第7話 エルフの敬服
〔ランハット・ドーメズ〕
あの山が欲しい?
ハッ、どうせ戦後から高度経済成長にいた悪質な地上屋だろう。
あそこにはセラと地球を繋ぐ門がある。泳と私が守ってきたあの山を手離しは絶対にしない。
例え相手がヤクザだろうが国家権力だろうが関係ない。
「そんなもん、おらの精霊魔法で一発や!」
――というのが、ほんの数分前の私の思考であった。
「おらはなんて馬鹿な事を……」
けれどそんな楽観は一瞬で打ち砕かれた。
やってきた目の前の存在はヤクザどころか、むしろ竜。天災。神の如き存在だった。
今や過呼吸である。全身全霊で今すぐにでも逃げ出したい気分である。
その理由はまず海だ。
我が家の外が大海原になっていた。
こんな魔術、かつての故郷でも見たことがない。
幻術か? 等と思い魔力を高め視認したが景色は変わらず。
となればこれは本物という事だ。考えられるものは第一位階に存在すると聞いた事がある世界創生や時空間魔術などお伽噺のそれだ。
もうこの時点で私は逆立ちしても相手に勝てない事を悟った。
だが問題はそれだけではない。
馬車だ。
馬車の紋章だ。
見たこともない家紋はまぁいい。貴族なのだろう。問題はその隣の旗に描かれた大樹の紋章。
――エルフの守り手。
それはエルフが他種族に贈る最大最高の賛辞であり、この紋章を持つ者はどのエルフの国であっても国賓として扱われるのだ。
それにこの紋章は偽造が出来ない。
なぜならそれは女王陛下直々に精霊魔法で描かれるものであり、エルフならばそれがインクではなく、精霊を紋章の形にしていると誰でも分かる。
それは故郷ではごくごく普通の一般エルフであった私からしてみれば、目の前の青年は完全な天上人であり、我等が女王陛下と肩を並べる存在がいきなり現れたのだ。
日本で言えばエリザベス女王が突然、福島の田舎の家に来て「お宅の山を買いたのだけれど?」と言ってきたぐらいの衝撃である。
――しかも私は“逃亡兵”であった。
これは誰にも言わなかった事だが、数百年続いていたエルフと“古き魔王軍”との戦いで逃走し、罪に問われるのが怖く他国をさ迷っていた所、こちらに来てしまったのが私なのだ。
なので生きている事がバレると捕まる可能性が高い。だから逃げたい。
にも関わらず目の前の存在は国家元首と名乗った。
逃げるなんて言語道断。戦うなんて自殺行為。
もはや退路すらない。
「おら、今日で死ぬかも。助けて泳」
最早、亡き最愛の妻への助けを求める以外に私に出来る事はなかった。
「そ、そっ、粗茶ですが、どうぞ」
孫の翠がガタガタ震える手でお茶を出す。
今、全員は居間にいた。
その際に私は息子達と孫に目の前の存在がどれだけヤバいのかについて入念に説明した。その必死さと怯えが伝わったのか、部屋は完全に恐怖と緊張に包まれている。
決して粗相など赦されない。全員が顔を引きつらせ萎縮しまくっている。
「ありがとう、お嬢さん」
大公閣下が孫に微笑む。思わず息が漏れる。
……良かった。本当に良かった。こんなもの飲ますな! と怒りを買ったら自分の首を差し出すしかない。
「こ、この度はこんな田舎にようお出で下さいますた。何もねぇ所でございますがゆっくりされ――して下さいます」
とりあえず平伏である。
居間で一家全員揃って平伏した。
『ふむ。もしや日本語が苦手かな? 聖樹語でも構いませんよ?』
すると大公閣下が突然流暢な聖樹語で話始めた。こちらもつい聖樹語で話してしまう。
『なんと!? 聖樹語を御使いなられるのですか!? ならば精霊魔法も閣下は操れるのでございますか!』
精霊魔法はエルフのみ使える。
これは一般常識だが、実のところエルフの隠れ言語である聖樹語が使えれば、精霊と契約したものなら誰でも使えたりする。
とはいえ、人間には不可能と言われる発音だ。それを目の前の天上人は流暢に話すではないか。
『たしなむ程度ですよ』
『いえいえ、ご謙遜を。あなた様程に流暢な聖樹語をお話になる人間の方を私は知りません。天才的にございます』
『ふふっ、聖樹語では“私”なのですね。日本語だと“おら”なのに』
『え? “おら”、というのは変なのでしょうか? フランクな“私”という表現と妻から聞いていたのですが』
『なるほど。恐らく時代の問題でしょう。今ならば、“私”か“僕”の方が公共の場も含めて自然ですね』
そうだったのか。
もしかして自分はずっと変な一人称を使っていたのだろうか?
