったのである。
播本が経緯を説明し終えると魔術師織部は大きな腹を揺らして腕を組んだ。
「しかし魔族……日本では妖魔でしたか。それと思わしき、鳥人間の目撃報告が七件……些か多過ぎますな」
それを三上巫女長も肯定した。
「そうですね。妖魔は本来、生者に憎悪を抱いておりますが、同時に畏怖もしています。幾らなんでも見られ過ぎている」
「つまり意図的に人前に現れた可能性があると申されるのですか?」
唯一、神秘関連に疎いがこの中で物理及び対人的な働きを期待される谷垣警部が質問すると、三上巫女長が小さく頭を振る。
「どうでしょうか。なにせ妖魔の目撃証言など数百年振りになりますから、分からない事の方が多いのです。ただ、わざと姿を晒した可能性は有り得なくはないとだけ」
「そうですね。それも気にはなりますが、妖魔はいずれもあの山の方角へと消えていったそうです。
花山を拠点として他にも人間を攫っている可能性もあります。なら山に踏み込む事こそが最善でしょう。……警部、あの山に立ち入れますか?」
播本支局長がそう結論付け、谷垣警部を見た。
「問題ありませんよ。県警は既に山の持ち主である人物からは立入許可を頂いております」
「ちなみに持ち主とはどんな方で? なんでもとんでもない祠があったそうじゃないですか」
今度は魔術師織部が興味津々に尋ねる。
「持ち主は『須藤孝明』25歳。思いの他若くはありましたが、至って普通の青年でした。養父の勧めで山を買ったのもここ最近で、フェンスも祠も知らなかったそうです」
彼の説明に播本支局長が首を傾げた。
「待ってくれ谷垣警部。つまりは最近になって勝手に作られたって事ですか?」
「その様です。なおフェンスを設置したのはいわき市にある杉下工務店で、調査の結果『松島花子』という女性が依頼したそうです。その際にどうやって手に入れたのか、土地所有者のサインが入った立ち入り許可証を持っていたと工務店の社長は説明しております
ただ所有者の須藤青年に心当たりはなく偽造の疑いが強まっています。
また一応、前の持ち主である百目鬼という人物にもコンタクトを取りましたが、そんなものは知らないと一蹴されました」
「松島花子――まさか人間の協力者、邪教徒か? これはいよいよクロだな。皆さん、こうなったら確認ではなく妖魔及び邪教徒が存在するものだと思って入山して下さい。よろしいですかね?」
播本支局長の言葉に全員が頷いたのを確認し、少し笑う。
「ただまぁ、今回は幸運な事に東北最強の巫女と名高い三上親子殿に、英国で十年修行なされた織部殿。そしてその織部殿をして天才と評する有鳥殿もいらっしゃいますらな。流石に守護聖人程ではありませんが、考えうる中で最強のメンバーでしょう」
それを聞いた魔術師織部は上機嫌に、三上巫女長は当然と言った顔だ。
「それは心強い。物理的にしか攻撃手段を持たぬ我々も安心して命を預けられます」
そういって谷垣警部も頷き、会議はより具体的な入山計画へと移っていった。
〔午前一時 福島県三陸沖海岸 孤島〕
ところ変わって同じく深夜一時。
「でさ――なんでこんな危険を犯して人間にその姿を晒したんだよ、アドリ」
神道庁を筆頭にした四者会談が行われている一方で、とある三陸海岸付近の孤島の浜辺には二人の男が立っていた。
一人はフード付きのジャンパーを着込み杖を持った小柄な男。
その男の疑問に『有鳥』こと頭部が梟の魔族『アドリ・バス』が答えた。
「……あの山に俺の弟を、世界剣で殺った奴がいる可能性が高い」
この二人こそが“魔王崩れ”の一員であった。
そしてよりにもよってアドリは、レンが世界剣で殺した時空の神を自称していた鳥人の兄でもある。
「でも怪しいだけなんでしょ? 祠も含めて現地人の儀式場とかじゃなくて?」
「違うな。俺の力、
アドリにはギフトと呼ばれる力があった。正式名称、固有魔法。元々の血がそうさせるのか、一部の血族にのみ独自に現れる力だ。
彼のギフトは魔力喰い。対象や周辺の魔力を奪い取る力である。
「普通、逆じゃない? 魔力喰いで魔力が減少しないなら、そもそも魔力が存在しないって事だからシロじゃないの?」
「いいや。シロってのは魔力がほんの僅かしか消えない場所を指す。だがあそこは微塵も動かなかった。そんな完璧な場所は一つしか知らない。元の世界のグニッチ平原遺跡だ」
それは千年間、毎年一万人もの人間が移動する巨大交易都市のすぐ横にあったにも関わらず、ロストテクノロジーとも言える大規模魔術で最近まで誰にも発見されなかった遺跡の事だ。
それをよく知っているジャンパーの男が息を呑む。
「まさか……古代大規模魔術による隠蔽?」
