第2話 山成樹海
〔???〕
――どうしてこうなった。
ここに来てからずっと繰り返される疑問。
けれど本当はその答えを知っている。
逃げ続けたからだ。
学校からも、仕事からも、人間からも、社会からも、家族からも、努力からも、現実からも俺は逃げ続けたからだ。
“辛かったら逃げたっていいんだよ”
よく耳にする優しそうなフレーズの裏には、常に戦い続けて精魂尽き果てた時には、或いはただし絶対に戦わなくてはならない時は戦わなくてはならない。
という前提があるのだと気付いたのは、両親が死んで働く気力も出ずアパートを追い出され、全てが手遅れになった時だった。
そうして家を追い出されて気付く。バイトもせず、大学も行かず、楽な方楽な方へ逃げ続けなんの努力もしてこなかった自分には何一つなかった事に。
そんな現実が辛くて逃げて。
それがまた辛くてまた逃げて。
逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて――俺は今、ここにいる。
涙が流れた。
死にたい。こんな人生終わらせたい。
でも。
死にたくない。
本当は死にたくないんだ。
死にたくないよ。助けて。助けてくれよ。
だがそれはもう、どうしようもなく、手遅れで。それも嫌と言うほど分かってて……人を大事にしなかったのに、いまさら人に大事にして貰える訳がないのだ。
「ぐふぅ……くっ…ぅ……」
止まらない嗚咽と涙を流しながら、俺は飢えと寒さと共に宛もなく歩き続ける。
〔レン・グロス・クロイツェン〕
「七千と六十円でお願いします」
「ええっと……はいお釣。ところで兄ちゃん、そんなバカでかいクーラーボックス何に使うの?」
「これですか? 鮮度が命なものを入れようと思いまして。ああ、もちろん今は空ですよ」
俺とサン・マルヒはタクシーのおっちゃんに手伝って貰い、トランクと後部座席から荷物を卸す。
その後、駅近くの東急ホテルから送ってくれたタクシーのおっちゃんは怪訝そうな顔で都内方向へ戻っていった。中身も空だと見せたから大丈夫だろう。
俺達は今、静岡県の藤嶽山麓に広がる山成樹海に来ていた。
いわゆる自殺の名所である。
静岡有数の大きさを持つ藤嶽山の膝元にして、観光名所としても有名で美しい木々の海が広がっている。
一方、その森の深さとこの地下にある岩盤の一部が磁力を帯びており、方位磁石が狂わされる影響で日本有数の自殺スポットにもなってしまっている。
「ふぅ、東京都内は空気悪すぎだな。ここにきてようやく一息つける」
タクシーから降ろした荷物を下に置き身体をほぐしながら息を深く吸う。
マルヒも隣で深呼吸するがその顔に少し疲れが見える。
「凄かったですねぇ……セラの王都が色褪せてしまいました。ただ、正直あまり住みたくない世界でした。新幹線やタクシーでの移動は閉塞感が強く、かと言って街に出るとごちゃごちゃし過ぎて疲れました」
「同感だ。馬よりは遥かに楽で感動したが、これはこれで疲れるな。……さて、遊歩道の入口を探そうか。金取られるんだっけか」
俺達は遊歩道東口と書かれた看板の方へと荷物を抱えて歩く。
「閣下。この看板には何とか書いてあるのですか?」
「一言でまとめると、命を大事に」
流石は自殺の名所。遊歩道の入口に早速警告文があった。
「何ともまぁ。世界が変われど人間の社会は変わらないものですなぁ……しかし自殺の名所にしては障気が薄い?」
「地球の魔力が薄いせいだ。マナが体外の魔力なら、障気は死んだ者の魔力が変化したもの。だから魔力の殆ど無い地球人から障気は出ない。まぁゼロでないのが救いだ」
そんな事を話ながら遊歩道を歩いていく。
こうして歩いていると、山成の樹海もただの散歩道にしか見えない。景観も悪くないし、ちょっとした観光気分だ。
ただ今日は観光に来た訳ではない。
「そろそろ遊歩道を外れて中に入ろう」
「障気を探っていく感じですね。閣下がこの手の事も出来るなんて、本当に手広いですよね」
「流石に魔導書を使う。子飼いにこの手の事が得意なのがいてな。魔導書を寄越してもらった……『同調』『魔力同化』」
俺は古ぼけた魔導書を開き、中に書かれた探知系の魔術を複数使い、障気を頼りに樹海へと踏み入れた。
〔???〕
もうここが何処かも分からない。
足だけがひたすら動いている。
全ては逃げる為に。
俺はただずっと逃げて。
逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて――。
――おはようございます。
え?
――お、彼も成功ですね閣下。
気付いたら、俺を二人の男が覗き込んでいた。
一人は古ぼけた本を手に持つ、トレンチコート姿の、青年とも少年とも言えない年齢の日本人。
もう一人はワイシャツにズボン姿の、背が高くがたいの良い短い金髪の西洋人。
そんな二人が俺を覗き込んでいる。
誰だ?
