第6話 百目鬼家の憂鬱
〔無視点〕
百目鬼家は比較的に新しい家だ。
元の血筋は江戸時代の村上藩、今で言う新潟県村上市に土地を持つ大地主であった。
だがその家の娘である『泳』が実家の用意した結婚相手を嫌がり、家を出たのがそもそもの始まり。
泳は親戚の伝を辿って福島へ逃れ、この土地で一人の男を助ける事となる。
男の名はランハット・ドーメズ。
彼は深い傷を負いながら山の中で生き倒れていた。
それを山菜取りに来ていた泳が発見し、彼を親戚の屋敷に“こっそり”と連れ帰った。
なぜこっそりかと言うと、彼の容姿が太平洋戦争の最中にも関わらず西洋人の様だった事と、何よりその特徴的過ぎる耳のせいであった。
ランハットはエルフだった。
そのため目覚めた彼の言葉は全く分からず、彼が精霊魔法――泳からすれば妖術を使う姿を見て彼女は妖怪だと思い込んだ程だ。
最もランハット本人も精霊魔法が想像を絶する程に弱体化し、蒸気機関車なる化物が道を走る姿に衝撃を受けていたが。
とはいえ、エルフは容姿に優れる。さらに言葉が通じなくとも最低限ではあるが精霊魔法を使える。
ランハットは耳を隠し、精霊魔法を駆使して戦時下を泳と共に乗り切る頃には、既に彼女との間に四人の子供に恵まれていた。
彼はそれから戦後のどさくさに紛れてドーメズの宛字の様な百目鬼の姓を得て、自分が転移してきた山を所有し自分の一族にその管理を任せ今に至っている。
そんな百目鬼家だが、今その本家たる日本式の古い屋敷が揺れに揺れていた。
「お父さん! お爺ちゃんから管理を任された山を売るなんて、一体どういうつもりなのですか!?」
「か、管理と言っても父上から、あの山は私の好きにしていいって言われてるんだぞ、翠?」
屋敷の一番広い部屋で男女五人がテーブルを囲んでいる。
その中で一番若い、ツインテールに髪を結いだ黒髪の翠と呼ばれた少女が、彼女の兄と言っても通じそうな和服を着た金髪の、妙に若々しい父親に文句を言っていた。
他の三人も少女に同調する様に非難の眼差しを家主へと向けている。
「だからって売っていいなんてお爺ちゃんは言っていませんでした! 昨日の交渉に私と叔父さんが乱入しなかったら、あの山が他の人の物になってたんですよ!?」
「そうだぜ兄貴。いくらなんでも、俺達の一族の特徴から、長い間管理するのが“不自然”になるからって、売っちまうのはまずい」
さらに少女を援護する様と黒髪の若作りな中年男性が苦言を呈する。他の女性と男性も同じように兄に文句をつける
けれど兄は兄で反論する。
「しかし、このままだと私の容姿が三十年も前から変化しない事に、不振を抱く輩が絶対に現れる。今だってご近所付き合いは全て妻に任せっきりだ。いい加減、我々の様なハーフエルフではなく、純粋な人間に任せるべきだと私は思うのだ」
そう。
彼らはランハットの息子達。その四兄妹と孫娘である。
けれどランハットから管理を任されていた彼らも、エルフの血を引くが故、大なり小なり容姿の変化のなさに苦慮していた。
「幸い、買い手である青年とその後見人であるお爺さんの話では、他人に売却は絶対せず二人でそこに暮らすという話だ。もし手離さなければならない場合は、百目鬼家に買取り額の半額で売却すると書面にまで残してくれた。これ程、条件にあった人間はいまい?」
「だからって信用できねぇだろ。確かに俺らだって山を立ち入り禁止にはしていない。けど、買われちまったら何されても文句は言えねぇんだぞ」
「それについても書面で最低限の開発のみで、大型の建造物や複数の建造物は作らないと残してある。破れば土地は我らに戻ってくるからな」
「じゃあその取引相手が死んだら?」
「相続した場合もその条件を引き継ぐと、弁護士の先生に一筆貰う様に手配してくれるそうだ」
「うーん……」
そこまで聞くと、悪くないのでは? と弟達も思い始める。
「騙されないで下さい叔父さん、叔母さん! お父さんはうちが経営してるケーキ屋の二号店を出す資金か欲しいだけなんです!」
「なっ!?」「はぁ!?」「ちょっと兄さんどういう事よ!」
娘の鋭い指摘に、父親がたじろく。
「なっ、なんの事だか――」
なおこのハーフエルフの長男、実はパテシィエだったりする。
しかも山の売却に頷いた理由の半分は、前々から計画していた二号店の立ち上げ資金が手に入るからであった。
「あ、兄貴……あんたって奴は」「兄さんそれはいくらなんでもない」「信じられないわ。お父さんに知れたら火だるまにされるわよ」
当然、兄弟たちからもボロクソに言われる。
「違うぞお前達! 私はただ、山の管理という仕事を娘の翠に押し付けたくなくて、現金収入はあくまで、あくまでおまけであってだな!」
長男も必死の弁明を試みるが声を上げれば上げるだけ怪しさは増す。
そこへ彼の救いの手が襖を開けて現れた。
「失礼します、あなた。先程こんなお手紙が家の前に」
割烹着姿の長男の妻、翠の母親が手紙を差し出した。受け取った長男が読むと思わず眉を潜めた。
「――今日の深夜二時だと?」
手紙の内容は簡潔だった。
『今日の午前二時、再度山の取引に御伺い致します』
全員に回し読みされた手紙だが、皆一様に首を傾げた。
「もしかしていたずらかな?」
三男の声に全員が同調し掛けた。しかし。
「わざわざそんな事をしてなんの意味がある?」
あまりに不可解。なぜそんな時間に、わざわざ手紙で報せてくるのか?