「そうだ。あの山は間違いなく元の世界の、それも最高クラスの手が入ってる。
さらに遠距離から俺の魔力喰いを本気で打ち込んだら、何とか一箇所だけ崩して結界の拠点を見つけた」
アドリは三上忍が語った“祠”の存在を思い出す。
本来であれば、あの“祠”は多重の隠蔽が掛けられ、誰にも見つけられない代物であった。
けれどアドリの持つ“魔力喰い”はそれを突破でき、三上忍は帰りにあの祠を見つることが出来たのだ。これはアドリだから出来た発見である。
「いや待ってくれ! 結界を一箇所崩したって事はこっちの存在が向こうに露見したんじゃ!?」
「大丈夫だ。調査には現地人を使ったからな。俺は上から姿を消し魔力喰いを打ち込んだだけ。祠も囮として行かせた人間が見つけた風にしてある。
あと俺が元の姿を晒し、山の方面へと消えるフリも何度かしておいた。
今頃、現地人共があの山に魔族が出たって大騒ぎし調査隊を組んでいるところだ。
トドメに九条ヒカルについてもあの山に消えたと証言しておいたから、これから山は勝手に荒らされる」
「上手く現地人と山に潜む者を対立させるんだね。ただ……とにかく一度、先生や同志たちに山の場所と状況を報告しておいた方が――」
その時、ジャンパーの男の言葉を遮る様にアドリの着ているスーツからスマートフォンが鳴った。
『――私です。魔術結社への潜入調査は進んでいますか?』
電話の主はアドリ達の上司、つまり魔王崩れの幹部である。
「先生……ええ。順調です」
『それは良かった。ただ、何度も言いますがもし世界剣を放った存在を見つけても、絶対に敵対してはいけませんよ』
一瞬、アドリの顔が怒りに歪むがすぐに元に戻る。
「分かってますよ先生。見つけたらすぐに報告しますから」
『それなら良いんです。弟を殺された可能性のある貴方にはお辛いでしょう。が、我々とてこの地球では慢性的な魔力不足。この世界でセラの人間と戦っている余裕は正直ありません。もし魔族や懐柔できる人物であれば協力体制を築き、それが駄目だった時にはまず先にゲートを確保します。
それが出来たあとに貴方に復讐をお願いするつもりですから』
「分かってますって。大丈夫」
『……ならいいのですが。くれぐれも理性なき独断先行はお止めなさい。では引き続き宜しく頼みましたよ』
それを最後に電話は切れた。
「はっ…………何が協力体制だッ! 俺の弟は世界剣で潰されたんだぞ! そんな相手が協力可能なはずがないッ!!」
「アドリ……」
怒りを顕にする同僚に、仲間にすぐにでも報告すべきと考えていたジャンパーの男も何も言えなくなってしまう。
「確かに俺だって分かってはいる! 地球での魔力回復には三十倍もの時間が掛かる上に、この世界には守護聖人という未知の存在がおり慎重になるのはなッ……だが! 俺にはギフトである魔力喰いがある。この魔力の少ない世界で使えば俺は敵を封殺できる。いざという時の為にコイツも攫ってきた!」
そういって足元のシートを退けるとそこには猿轡をされ手足も拘束された九条ヒカルがいた。
「雑魚勇者、お前にはいざという時に人質になって貰う。最悪は弾除けだな」
アドリの脅しに目に見えて怯えるヒカルを見てフードの男が鼻で笑う。
「にしてもこんな雑魚を勇者だって言われてもなぁ……んで、もし花山に誘導した現地人が返り討ちされたら、コレを囮にしてここで捕縛するのかい?」
「あるいは俺の人間の姿に変身させた『パーネット』を行かせてある。あいつが上手く陽動してくれるだろう。
それに俺の勘だがあの山、つまり向こうの“ホーム”に入るのは絶対に辞めた方がいい。あの隠蔽を見るに、恐らく相当に手だれの術者と暗の者がいる――だから俺の魔力喰いを全域に仕込んであり、お前の力も存分に発揮できるこの島に誘い込むのが確実だ」
「ふむ…………まぁそういうことなら、誰が来ても勝てる、か?」
そこまで聞くと、独断先行だが彼の復讐も悪くない考えに思える。それにアドリとジャンパーの男の付き合いも長い。
彼は策に乗ることにした。
――ただ念の為、パーネットが敵を視認して帰還したら先生にはスマホのメッセージで敵の正体と居場所は伝えておこう。先生なら何もなければ黙っていてくれるはず。
「いいよ、やろう。この世界に著しく魔力が少ない事で、君の魔力喰いを最大限高めてくれているのも事実だ。
そんな状況でさらに僕の“子供達”を相手にするのは、人類三大英雄であっても不可能」
「助かる。頼りにしているぞ、ゴブリン最強の召喚術師殿」
アドリの言葉にジャンパーの男――赤いホブゴブリンは苦笑する。
彼の視線の先には森があった。
