第5話 ペテン師

〔蜘蛛の魔族 サン・マルヒ〕








「……な訳がねぇだろうこのペテン師野郎」


 門の中へ消えたはずの少年の声が私の背後から聞こえた直後、なぜかイザナミ神が情けなく宙を舞って門の中に頭から突っ込んでいった。


『くっ!』


 だが神も慌てて両手で門を掴み一回転すると、何とか下半身だけ入った状態で踏み止まった。


「なにを」


 あまりの暴挙に混乱し後ろへ振り返ると先程の門に消えたはずの白い一張羅に大華の金刺繍の少年がいた。


 彼はこちらを一瞥もせずゆっくりと私の横を通り過ぎると、門から何とか戻ろうとするイザナミ神の顔面を思いっきり――足で踏ん付けた。


『んがっ!? 貴様どうしてここにいるッ? いやそれより自分がなにをしているのか分っているのか!? 神である我を蹴り飛ばした挙句に足蹴になど、この不届き者が!!』


「不届き物がぁ? そりゃあこちらのセリフだ。なにがイザナミだ。何が唯一の神だ。せめてペテンに掛けるなら騙る神の性別と宗教くらい調べろ三流が」


 さらに顔面を踏み付けたイザナミ神に向かって暴言を吐き捨てる少年。先程までの神への敬意など微塵もない。

 門に消えたのにどうして背後から出てきた? 神を足蹴にしても許されるのか? 様々な疑問が沸くが先に少年が喋り始める。


「オイ自称神とやら、お前はこの短いやり取りで四つもの間違いを犯した。まず第一の間違い。お前が名乗ったイザナミは男ではなく女性神だ」


『っ、なにを意味の分からんことを』


「第二の間違い。この国の守り手? 百歩譲って日本神話が間違っており、お前がイザナミ神だったしてもこの国を守る唯一の神だと? 八百万の神々を崇拝する神道で、しかもアマテラスオオミカミすら退けて、日本の守護者気取りで唯一神を名乗ると? 寝言にもならんな」


『は? や、やおよ? アマテ?? ……貴様、現地の人間に伝聞を吹き込まれたか? 阿呆は貴様だ。そんな神など存在しない! 我よりも人間の言葉を信じるのか!?』


「信じるも何もお前がペテン師だという確証は一目見た時からあったわ。そも、いきなり現れて自称神だなんて誰が信じるんだよ。頭花畑か」


『時空を歪めるこの力は見せたであろう!』


「ああ、今俺達の周りの時間が止まっていることか? これお前の首から掛けているブローチに込められた時空間魔術だろ」


「え?」


 思わず私も踏み付けられている顔面の下にある緑のブローチを見た。

 ――この停止した周囲は彼の権能ではなく魔導具の効果ですって?


『違う。これは魔術等と呼ばれる低レベルな力ではなく――』


「第三の間違い。これは魔術だ。だってその時空間魔術をエンチャントしたブローチ作ったの俺だもの」


『は?』「え?」


 驚愕と戦慄と共に少年の顔を見る。

 セラにおいて時空間魔術を会得した人間はたった一人しかいない。それを魔導具に出来る人間も同じ。


『貴様っ、あの花殿大公かっ?』


 花殿大公。

 人類三大英雄の一角。魔導王。花園の悪魔。千華の魔王。百華繚乱フル・フルール。つけられた蛮名、勇名、悪名は数知れず、齢十代ながら王国から穀物地帯をぶんどり独立。

 四大国のど真ん中に国を興した戦闘狂にして、大国を相手に未だ勢力を維持し続けるグライスベリー大公国初代君主、レン・グロス・クロイツェンただ一人。


 この目の前で自称神を足で踏みつけるこの少年こそクロイツェン大公本人とは、まさかの大物に自称神も私も一瞬言葉を失っている。だが当の本人はおかまいなしに話し続けた。


「その大公だ。さっきも門の中から空間転移で別な場所に飛んでいた。転移の魔術を普及させたの俺だしな。そのブローチも同じ。お前は俺が昔作った魔導具を使わねば時間を止める事も出来ないが、俺はそんなものなくとも好きにできる」