「なぁ兄貴。その取引相手って、普通の人間だよな?」
「ああ。至って普通の人間だったぞ。身元もハッキリしている。強いて言えば、やたら香水がきつかったな」
なお、彼の言う香水とは高温多湿下で長時間肉体を動かし続ける事で起きる、アンデッド特有の腐敗臭対策である。
「兄貴。やっぱりこれは断るべきだろう。そんな条件を出す先方いるかよ。手紙も含めて何だか怪し過ぎる」
弟に他の兄妹も、果ては娘までもがNOを突き付けてきた。
「い、嫌だ! この取引を逃せば、一生こんな取引はないんだぞ!」
「どうしても話を進める気なのですか、お父さん?」
「ああ、私の決意は硬――」
「ではお願いします」
そう父親の発言を遮り、娘の翠がそそくさと彼の後ろにある襖を開ける。
そこにいたのは。
「ハロゥ! マイ、チルドレン!」
「なっ、親父!?」「父さんいつの間に帰ってきてたの!?」
兄弟全員が声を上げ驚愕する。
そこにいたのは日本を放浪中の自分達の父親、純エルフであるランハット・ドーメズその人だったからだ。
――ただなぜかハートのサングラスを頭に掛け、アロハシャツを着て首には花飾りに手にはウクレレである。
しかも小柄な金髪の二十代にしか見えない容姿だけあって、その全てが妙に似合っている。
「翠!? どういう事だ! なんでお爺ちゃんがっ」
「お父さんが組合の人と欲にまみれた顔で交渉してるの見て、私が早くから呼んでおきました。――お帰りなさいお爺ちゃん。最後にいた沖縄はどうでしたか?」
「いやぁ、すきゅーば? とかいうヤツはなかなかえがったでぇ。その近くのホテルからの景色がまた最高でんがな。ちゅら海水族館のじんべいサメちゅうのも迫力あってえがったぞい。故郷にいた魔物を思い出しちまって精霊魔法ぶっぱなしかけてもうたがな。あはははは」
物凄いエセ外国人ぽかった。
しかも様々な方言や訛りが入り交じり、日本語としてもだいぶ怪しい。
ただこれは日本語を教えた彼の妻、泳の訛り。そして泳の死後に彼が傷心旅行で全国を放浪した結果、真っ当な日本語教育が成される前に、複数の訛りが混在する日本語を習得してしまったからであった。
これが戦時中の日本に迷い込み、高度経済成長にまで酔いしれたエルフの成れの果てでもある。
「んでえ? 洋介、おらのいない間になに山をうっぱらうってか?」
「うぐぅ、だ、だけど父ちゃん!」
父上呼びはどこにいったと、娘の翠は冷やかな目で自分の父親を見る。
「言い訳すな! あの山はあぶねぇんだら。下手に開発されてまたゲートが開いちまったら、おめぇ責任取れるんちゅうのか!」
「と、父ちゃんまで……けど先方が今日の深夜二時に来るって言うんだ」
「はぁ!? 深夜二時やと! なんちゅー非常識な奴や! そんなやつぁ、父ちゃんがキッパリと追い返しちゃっとる!」
そう胸を張ってランハットが宣言すると、息子達は皆一様に安堵の息を漏らした。
なにせ父親は精霊魔法の使い手である。詐欺師だろうがヤクザだろうが敵ではないのだ。
その八時間後、深夜二時。
久々に一家団欒を過ごした百目鬼一家は再び居間に集まっていた。
「しっかし、本当に来るんちゃうか。午前と午後を書き間違えたとん?」
ランハットの疑問は全員共通のものであった。
なんで午前二時なのか。
非常識も大概である。
がしかし、そんな事を思っていると本当に午前二時丁度にチャイムが鳴った。
――本当に来た!
