第2話 墓
〔レン・グロス・クロイツェン〕
「ここは一体どこだというのだッ!」
山中で一人、俺は困惑していた。
先程までの魔族との戦が嘘のような静けさである。
歩きながら周囲を見渡しても誰もいない。俺が率いていた騎士団の部下達や、命のやり取りとをしていた魔族達は影も形もない。魔物の気配すらも感じない。
「俺だけがここに飛ばされたのか?」
思い出すのは戦いの最後の光景。
戦の最中に光る魔法陣へと逃げ込んだ魔族の将を追い、部下を率いて飛び込んだはず。
――あれは転移の魔法陣だった。
転移。最大で半径1キロ程だが異なる場所へとその魔法陣の上にいる者達を飛ばす魔術。ならば全員が飛ばされたはずなのに、ここにいるのは俺だけだ。しかも。
「なぜこんなにも暑い? そしてこの湿気。わずか1キロほど飛んだだけでこうも劇的に気候変動するだと?」
俺は木々の間から差し込む日差しに額を払い、汗でへばりつく服をばたつかせる。
今の俺の服装は色とりどりの宝石が散りばめられ背中に大きな金花の刺繍が施された、あらゆる魔術を弾く白の一張羅。手には腰までの高さの世界樹から作り出した手彫りの杖だ。
魔導王や花殿太公とも呼ばれる大公の権威を飾るに相応しいが、こんな高温多湿の山の中にいる格好ではない。事実、先程の戦場はかなり寒かったしそれが通常の気候だ。
「大規模魔術か?」
この異常な気温差に俺は何者かの作為を感じ警戒したが……ふと立ち止まり、乱立している木の一本を触り検分する。
「……しかしこの木は故郷でよく見たブナ科だ。確か温帯や亜熱帯の環境に自生する事を考えれば、元々この場所にずっと生えていた可能性が濃厚……魔術で一時的に環境が変化させられている線はないな。
つまり大陸の温帯か亜熱帯の何処か……おそらく遥か遠い帝国領の端か辺境国あたりに飛ばされたか? ――だが」
そこまで考察して、もう一つの異常がそうではないと訴える。
「ならばこの異常なまでのマナの薄さはなんだ?」
マナとは体外、すなわち自然界に存在する魔力を指す。
魔力はこのマナから補充され、セラと呼ばれるこの世界で魔術が存在するのはマナが何処へ行こうが潤沢にあるからだ。
その肝心のマナが殆どないのだ。
「こんな魔力の不毛の土地など未だかつて聞いた事がない」
状況。気候。マナ。
やはりそれら全てが尋常ではない事態に巻き込まれているぞと、俺に警鐘を鳴らしてくる。
「……今度ばかりは深追いだったか」
思わず自嘲の笑みが浮かぶ。
先程まで戦っていた敵の魔族は“魔王崩れ”と呼ばれる一派だった。
なぜそんな名で呼ばれるかと言えば、コフクという名の彼らを率いていた魔王が既に死んでいるからだ。
いわば魔王を失った残党軍である。
――しかし追い詰められているからこそ警戒すべきだった。
半日ほど前、配下である大公国の騎士団を動かし彼らを壊滅寸前の所まで追いつめた。すると敵将が魔導具を使用してお馴染みの転移の魔法陣が出現させ、そのまま逃走を試みた。
――罠があれば罠ごと殲滅してやればいい
そう割り切り部隊を率いて魔法陣に飛び込んだが、結果はこの様である。
「あの魔族は俺が飛び込んだ時も心底動揺していた。なにより一人だけ別の場所に飛ばす転移など存在しないはずなんだが……今は考えても致し方ないか。とにかく人里を探そう」
俺は思考を打ち切り未知の山を汗をかきながら進む。
「全く、汗で服が体に張り付いて気持ちが悪い……ん?」
やがて木々が疎らになり獣道が比較的歩ける様になってきた頃だ。
開けた土地に建造物らしき物が並んでいるのが見えた。よく見ると若い女性らしき人影も見える。
「鷹目」
俺は木々に身を隠しながら最低ランクの魔術で彼女の顔立ち、服装を遠くにいるまま確認した。
――人種的には俺と同じか?
王国や騎士国で見かける金髪碧眼とは異なる、自分と同じ黒髪黒眼。髪を後ろで束ねるポニーテールをした彼女は、自分より少し年上に見えた。快活、姉御という印象の少女だ。
服装は……薄着だが小奇麗。
また体型からしても貧困とは考えられない。肌の露出具合からして情婦……というより、避暑地に遊びに来た商家の娘。しかし護衛の姿が見えないのは些か気になる。なぜだ?
