第3話 蜘蛛男

〔レン・グロス・クロイツェン〕





「……………………」

「……………………」


 お互い呆然としたまま言葉が出ない。

 何を言っていいのか分からないし、まず状況を受け入れるのに時間が掛かった。


 そんな永遠とも思える数秒の中で、俺の思考はまず“加賀美レン”ではなく“大公レン・グロス・クロイツェン”として機能した。


「――まずいな」

「え?」


 驚く幼馴染のお姉さんを無視して背後の森へ振り返る。

 もしここが本当に現代の日本だったと仮定しよう。――では同じ転移の魔法陣を通って消えた可能性のある“魔王崩れ”の一派はどうなったのか?


「美沙姉。この世界に魔術ってあるか?」


「えっ? 魔術?」


「ああ」


「……えっとそれは比喩とか、神様の奇跡とかの話?」


 彼女の言葉で確信する。

 駄目だ。感動の再会なんてしている場合ではない。もし仮にこの森の中に魔族の一派が潜伏していたとしたら、こちらの世界の人間に対抗できる手段は恐らくない。


「美沙姉さん。すまないが家に帰って俺が戻ってきたことを父さんと母さんに伝えてほ――」


「待って。待ちなさい。さっきからあなたは加賀美レン、私の死んだ幼馴染を名乗っているけれど彼は十年前に死んでいるのよ? 貴方が誰か知らないけど悪質な冗談は本当にやめて」


「……確かに受け入れ難い状況ではあるか」


「受け入れ難いも何も話にならないわよ、いきなり自分は十年前に死んだ幼馴染みの男の子ですなんて。そもそもレンってもっと暗くて、泣き虫で、甘えん坊で、貴方が十年成長した姿には見えないわ。証拠でもあれば別だけどそんなもの――」


 レンはその言い分に思わず苦笑した。

 確かに昔の自分は幼馴染みの後ろを引っ付いて回る所謂、泣き虫でなおかつイジメられっ子だった。


 ――奴隷時代と暗殺教団時代の地獄の日々がなければ今も昔のままだっただろうな。


 どうでもいい回想を頭の片隅に浮かべながら彼女に自分が加賀美レンである証明を試みる。


「証拠ならある。父さんは加賀美健一、職業は公務員。母さんは加賀美凛、華道の加賀美流家元。祖父は加賀美仁八。父の結婚前の名前はフタミ……だったか確か?」


 美沙姉さんの表情が再び驚きに変わる。だがすぐに表情が戻り引かない。


「その程度なら少し調べれば誰だって分かることよ」


「あとは……美沙姉さんは料理が下手で、塩を入れ過ぎた上に丸焦げになった肉料理……えーと……名前が思い出せない。まぁいい。あの料理を俺が食べて、その後に病院に担ぎ込まれた事があったはず。一応、親達には学校から持って帰った二日前のパンを食べたって嘘を吐いたけどな」