全員が思わず顔を見合わせる。そんな妙な沈黙の中、出迎えたはずの長男洋介の妻が廊下を走ってきた。
「あっ、あなた。そ、そとが、外が……っ」
「外がどうした!?」
震え上がる妻の様子に洋介達は慌てて立ち上がり、全員で玄関へ向かった。
そこで見たものは。
「――ぇ」「……は?」「う、そ?」
大海原。
海であった。
玄関を開けて目に飛び込んできたのは一面の海水。
お隣や正面にあったアパート、道路さえ忽然と消え、ただただ家の敷地の先には海が広がっている。
まるで家だけが太平洋に飛ばされたかの如く想像を絶する光景が浮かんでいた。
「………」
家族揃って唖然。波の音だけが静かに聞こえる。誰も脳の処理が追い付かず、言葉という言葉が出ない。
「…………私は、夢でも見てるのか?」
そして何より、その大海原の上を一台の馬車がやってくる。
意味が分からない。
なんで家の回りが海なのか。なんで海の上を馬車が進んでくるのか。
それから一秒とも十分ともつかない時間が過ぎると、目の前で馬車が止まった。
ゆっくりと金髪碧眼のスーツ姿の御者の男性が降りてくるが……。
「――あ、あかん」
そんな中、ランハットが恐怖に表情を歪ませ血の気が失せながら、その馬車に描かれた紋様に目が釘付けになっていた。
「な、なんでや……なんでこの紋章が……どうして日本で……っ!?」
兄妹達や翠はその紋様の意味が分からなかった。
だが、あの精霊魔法を駆使する最強の父親が真っ青で震え上がり涙を浮かべる姿を見て、自分達は絶対に敵に回してはいけない者が目の前にいる、という事実だけは分かった。
御者の男が一礼する。
「深夜遅くに申し訳ございません。私はグライスベリー大公国、宗主にあらせられますレン・グロス・クロイツェン大公閣下の付き人をさせて頂いておりますサン・マルヒと申します」
サン・マルヒと名乗った金髪の御者は馬車の扉を開き、頭を垂れる。
「そしてこちらにおわす御方こそ、グライスベリー大公国宗主、レン・グロス・クロイツェン大公閣下その御方にあらせられます。皆様、どうか相応の礼節を以てお出迎え下さいませ」
なんで大公なんて大物が福島の田舎にいるんだよ、という非現実的な突っ込みを内心しつつ、全員が馬車から目を離せない。
そして馬車から出てきたのは――黒髪をオールバックにしてスマートなサングラスをかけ、黄金の刺繍の施された真っ白な一張羅を着た青年だった。
その瞬間、この場の全員が無意識に膝をついた。
ただその姿を見ただけで、そうしなければならないという意味の分からない強迫観念が働いたからだ。
――なんだこれは? 自分達はなんでこんな事をしている?
そんな混乱する彼らの様子を尻目に、青年は穏やかに告げる。
「お初にお目に掛かります、流転のエルフ達よ。私の名はレン・グロス・クロイツェン」
その質素な自己紹介に隣のサン・マルヒが付け加える。
「大公閣下はかつて、エルフ連合軍と共に“古き魔王軍”を退け、フロステ聖樹国の名大ピュテアル陛下に“エルフの守り手”の称号を頂戴され、今も良き友と認められた御方です」
訳が分からない。彼らはハーフではあるがれっきとしたエルフである訳だが。
エルフ連合軍ってなに?
フロステ聖樹国ってどこ?
名大ピュテアル陛下ってだれ?
ここは日本の福島県の方片田舎だぞ?
そもそもエルフって自分達以外にもいるのか。国なんてあるのか。そんな混乱の先に、四兄弟とその娘は、唯一事情を知っていそうなランハットを見る。
が、残念ながら頼みのランハットはただただ泣き出しそうな、というか若干既に泣きながらガタガタと震え上がり独り言の様に呟いた。
「駄目だ。駄目だこれは。もうこれは無理だッ。おら確実に今日ここで死ぬ……っ。助けてッ、オラを助けてくれ泳っ!」
と、早くに先立った妻に必死に祈っていた。
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