 そしておもむろに少年、クロイツェン大公が自称神の首に掛かるブローチに手を伸ばし引き千切る。あっ、と情けない声を出すうちに周辺の止まっていた景色が動き出した。

 ……今のは暗殺者の動きだった。


「しかも花殿大公? とはどういう意味だろうなぁ。日本神話の神がよくもまぁ異世界の一国の王である俺のことを知っているな?」


『いっ、いや、それは前に飛ばされてきた魔族が――』


「まぁいいよく聞け三流。最後の間違いだ。お前は俺達に門を潜れと言った時、そうしなれば死ぬと言ったな?」


『それは……このまま力を使えば……すぐにお前達の魔力は枯渇して死――』


「死なねぇよ。絶対に」


『なぜ言い切れるッ』


「俺はこの世界に飛ばされたんじゃない。元々この世界の人間だからだ」


『……は?』


 一瞬、私も意味が分からなかった。

“元々この世界の人間だから”。ありのままに受け止めれば、それは。


「レン・グロス・クロイツェンはセラで生まれた人間ではなく、地球で生まれた人間なんだ。その上で言おう。この世界の人間は魔力を隠しているのではない。俺がそうだったように、最初から魔力を持っていない。つまり魔力が枯渇し続けても衰弱で死ぬことは決してない」


『――』


 無茶苦茶である。

 けれどついに足で顔を踏まれている自称神は反論すら出来なくなってしまった。どちらもとんでもない主張だが、クロイツェン大公の方が明らかに優位。


「まぁそんな事よりお前さっき言ったな……『現地の人間』に伝聞を吹き込まれたのか? って」


 失言だったと分ったのだろう。自称神の表情もしまったという物に変わる。


「さて、この地球人を現地人などと呼ぶお前はいったい何処の人間だろうな? ああ、そういえば魔王崩れの一派に召喚門を駆使する幹部がいた記憶がある。答え合わせといこう――解除」


 それはかなりレアな魔術打消しだった。

 人に対してそういった魔術を使うのは失礼に当たるが、使える人材は漏れなく重宝されるもので、魔族相手には厄介なものである。

 そして魔術の輝きが去った後、現れたのは――。


「鳥人か」

『ッ』


 蓋を開けてみればなんて事はない。門へ誘導していたのは神でも人でもなく人間の身体に鳥の頭と羽を持つ自分と同じ魔族であった。


「動くなよ魔王崩れ。どうせこの門の先は地獄なんだろ? 知らずに入って行った馬鹿な俺達をそのまま殺そうって算段だった訳だ。ならこのまま蹴り落としてやっても構わない。……しかしお前にはまだ聞きたい事がある。いいか、自分の置かれた状況を理解した上で答えろ。一体いつから、どれだけの魔王崩れがこちらにおり、何を企んでいる?」


『答えると思――』


「空間切断」


 門にしがみ付く鳥人の右腕が前触れもなく断裂した。支えを一つ失い苦悶に喘ぎながら残った左腕でなんか門にしがみ付く。


「もう一度だ。一体いつから、どれだけの魔族がこちらにおり、何を企んでいる? ああ、俺は看破の魔術も使える。それも踏まえて答えろ」


 重苦しい沈黙の中で鳥人が声を絞り出した。


『……まだ我らがこちらに進出してそんなに経ってはいない。正確な数は我も知らん。企みなどは言わなくとも分るだろう。この世界の人間は抗魔力が低い。洗脳や記憶改竄と言ったセラではまるで使えない魔術が面白いように通る。そうして秘密裏に国々の王達を支配しこの世界の軍事力を手にすれば、セラの支配も夢ではない』


「確かにな。なら次の質問だ。転移の方法は先の話で分ったが、セラと地球が重なる場所と言うのは何処に、何箇所ある。魔王崩れは自由に行き来できるのか?」


『……行き来は出来ない。ここが重なる場所だった事もお前達が現れて初めて知った。直前に同胞がこの近辺に飛ばされると分り、やって来て見れば同胞は来れず、逆にお前達がいた。こちらも突然の事態に驚いているのだ。出なければこんな嘘もつかず、もう少し上手く処分してやったさ』


 恨みがましい視線で睨みつけてくる。


「答えが抜けているぞ。ここがその二つの世界が重なる場所だったという話はどうやって同胞から連絡を受けた? 何よりここがお前達がやってきた場所でなければ、お前達が転移した場所は何処にある?」


『っ……連絡は双竜剣だ』


 ――なるほど。

 二人の話を聞いていて、二つの世界を股にかけて連絡するのは理論的に不可能ではないかと疑問に感じていた。


 しかし二対にして一つとされる双竜剣なる剣がある。

 名前の通り双頭竜の牙から作られた武器と言われ、互いに共鳴しその距離が近ければ近いほど魔力が高まる性質がある。

 それを利用し、少しでも世界が繋がれば剣同士が共鳴し凡その場所が分るという事か。


 けれどそれだけ言って鳥人は黙り込んでしまう。決してもう一つの質問には答えようとしない。


「……」


 鳥人を踏みつけるクロイツェン大公の表情も冷ややかだ。やはり彼もおかしいと感じているらしかった。


 ――この鳥人、ぺらぺらと喋る割に肝心のところはなぜ喋らない?