「っ!?」


 彼女が見開いて狼狽した。


「他は――黒子か。俺のうなじの所に黒子があって、お風呂に入った時に美沙姉さんに散々からかわれた記憶がある。「変身スイッチみたいねっ!」とか言って押し捲られた」


 そういって彼女にうなじに隠れた黒子を見せると言葉を失った。


「信じて貰えたか?」


「嘘。本当に……あなたレン坊なの?」


「ああそうだ。しかし急で悪いんだが母さんと父さんに俺が戻ってきた事を伝えて欲しい。頼んだよ、すぐ戻るから」


「え? いやっ――」


 それだけ言って俺は踵を返した。

 背後で何かしら美沙姉さんが叫んだ気がしたが彼女を置き去りに、俺は最初にこの森に出た場所へと向かった。









「リリエラはいるか! いるならば来いリリエラ!」


 俺は彼女が追いつけないだろう距離を十分に取ると周囲にいるはずの存在を探す。けれど誰の返事も返って来ない。


 ――面倒な。


 無意識に舌打ちが出た。

 リリエラは俺が契約している“花園ガーデン”と呼ばれる花々の精霊である。彼女と連絡が取れない等という事は本来ならば有り得ない。

 だがここは地球。俺が十年いたセラと呼ばれてる世界からすればこちらが“異世界”――。


「やはり“花園”とのパスは断たれたと思った方がいいな」


 同時にそれは魔導王たる自分が持つ人類最強の切り札を喪失している事を意味していた。

 “花園ガーデン”。

 それは簡単に言ってしまえば超巨大な魔力プールだ。魔力伝導の高い特殊な花をとある場所に植え付け咲かせ、その花に宿るリリエラを中心とした精霊達と契約することで、そのとある場所に存在する魔力を俺が無尽蔵に使える様にした独自のギミックである。


 だが契約対象であるリリエラ達がいなければ、無限の魔力を引き出すことは叶わず無駄に多芸な魔術師(元暗殺者)に俺は成り下がる。こうなると魔王崩れとの戦闘自体が危険になるが。


「しかしここが地球ならば放置する訳にもいくまいよ――時空間魔術 空間作成」


 自嘲気味の溜息一つ。一張羅の懐の異空間を開けて安物の本と古びたローブを取り出し羽織ると、暑さを我慢して再び森の中を歩き始めた。















〔アラクネ族 サン・マルヒ〕





「何なんですこれは……空を飛ぶ鋼鉄の飛行物体に、巨大な空中道路を高速で行き来する鉄の甲虫の群れ、張り巡らされた鉄の柱、此処は一体何処だと言うんですか!」


 ――私が高温多湿の謎の山に一人迷い込んでから小半刻。


 山頂から遠くに見える景色にただただ驚愕していた。

 半人半蜘蛛アラクネ族の魔族である私からしてもこんな人工物・建造物は見た事がなく、視界から情報を得れば得るほどに混乱してつい声を荒げてしまう。


 けれどそれ程までに有り得ないのだ。

 山頂で一際高い巨木に登り見つけた数々は……空を行く鳥に似ているが明らかに無生物と思わしき飛行原理不明の人工物。巨大な空中道路を高速で行き来する甲虫の様な物体群。気温と湿度の急激な変化。これら全てが私の知っている世界を否定する。


 おかしい。自分は魔王崩れと大公国の戦いの最中に転移の魔法陣に巻き込まれただけ。なのに世界がこうも激変するなど有り得はしない。


「随分と面倒な事になりましたねこれは」


 そもそも私はフリーの傭兵である。別に魔王崩れではないし、それと戦っていた公国軍でもないのだ。戦場に居合わせたのも魔王崩れに囚われた捕虜を救出する依頼を受けていただけ。


「しかも依頼で助けたはずのサキュバスまでいなくなっている始末。まぁ無事ならいいんですが…………いやそれよりも自分の心配ですね。魔王崩れからは敵視されるでしょうし」


 あの転移の魔法陣は確か魔王崩れが仕掛けたものだったはず。つまり奴らも同じ森にいる可能性が高い。

 ……まさかあの飛行物体も甲虫も実は彼らの秘蔵している秘密兵器だという可能性も。


「っ」


 不意に足の繋がっている無数の糸のうち一本が震えた。今いる巨木から広範囲に巡らせた警戒用のものだ。

 すぐさま自分の体を木々の中に隠し、すぐ近くにあったより大きい探知用の蜘蛛の巣に足の一本を置く。


 ――いた。


 一定周期の振動。体重推定六~七十キロ前後。振動感覚から二足歩行。方角は東。距離は……まだ遠い。

 私は複数の魔術を自身に施し、隠蔽状態にして大木から飛び出した。しばらくすると対象を“鷹目”で捉える。


「やはり助けたサキュバスではありませんね。魔族にも見えませんが……」


 視線の先にいたのはローブを被り本を持った人型が山の中をゆっくりと歩いていた。木々に身を隠し五十メートル以上離れその人物の動向を窺う。


「見た目は典型的魔術師。フードには隠蔽の魔術が掛かっているが大したものでなはいし、手に持っている魔導書も三流程度。……思ったより弱いですね」


 装備からして大した敵ではない。足取りにも怪しいところはない。ただ。


「ローブが深くて顔が見えません。暑くはないのでしょうか。暑さ慣れしている現地人でしょうか」


 魔法使いの動きに合わせ、私は木々の隙間を影に隠れながら音も立てずゆっくりと八本足で移動ていく。その途中に絶好の地形を見つけたので、お尻から糸をその周辺に張り巡らせてスポットを作る。