そう声にしようとしても声にならない。いや、それだけじゃない。
体が動かないのだ。
まるで金縛りにでもあったかのように、指の一本まで微動だにしない。
――これで骨と腐敗の重い二人を除く四人が成功です。
――いやぁ死霊術なんて五年前に試しに使ったくらいだから成功して良かったよ。
訳の分からない会話をにこやかにする二人以外に、自分の回りにも何かある事にふと気づいた。目も動かないのに不思議だ。
それは死骸だった。
布のような何かが着いた死骸。
さらにその隣には仰向けに寝ている女性や崩れた様に座り込む爺さん。
さらに隣には何かの骨まであった。
えっ?
そこで不意に食散らかされた死骸についている布の正体に気付いた。
服だ。
あれは人間が着るセーターの残骸だ。
じゃあ、あの死骸は――。
人間?
突然の吐き気が襲う。けれど吐けない。嘔吐するはずの体が動かない。
おかしい。これはおかしい。
あの死骸は何だ。俺の体はどうなっている。
さらに気付く。
あそこに見える人達は、寝ているのでも、座り込んでいるのでもない。
その奥に見える骨もきっとそうなのだろう。
死んでいる。
全員が死んでいるのだ。
――怖い。
ここにあるのは死体だけ。身体が震える。
逃げよう。
逃げなくては。
ここに居てはいけない。
早く!
早く! 早く! 早く!
早く逃げなければ、また、また俺は――。
俺は?
また、俺は。
俺は、確か。
死んで、しまう?
いや違う。俺は。
死んでしまったのだ。
あ――。
ああああああ。
ああああああああっ。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ!!
「うるせぇ!」
ふごぅ!?
い、いてぇ!? えっ、ちょ、俺いま殴られたの!?!?
〔レン・グロス・クロイツェン〕
俺とサン・マルヒは遊歩道を外れると障気を頼りに目的である自殺者達の遺体を捜していた。
今回のここに来た目的は地球での真っ当な身分獲得。その方法は地球人その――アンデッドの雇用だ。
当初は俺自身の身分を何とかしたかった。
けれど無茶はしたくなく、逆にこの正当性が魔王崩れにはない俺の優位性でもある。
そこで簡単な業務には代理を使おうと思い至った。となれば協力的かつ、いざと言う時は逆らえない人材が良い。
で思いついたのがアンデッドの利用。幸いうちには死霊術師もいる。法外な金さえ使えば彼らの肉体も保存可能。
「でも本当に異世界と言うのは面倒な社会ですね。セラなら死体なんて何処でも手に入るのにこっちじゃ、これだけ手間が掛かる。普通の遺体じゃダメなんですよね?」
「ああ。医者により死亡判定された遺体は社会的にも死者なので身分もクソもない。条件は社会的に死が発覚しておらず、死しして時間があまり経過していない、損傷の少ない遺体だからな」
となれば病院、警察の遺体安置所、火葬場、どれも使えない。
そこで
樹海に三日間泊まり込み腐敗している者や骨だけの者も含め六人もの遺体を見つけ、大型クーラーボックスに入れ定期的に魔術で冷凍している。
自殺者なんかそうそう見つかるものでもないが探知魔術の優秀さにも助けられたらしい。
そんな訳で今、俺達の前には六人分の遺体と、そこから分離させた霊体となった魂がいる。ただ骨と腐敗してしまった方は既に昇天されたかしたらしく、死霊術の効果がなかった。
しかしさっきから霊体達が思念を通して騒がしい。
会話が可能なのは強制的にアンデッド化させた事で俺が“親”になったせいだろう。
特に一番若い男の霊体が騒がしく、つい魔力を宿した拳で殴ってしまった。蒸発しなくて良かった。
「はいはい、皆さん静粛に。ご注目願います」
俺が手を叩くと霊体達の意識が俺に集まる。アンデッド化の儀式の最後の呪文を唱えると目の前にいた霊体が元の体に戻っていき、しばらくすると――。
「かっ、体が動くだと!?」
「げぇ!? 足が有り得ん方向に曲がっとるぞ!」
「ひっ! 体の中が腐ってる!?」
微動だにしなかった死体達が動き出す。死体に残っていた彼等の魂の一部こと霊体と仮契約し、持ってきた魔石を使い法外な魔力量をブチ込んでやった。
『修復』
あとは別な魔術で損傷を何とかすれば、この様に体の生死に左右されない人間が出来上がる。
ただ魔力がなくなればまた元の状態、死ぬし、体を大きく破壊すると器としての機能を失い霊体が分離してしまう。
なおこの分離した霊体を放っておき、魔力が障気へ代わるとやがてレイスになる。
さておき、混乱する彼等に対し前へ出ると俺はその場で一礼してみせる。
「あらためまして皆々様。私の名前はレン・グロス・クロイツェン。この世界とは異なる次元に存在する異世界セラより参りましたグライスベリー公国その君主、クロイツェン大公と申します。
人類三大英雄の一角にして百花騎士団の総大将。そして花殿大公や魔導王と呼ばれるまぁ――そこそこ有名な魔導師です」
当然混乱する。
いきなりな訳の分からない口上に、彼等は死者蘇生されて間もない。
だがゴリ押すつもりしかない俺は彼等にニッコリと微笑む。
「実は今回、私は皆様を部下として雇用しにこの森に参りました。そこでこれより――このまま死ぬか、不死になりうちで働くか面接を行いたいと思います」
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