釣られ倒れていたヒカルもたまたまそれを目で追ってしまい【彼ら】を目撃してしまう。
「ふふ。魔術が使えるならともなく、魔術もロクに使えずに僕の子供達を相手に勝てるものならやってみればいい。ただし負ければあの子達の腹に収まる事になるけどね」
その森の中にある“目”と目が合った瞬間、ヒカルは孤島の森の中に潜むその巨大な――三つ首の蜥蜴、ダイヤモンドの蟷螂、キマイラ、黒い熊、電気を纏う蟹、グリフォンなど空想でしか見た事のない“化け物の軍勢”に気付き、その恐怖から我慢できずに失禁していた。
〔午前ニ時 老舗旅館の
そして各自の準備が整った一時間後、午前二時数分前。
ついに花山への突入が開始されようとしていた。
「総員、これより花山捜索を開始する。各グループは本部と連絡を密にしつつ、中心である谷を目指せ。もし悪霊等が出現した場合は旭神道及び虹の鐘が対処。邪教徒である人間が出現した場合は福島県警が対処。妖魔出現の際は総員で対処せよ。以上、これよれニ時を合図に作戦を――」
様々な設備が搬入され本部化された旅館、篝の一室にて福島県警の谷垣警部が無線で現地へ連絡する。
その声を聞きつつ総司令となった神道庁の播本支局長は窓から花山を見ていた。
隣では神事警護課の警察官が暗視望遠鏡らしきもので山を監視している。
なお魔術師織部と三上巫女長の姿はない。彼らは直接、山に乗り込んで陣頭指揮を執る。
――これは人生最大のチャンスかもな。
播本支局長は責任は負うが特に自分が何かする立場でもない。ゆえに内心では一人、ほくそ笑んでいた。
彼が京都の本山から左遷され十年が経つが、日本全国を見てもこれ程までに大きな事件は発生していない。
――そういえば京都本山にいた頃、上司が言っていたな。
「妖魔なんて生きているうちに遭えたら奇跡だよ」
だが今ここにはその多数の目撃証言と、邪人と思わしき人物の失踪、本山にある神具に匹敵する祠と、何かを強烈に匂わせる材料が揃いに揃っている。
しかもだ。今回の戦力は特に凄まじい。
魔術協会に派遣経験のある第二級魔術師である織部に、彼を以ってして天才と評される有鳥なる魔術師。
さらには東北最強と名高い三上巫女長、そしてその娘にして彼女すら凌駕する霊力を持つ三上忍までいるのだ。
――ははっ……勝てるッ、勝てるぞッ! あの四人がいれば悪霊だろうが妖魔だろうが邪教徒だろうが、敵ではないッ。そうして手柄を上げれば俺は京都本山の出世コースへ返り咲ける!
それは客観的にも事実だった。
これだけ揃えてもし、もし仮にも負ける等という事があれば、それは神道庁の――否、日本国の危機とすら断言できる。
播本が確信と共に自身の栄転する未来を始まってもいないのに思い描いてしまうのは無理もない。
――むしろこうなったら敵さんにも、出来るだけ頑張って貰わないとな。これで悪霊一匹に邪教徒三人とかやめてくれよ? 派手にだ。派手に暴れまわってくれ。どうせ勝つのは我々なのだ。
そんな不遜な事を考え、思わず緩む頬を押さえる。
最早、彼にはこの事件が京都本山への片道切符に見えなかった。
……が。
播本の願い虚しく山頂には一匹の
「どこまでやって宜しいでしょうか?」
『侵攻してきたとはいえ、彼らの真意は未だ分からない。決して殺すな。
……ただし。誰を敵に回したのか、骨の髄まで思い知らせてやれ』
「Yes,my lord.」
主からの連絡を切ると蜘蛛は遠くに見える大量の車の灯りを見つめた。
蜘蛛は高揚していた。ここに彼が巣を作って数ヶ月。
初めての獲物が来たのだ。
高まる本能。疼く毒牙。嗤う悪逆。
けれど愉悦に浸っている暇もない。蜘蛛は深く深く自我を沈めていく。
……本来、蜘蛛が得意とするのは攻めではなく罠を主体とした守り。
そして今回、その為の罠を作り上げる時間は十分にあり、蜘蛛の求めに応じ湯水の様に投資が為され、彼の理想がこの山に誕生していた。
そんな山へと蜘蛛が自我を沈めて行くと見えてきたのは表と異なる“真なる山”。
常人には分からぬ、人に見えざる死の仕掛け、美しき糸の都。
木々に張り巡らされたそれはネットワークを形成し、まるで通信が行われているかの様に微少な魔力が流れている。
その糸を通して蜘蛛は語りかける。
諭すように。
謳うように。
彼等に下す。
「――眷族よ。
仕度は整った。
そうだ、狩れ。
我等は蜘蛛。
悪食の蟲。
狡智の蟲。
無道の蟲。
空を喰らい、地を殺し、森を統べる蟲。
今宵この森は地獄と化そう。
さぁ諸君」
「――狩猟の時間だ」
深夜二時。
森が音もなく蠢き始めた。
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