「とにかく捕えてみましょうか」


 目標が魔術師である以上、アサシンである私との相性は最悪。スポットは既に仕掛けた。念の為に自分の周囲にも糸を巡らせて置く。

 しばらくしてそこへ魔術師がやってきて、足を踏み入れる。刹那、視認できない私の糸が四方から浮き上がり彼を空中へと引き上げる。


 捕えた。


 だがそう思った瞬間、糸の網の中からフードが忽然と消えた。


「ば」


 馬鹿な。そう叫び掛けた声を噛み殺す。

 念の為に逃走防止様に仕掛けた糸が、全く想定外の背後で反応したのだ。

 仕留め損ねた? 否。後ろに現れたということは。


 ――罠。逆にこちらが誘い込まれた。


 ゾッとして振り返るが視認するより早く腹部に強烈な痛みが走る。


「ぐふっ!」


 木の上から蹴り飛ばされる。その下にあるのは他でもない。


 ぐるんっと視界が引っくり返ると同時に、情けない事に己の仕掛けた糸に絡め取られた。

 けれどこれは自分の糸だ。即座に糸を分解しようと試みる。


「――無理だぞ。アラクネの糸が本人の思いのままなのは本人の魔力によって出来ているからだ。よって俺がこうして糸に魔力を流し込んでグチャグチャにすれば出した当人にも解除は難しい」


 自分の仕掛けた罠を切ろうとする私に、入れ替わるように木の上に現れ私を蹴り落とした人物が告げる。

 事実、自分の糸なのに切れない。仕方なく完全に立場が逆転した状態で声の主を見た。


 まだ若い青年が私の糸を絡め取っていた。みすぼらしいローブは消え白い高級そうな一張羅に変わった彼が薄ら笑いを浮かべている。


「なるほど」


 やはりあの姿はこちらの油断を誘うためのもの。ハメられたのだ。


「安物のローブと魔導書は囮でしたか――人間に見えますがその実力からして魔王崩れ幹部の一人だったとは」


 私も暗殺家業は長い。

 それがこうも手玉に扱われたのは密かに衝撃であった。相当な手練れ。まだ手はあるが迂闊に動いたら負ける。

 等と思っていたが……。


「は? 俺が魔族? 逆だろ。お前が魔王崩れでは?」


 返ってきたのは予想外の言葉だった。


「わ、私は巻き込まれただけのフリーの傭兵です! この奇妙な場所に飛ばしたのは貴方ではありませんか?」


「馬鹿言え。こっちも飛ばされた側だ」


「はい?」


 思わず少年と見詰め合う。

 どうにもお互いこの場所に心当たりはないらしい。しかしそれを信用する訳にも――そんな時だ。


『すまない。私が二人を異世界に招いてしまったのだ』


 突如、空から第三者の声が響いた。

 二人同時に見上げると数人が通れる程度の黒い門が現れていた。直後、周囲の音が止まる。景色までも色を失い自分達の周りより外側のものが動かなくなった。


「なにっ? これは一体――」


『時を止めさせて貰った。異世界の住人である君達はこの世界に干渉すべきではないのでな』


 門から声が聞こえるだけでその主は見えない。だがやがて音を軋ませて門が開き始め……白い法衣を纏った面長の男が出てきた。その背中には白い翼も見える。


「――誰だ?」


 少年が静かに問う。


『私はこの世界の時空を管理する神だ。そして』


 神。


 そう意味の分からない事を名乗り門から出てきた白い男は、宙に浮いたまま私達を見下ろし告げる。


『我は間違って異世界から召喚された君達を、元の世界に送り返しにきた』


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