なんにせよ転移の失敗で現在地を見失ったと話せば面倒にはならないはず。こちらも正装だ。よもや野盗の類に間違われる事もあるまい。
そう結論付けて彼女の前に姿を現す。
「失礼、お嬢さん」
「っ?」
突然声を掛けた俺に彼女が振り返る。
「ご機嫌麗しゅう。まずは突然の非礼をどうかこの粗男に謝らせて頂きたい。私はグライスベリー公国の爵位を持つ者。実は峠で馬が怪我をしてしまい困っているのです。どうか姫君よ、ご両親のところまで案内しては下さらないだろうか?」
一応、統一言語で出来る限りの笑顔と、武器を持ってないというアピールを意図したジェスチャーを混ぜて話しかける。
「?」
しかし突然の事に明らかに混乱している様で返答がない。
俺は無害な笑みを浮かべつつ、そのうちに周囲の建造物を何となく盗み見た。
――これは墓石? ここ、共同墓地だったのか。
並んでいたのは大理石を極めて洗練された技術で加工したと思われる墓石の数々だった。
凄い技術力だ。王国の職人でもこうは綺麗に…………ん、あれ? ちょっとまて。俺は今どうして――。
「あっ、えっと」
不意に妙な違和感を覚えたが、少女の声で現実に引き戻される。
「あ、アー、ユー、チャイニーズ?」
「…………は?」
一瞬、何語か分からなかった。
間違いなく統一言語ではない。エルフの言葉でもない。ましてや竜の言葉でもない。
しかしこちらの素の表情に女性も困ったらしく、頬をかいた。
「どうしよう。英語も通じない。さっきの言葉は中国語か韓国語だと思うんだけど……」
しかし。
「あの、俺の言葉通じますか?」
俺は装うのも忘れ、無意識に何か別の言語を口にしていた。
「えっ! あ、良かった。話せるんですね」
少女が表情を崩す。それだけで美人慣れしてない男は一発で落とされそうな笑みだった。しかし。
「え?」
待て。
待ってくれ。俺は今、いったい何の言語を喋ってるんだ?
俺は基本的に何でも喋れるバイリンガルだ。竜語から精霊言語まで何度もできる様にこの十年、血反吐すら呑み下し覚えたのだ。そうでなければ偽貴族も暗殺者も大公も務まらなかっただろう。
だが奇天烈怪奇な事に今、自分自身が何語で会話しているか理解できない。
「えと、あなたも御墓参りですか?」
「…………ええ、そんな、ところです」
思わずバレる嘘が口から出てしまい慌てて誤魔化す。
「そちらもですか?」
「はい。今日は小さい頃に亡くなった幼馴染のお参りです」
そういって彼女はすぐ隣に建てられている墓石に目を移した。
「そうでしたか。それはお悔やみを――っ」
困惑しながら体裁として沈痛な面持ちを浮かべ、礼儀的にそちらに目線を送った所で完全に言葉を失った。
原因は文字だ。礼儀として目線を送った墓石。そこに書かれた字に茫然となる。
加賀美 レン。
「かがみ、れん?」
「どうかしました?」
目の前の女性の声すら届かない程に混乱していた俺だったが、無意識に言葉が口から出る。
「え。これ……………………………………………………俺の墓じゃん」
そこで俺はようやく理解した。
この高温多湿な気候。
俺と同じ女性の人種。
墓石を加工する技術力。
異様なマナの薄さ。
そして自分が今使っている謎の言語。
「そうだ………………これ、日本語だわ」
自分が会話に使っていた言語が自分にとって、かつて異次元の彼方に置き去りにした母国語だと悟る。
「じゃあここ……は? そんなこと確かなのか? どうして……あれだけっ、どうやっても日本に帰れなかったというのにッ?」
「えと、あの、今、あなた俺の墓って……?」
「――っ」
俺は雷に打たれたかの様な衝撃と共に目の前の日本人を見た。
――しっかりしなさいっ、れん坊!
不意に十年前にこの世界に残し、生き別れた年上の幼馴染の少女の声が蘇った。
「冗談だろ」
十年もの時間で曖昧になった記憶。だがその面影が目の前の女性に重なる。
「まさか美沙姉さん?」
呆然と呟くと今度は目の前の女性が、驚愕した。
「あの……確かに私は美沙ですけど、どちら様ですか?」
「か……加賀美、レン。です」
「え?」
「えっと……久しぶり」
十年でガキ大将から美人に変貌を遂げた幼馴染は、呆けた表情で固まった。
こうして十年の時を経て本人の意図と全く関係なく現代日本へ帰還していた。
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