『さて、いろいろお話したい事もありますが、まずは本題を片付けてしまいましょう』
そう言って大公閣下が黒い手袋をテーブルに翳すと魔方陣が出現する。綺麗なストレージの魔法陣だ。
「すっ、すげぇ!」「なんだこれ、魔法みたい!」
だがそれを見て孫や息子が子供の様に騒ぐ。思わず顔を覆いたくなった。
「よ、よさんかい」
そういうのホントやめて。恥ずかしいから。手袋のストレージ一つでこんな大騒ぎなど、スマホに飛び跳ねる昭和の田舎もん丸出しなんだぞお前たち。
そんな羞恥心に苦しんでいるとテーブルの上には札束が乗っていた。
「現金で七百万円。即決であの山をお売り頂きたい」
――やはりか。
心臓が締め付けられる。確かに目的なんぞ他にないだろう。
だがこちらも、いくら相手が天上人であってもすぐに頷けはしないのだ。
『閣下。どうか愚かな私の質問を御許し下さい。恐れながら閣下はあの山を手に入れて、何をなさるおつもりなのでしょうか?』
怖い。
相手との力量差は分かっている。目の前の存在はドラゴンに匹敵するかもしれないのだ。
片や戦場から逃げて半世紀も戦いから遠ざかっている雑兵。
それもこれだけ精霊魔法が弱体化しているのだ。
死ねと言われれば私はきっと死ぬ。それでも亡き妻と共に半世紀以上もこの地を守り続けてきた。これだけは聞かねばならなかった。
「…………革命、ですかねぇ」
――え?
閣下が日本語で不意に漏らした言葉に虚を突かれる。
革命?
なんの?
『ところで百目鬼さん。この世界に、私達と百目鬼さん以外の存在が潜伏しているのはご存知ですか?』
『は? まさか、我々以外にもいると!?』
「はい。マルヒ」
閣下は控えていた部下を呼ぶと、途端に彼の変身が解けた。
『魔族!?』
そこにさっきまでの金髪の執事の姿はなく、下半身が蜘蛛のアラクネ族と呼ばれる魔族が立っていた。
閣下にばかり気を取られ執事の方は確認していなかったので気付かなかった。
案の定、私の息子達も悲鳴を上げて後退り、孫はその場に恐怖で腰を抜かした。
『彼は味方です。我がグライスベリー公国は種族による排斥を認めておりませんゆえ』
『馬鹿なッ! それはあり得な――あっ、いや』
『構いませんよ。ですが、我が国は人族領、魔族領、獣人族領、エルフ領、その全てと繋がる大陸中央部に位置しております。昔の言い方をすれば“血溜まりのグラス”ですね』
再びの絶句。
恐らく地図は私の知っている頃とは異なるだろう。けれど、四種族の領土争いにして戦争の玄関口と言われる場所はただ一つ。
グラス平原。
全領域から四種族の兵達が押し寄せ、奪い合い、殺し会う死地。グラスを抑えた者が大陸を制するとまで言われた場所だ。
その地獄としかし表現しようのない場所に、目の前の存在は国をおったてたと言うのだ。
『私の大公国は“中立”なのですよ、百目鬼さん』
思わず体の芯から震え上がった。
中立。
それは日本の使うことなかれな、アメリカの庇護にある都合の良い、中立ではない。
それはどの勢力にも属さず、どの勢力とも付き合い、逆にどの勢力とも戦うという――世界を相手に一国のみで渡り合うという事を示していた。
つまり目の前の青年は独力で、全方向から押し寄せる全種族・全勢力を相手に真っ向からやりあい大陸のド真ん中で独立を維持している事に他ならない。
それもあの、どこか一国が手に入れれば他の領域への侵略の足が係りとなってしまう最重要拠点で。
もし、もしだ。
その戦争における最重要拠点を、誰にも明け渡さず守り続ける者が実在するならば、それはもう四種族の戦争をたった一人で食い止めている大壁。見紛う事なき英雄に他ならない。
『あなた様は……宗教における守護者様なのですか?』
震える声でそう尋ねていた。
『まさか。ただ花を愛でる魔導師ですよ。一般的には花殿大公や魔導王と呼ばれ、人族の敵対者からは“千華の魔王”。魔族の敵対者からは“花園の悪魔”。エルフからは“花園の主人”。獣人達からは“
そう青年は笑う。
人族でありながら人族より魔王と恐れられ、魔族からは悪魔と言われる存在。
だからエルフの守り手なのか。
ああ、我らが女王陛下が彼に称号を与えたのか今になって理解した。
――エルフは四種族血みどろの紛争地を死守するこの英雄を決して見捨てない。
そういうエルフ達へのメッセージなのだ。
良かった。
本当に良かった。
異世界に来て初めて、この若き英雄を一人にせず肯定してあげられる誇り高きエルフという種族に生まれて良かったと思った。
『話を戻しましょう。実は私と敵対する魔族が、この日本国に既に潜伏しています。これは確定情報です』
『まさかあの山を通って!?』
『いいえ。別な場所でしょう。敵は我等の居場所を掴めていません。しかしだからこそ、あの場所は死守しなければならない。もう一度お聞きします――この私に譲って頂けますか?』
私はそれに対する回答は既に決まっていた。
『半世紀、家族と共に山が荒らされないようにして参りました。ようやくその荷を下ろす時が来たようです。どうかこの地を、福島を、いえ、私の第二の故郷となったこの国をどうかお守り下さいませ』
そうして私はもう一度、深々たその場で頭を下げた。
頭上からハッキリと力強い答えが返ってくる。
『我が花園の花々に誓いましょう、必ずやこの国を守ると』
こうしてこの日、我が流転のエルフの家――百目鬼家は大公レン・グロス・クロイツェン様の軍門に下った。
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