第19話 そして誰もいなくなった 前編


〔花山南方面 A班〕





「いやぁ、暗視スコープがあって助かりましたなぁ。月が出ている時は良いですが、そうでない時は足元が危なくて危なくて」


 魔術師織部を中心とした南から入山したA班は、月明かりに照らされた森の中を進んでいく。


 先頭を歩くのは二人の警官だ。

 また左右に一人ずつ、背後にも二人の警官が周囲を警戒。その中央には織部とその部下、そして旭神道の神主と巫女がいる。


 彼らの歩みはゆっくりではあったが順調であった。


 夜間に山に入るという危険はあったが全員に配布された暗視スコープと月明かりにより、目の前を確認しつつ慎重に進む事で大きなトラブルはない。


「ただやはり他の場所と比べて幾分、魔力――おっと、霊力が高くなっていますな。もはや霊山と言って差し支えないでしょう」


 織部の言葉に彼の部下、神主、巫女の三人が同調する。


 やはり何の変哲のない山――とは実際に登ってみると言えなくなる。

 それこそ何時、悪霊や妖魔が出てきてもおかしくはない。


「にしても……逆に動物の類が一切おりませんな」


 妙齢の巫女が周囲の闇へと目を凝らしながら同意する。


「ええ。織部さんもそう思われますか。私はシャーマニズムの類、自然との同調が得意でして。いつもなら動物達の気配を感じられるのですが…………」


「感じられない、と?」


「はい。それも全く。なんと申しますか、いつもの森がスーパーにいるくらいの騒音だとしたら、今は自分一人で無音室にでもいる様な気分です」


「ふむ……」


 織部は考える。


 ――わざわざ動物を遠ざけている? けれどそんな事に意味は感じられない。では勝手に動物がいなくなった? なぜ? なぜ動物は山から出て行くしかなかった……。


「ん?」


 その時だ、先頭を歩く警官の一人が歩みを止め片手で全員を制した。


 彼は一人、地面を見ていた。


「どうかしましたか?」


 織部が声を掛けるとゆっくりと警官が地面から振り返った。


「この穴……なんでしょうか?」


 全員が怪訝そうな顔になって警官の足元へ近寄った。


「え、なんだこれ?」


 それは本当に穴だった。


 まるで地獄へ繋がっているのではないかと言う様な、下へと真っ直ぐ伸びる穴。

 底は暗視スコープでもよく見えない。

 それもたまにある馬鹿でかいマンホールくらいのサイズなのだ。


「蛇の巣……とか?」


「ないない。こんな大蛇がいてたまりますか。というより、何故真下に向かっているのか、それが一番分からない」


 警官や神主がそれぞれ思い思いの推論を述べる。とはいえ、どの考えも点でバラバラでまとまりがない。


 ただ共通する一番の疑問は同じ――なぜ、真下?