 そう、腕一本で口を開くならもっと素直に質問に答えるだろう。

 けれど彼らがこちらに来るのに利用した、もう一つの世界が重なる場所についてだけはさっきから意図的に言及を避けている。代わりに他の質問にはぺらぺらと答える。そのギャップが不気味すぎた。考えられるのは……。


「空間――」

『ッ!』


 時間稼ぎ。

 私がそう思い至ると同時に、同じく察したであろう大公が鳥人の首を跳ねに掛かったが、それより早く鳥人が門から手を離して銀色の膜の中へと消えてしまった。一瞬の駆け引きであった。


「自殺かっ?」


 そして空白。自分で仕掛けた罠の中に消えたのだ。その意図が読めない。


 だが直後にゴオンという鈍い金属音が遠くで響いた。門だ。別の場所に新しい門がいつの間にか現れており、気付くと同時に中から一つの燃え盛る影が空へ飛び出した。


 ――門の中を移動したのか。


 今の尋問の最中、内側を通り脱出できる新しい門を作ったのだろう。その身体が燃えていたのは門の中が火の海か何かで捨て身の脱出だったのが伺える。


「時間停――チッ」


 だが火に焼かれながらも鳥人は大公から逃げ切る。

 大公が魔術を行使し掛けるがそれより鳥人は速い。術者の意識より速く動かれればさしも時空間魔術も間に合わないらしい。


「面倒な」


 不愉快という顔だ。魔導王とまで言われる御方にしては意外なミスである。


 ――いや、彼は戦闘後でしたね。もしかしたら魔力があまり残っていなかったのかもしれません。


 なんにせよせめて殺さなければならなず、出来なければ魔王崩れ達に自分達の居場所が露呈するのは必定。

 ただ私も手を拱いて見ていた訳ではない。


「大公閣下。突然ですけど、私を雇いませんか?」


「……なに?」


 怪訝そうに振り返る彼に私は一つの提案をした。


「私、フリーの傭兵なんですが大公閣下のところで雇って頂けませんかね? 貴方様がどういう経緯でこの世界からセラに来たのかサッパリですが、私もこのまま異世界に放り出されるなんて御免被りたい所でして。私は」


「魔術師殺しのサン・マルヒか」


「……ご存知でしたか」


「凡そはな。お前の雇い主である男爵、というよりその上の連合国の重鎮が訳あって傭兵を送ると俺に文を寄越してきた。……ただそれは雇い主の話だ。お前が俺の敵ではない証明が出来るか?」


「ええ。どうぞ」


 私は満を持して手に持つそれを差し出す。


「これは?」


「さっきの鳥人の正体が露呈した段階でこっそりつけておいた私の糸です」


 この糸の先にさっきの鳥人はいる。あとは大公……閣下がどうにかするだろう。

 実際、糸を差し出す私を見て大公は笑みを深くした。


「へぇ? 有能な者は好きだ。人だろうが魔族だろうが問わんよ」


「そういうところ私も好ましいです。では」


「ああ。よろしく頼む。ただ俺も一つ言わなければならん事がある」


 ――はて、なんでしょうか?


「実は俺、こちらの世界だと『花園ガーデン』が使えないから無駄に器用な三流魔術師なんだ。さっき逃走を許したのはそのせいでな。なのでしばらくは俺の代わりに戦闘など頑張ってくれ」


「えっ!?」


 花園ガーデン

 それはクロイツェン大公の代名詞。彼を魔導王や花殿大公とまで言わしめる根拠となる無尽蔵の魔力を生み出す不可侵の花畑だ。

 それを見た者はすべからく死ぬと言われているが、その切り札がないのならどうやって鳥人を殺すのか。


「いやいやいやそれってヤバイんじゃ、というかあの鳥人どうやって仕留めるんですか!?」


「まぁこいつでなんとかなるだろ。ダメだったら……その時はその時だ」


 そういって彼は一本の短剣を取り出した。


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