 動物なら真下へは穴を掘らない。当たり前だが出られないからだ。

 となると人為によるものか。

 例えばそう、工事の途中、ボーリング調査の跡か。或いは何か建造物の杭の跡。もしかしたら井戸を作ろうとしたのかもしれない。


 けれどやはりどれもしっくり来ない。


「おいっ。こっちにもあるぞ」


 そうこうしていると、周囲を警戒していた警官も別な穴を見つけた。


 そちらもやはり同じ。


 人間が余裕で入るサイズにし、真下へ向かい、底が見えない。


「何なんだこの奇妙な穴は?」


 しばらく穴を観察してみたが、結局答えが出ず、一応本部に連絡だけはしておこうと言う事になった。


「こちらA班。こちらA班。花山南側中腹部にて――」


 そう警官の一人が報告している時だった。


「………………あれ? 定昌は?」


 一人の警官が辺りをキョロキョロと見回し始めた。


「えっ――あれ、え、山口はどこに……ん? まて、西川も何処にいった?」


 するとそれに反応して他の警官達も辺りを見回し始める。


「えと、山口さんと西川さんって――」


 織部はそういって周囲を見渡して愕然とした。


 いない――警官がニ人、いない。


 その事実に全員が気付く。


 一瞬、トイレかと思ったが、それにしたって一声は掛けるだろう。


 ならば二人は――。


「まさか、どこかの穴に落ちたんじゃ……っ!?」


 巫女の言葉に、火が着いた様にその場で混乱が起こった。


「おっ、おい乾っ! 本部に至急連絡、山口と西川が――ぇ?」


 だから警官の一人がすぐに指示を出すべく、無線を使っていた乾と言う警官へ振り返った時だ。


 場が凍りついた。


 なにせ――すぐそばで無線を使っていた警官は最早、どこにも存在していなかったのだ。


 織部達はようやく気付いた。


 これは事故ではないこれは……何かよって攫われたのだと。


「きゃっ!」


 恐怖から巫女の女性が小さい悲鳴を上げて後ずさると、根に掛かり転んだ。


 一瞬、ほんの一瞬だけ全員の視線が彼女に集中する。


 ――それがいけなかった。


「くそっ、織部さんここは一度全員集って――」


 そう神主が織部に声を掛けた時には、三人だけだった。


 巫女。

 神主。

 織部。


 一瞬周囲への警戒を怠っただけで、それ以外の人間が忽然と姿を消した。


「すっ、菅谷!? 菅谷何処だッ!!」


 織部は必死に部下の名を叫んだが、返事は何処からもない。

 慌てて背中合わせに一箇所に三人が固まる。


「なっ、なんだ!? 一体何が起きているっ!」

「魔術の兆候も痕跡も一切感じなかったぞ!? どうやったって言うんだ! いや、何処に連れ去られた!」

「もっ、もしかしてあの穴では――ひっ!?」


 固まる三人の中で、巫女の女性が穴を指差すと同時に悲鳴をあげた。

 織部が穴へと火魔術を行使しようとする。


「くそっ、我が元へ炎の因子よ大気と万物を――」


 けれどそこには何もいない。詠唱だけが虚しく続く。


「ちっ、違います! 今、今、ほんの一瞬後ろで何かゾワッとする様な気配が――」


 そう言われて二人して振り返ると、いなかった。


 神主の男が、やはり、忽然と消えていた。


「あああっ、クソッ、一体なんだっ――」

「ぎゃ――」


 織部が叫ぶと同時に、隣で女性の声とは思えぬ濁った悲鳴が上がる。


 反射的に振り返ると一瞬、見えた。


 一瞬だけ見えた。


 ――少し離れた所にある穴へ女性の手が消えるのが。


「――ッッ!!」


 叫びにならない声を上げて、織部は贅肉を揺らしてその穴に飛びつく。


 そして彼は穴の中を――見た。


「――ひィッ!?」


 穴には巫女がいた。


 ただ、彼女の体をは毛むくじゃらの真っ黒い蟲の足が絡め取っており、その口も足が閉じさせている。


“だ ず げ で”


 黒い足で言葉の喋れない巫女は、その顔を恐怖で硬直させ、目をこれでもかと見開き涙を溜めていた。彼女はただふるふると顔を振り懇願する事しか出来ない。

 ただ、その背後にはそれを許さぬ八つの赤い目が光っていた。


 ――蜘蛛だ。


 巨大な蜘蛛が穴の中で巫女を抱きかかえていた。


「――ッ!?」


 その一秒にも満たない一瞬の後、ヒュン! と音がするのではないかと思ってしまう程の速度で、けれど一切の音すら立てず巨大蜘蛛は女性を抱かかえたまま。


 ――果てなき地の底へ消えた。


 すべては、瞬きする間にも満たない出来事だった。


「…………………………」


 織部の思考は完全に切れた。


 英国でも見た事がない凶悪なモンスターに、目の前で悲鳴すら聞こえず、光さえ届かない地の底へ巫女が連れ去れた。

 あまりの恐ろしさに言葉すら紡げなくなっていた。


 だから。


 彼は。


 別の穴から出て来た蜘蛛の存在に全く気付けなかった。


「――ぁ」


 第二級と呼ばれる魔術の実力者である織部だがその魔術を使う事さえ出来ず、阿呆にもそう声を漏らし、彼は全身を抱かかえられて光も音も届かぬ地の底へと消えた。


 そして。


 誰もいなくなった。












〔花山東方面 B班〕



「つってぇなぁ…………おい、全員無事か!?」


 東側から入山したB班の警官のまとめ役をしていた長谷川警部補は、突然の事態から天に向かって叫んだ。


 そう、彼らは落ちたのだ。


 三上巫女長を筆頭とするB班は花山を歩いていると突然、その半分以上の人間が地面ごと落下してしまった。


 皆、何が起きたのか分かっておらず、長谷川警部補は思わず声を上げる。


「おいっみんな! 無事か!? 無事なら返――なにっ!?」


 そうして体を起こそうとした時だ。

 彼の上体は何か強い力で引き戻された。


「あれっ? くそっ、なんだこれッ――えっ!?」


 そうして何とか振り返ってみてようやく気付く。


 彼は空中にいた。


 その下にはただ森が広がってる。

 けれど落下しない原因は一つ。


「なんだこの網!?」


 それは白い網。

 何を捕らえる為のものか分からぬ巨大な網。


 しかも付着すると取れない。


 先ほど起き上がろうとして引き戻されたのはこの粘着性だ。


 長谷川警部補は必死に体を捩り引きちぎろうとするが余計に網の付着面積を増やすだけで効果がない。


「にっ、西村です! 白い網の様なものが絡まって動けません!」


「武田っす! 俺も無事ですが同じく網が絡まって動けないっすよ!! なんなんですかこれ!」


 すると少し離れた所から同僚達の声が上がった。


「おい、この中で誰か動けるものはいないか!? 無線に手が届く者でもいい!」


「あ、自分は無線には何とか手が届きます! 救援の連ら、え? は? な、なに? なんだ!? なにがいる! はっ? ちょ、えっ、ああっ、ああああああああああああああ――……」


「なんだ! おい! 何が起きた!?」


 しかし男の悲鳴はそれきりで、後は静寂だけ。


「くそっ!?  一体なんだって――えっ?」


 ――ずんっ。


 不意に自分の周囲の網が沈み込んだ。


 ――ずんっ。


 また別な場所が沈み込む。ただやはり自分の視界には何も映らない。けれど。


 ――なにか、いる。


 直後さらに近くで。


 ――ずんっ。


「っ!?」


 網が深く沈んだ。

 音と糸の沈み込みで分かる。それは間違いなくビルの様な巨大さ。


 本能的に目の前にいる存在を理解させられた。


「なにが……いる……えっ!?」


 すると今度は真上の何もない上空に歪みが現れ、振り子の様に左右に揺れ始めた。


「なんだ……なんだよオイ、なんなんだよ!?」


 しかもそれは折り重なりながら降ってきた。

 それが落ちるまでに段々と色がつき始め、それがこの網と同じものだと気づく。


「まさかこれ糸――んんっ~!! んんッ――!!」


 ただ、それを認識した時には既に彼の全身は糸に覆われていき声さえ上げられず密封され、指一つ動けなくなっていく。


 そして見た。


 糸で完全に密封される前に、その僅かに残された隙間から、何もないと思っていた目の前の空間が歪む所を。


 蜘蛛。


 その歪みと共に現れたのは二十メートルを超える巨大蜘蛛。ここは。


 ――巨大蜘蛛の巣。


 正解に辿り着いたと同時に、それゆえに待つ、この巣に捕らわれた憐れな餌である自分達の末路――消化液に内側から溶かされ喰われる事を悟り。


「――ッッ!?!?」


 全身を包まれ口まで塞がれながら長谷川は声帯が壊れる程の絶叫を上げた。






 深夜二時半。

 ――蜘蛛達の夜はまだ始まったばかりだ。

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