第29話 TRACKS~野々垣編~

 本当にあの先輩はなんなんだ。


 久しぶりに会おうということで人を一方的に呼び出しておきながらこの有様だ。


 だいたい「アイドルをやろう?」ってなんなんですか。


 意味が分からない。


 親しき中にも礼儀ありという言葉があるが礼儀以前に常識が先輩には足りていないのだ。


 だから、ぼっちなのだ。先輩は。


 先輩は心理学研究同好会と言っていたか。

 2年生になって新しく部活を始めるなんて人はあまりいない。

 あまりにも人間関係が希薄だから2年生になってカルト宗教の類にでもひっかかってしまったのだろうか。

 ぼっち過ぎると世界から自分が見放されているように感じるからちょっとでも自分に興味を示してくれる人の言動がすべてになりやすい。

 先輩は「プロ」だからそんなものに引っかからないとは思うけど、ついに心が折れてしまったという可能性は大いにある。

 人間、心が折れるときは一瞬なのだ。蓄積されたダメージは閾値に達するまでは気づかないのだ。そういうものだ。


 それこそ、1年前の私は心が折れかけていたのだろう。






 中学3年生の7月。中学最後の夏休み。


 町で一番の繁華街であるショッピングモールに映画を見に私は来ていた。


 当然一人。


 そりゃクラスでちょこちょこ話す友達は少しはいる。


 けれど、本音で趣味を共有できる友達なんていないのだ。


 人に本当の気持ちを話すのはいつだって怖い。


 数学のように回答が一つしかないのならそれは楽だ。

 それは「論理の世界」だからだ。

 1+1は2でしかないのだ。


 でも、「趣味の世界」は違う。

 Aが絶対に正しくて、Bが絶対に間違ってるなんてことはないのだ。

 それは答えがないからだ。

 しかし、「趣味の世界」ではいつだって争いが出てしまう


 き〇この山とた〇のこの里どっちも好きではダメなのだろうか。

 少数派を好きではダメなのだろうか。

 幼いころは好きなことを好きと主張できた。


 でも、年を重ねるごとに、もっと言えば中学に入ってからの私は「趣味の世界」だといつも誰かの批判が怖く多数派に流されてしまうようになっていた。


 そんな自分はいつからか人とは違ったことをしたり目立つこと自体に抵抗を覚えるようになってしまった。

 

 そうなると、当然、本当に仲のいい友達なんてできない。

 もともと人見知りだった私は地味な目立たない女の子に拍車がかかった。


 そんな中学1年生の6月頃、私はアイドルを好きになった。


 土曜日の深夜にやっている「ルミナス☆ルピナス」というアイドルグループの冠番組が面白かったのがきっかけだった。

 その次の日、動画投稿サイトの公式チャンネルで直近のシングルのMVを見た。


 そして虜になった。

 自分と年代の近いかわいい女の子たちが歌って踊っているのがとても輝いて見えた。その思いは憧憬や羨望とは違う。単純にその頑張っているその姿に私は勇気をもらっていたのだ。


 そして、今日は休日ということもあり私の応援しているアイドルのドキュメンタリー映画を公開するということで映画館に来ているのだ。


 映画を見終わった瞬間、私はできるだけ声を抑えて泣いていた。

 感動した。

 ちょっぴり恥ずかしかったけど受験の、もとい将来の不安や人間関係の悩みなどもありそれらの感情が押し寄せてきたのだと思う。


 私が少し落ち着いてきて右隣を見ると私以上に泣いている男子学生がいた。

 高校生だろうけど見慣れない制服を着ていてどこの学校かまではわからない。


 ていうか、このお兄さん開始30分ですでに泣いてた。


 かなりのファンなのだろうか。


 いつのまにか、しばらく泣いていたからか気づかなかったけど館内に残されたのは私たちだけとなっていた。私が帰り支度をしていると清掃のお姉さんが来た。


 そして、いまだに泣いている彼を見てお姉さんは困惑した表情をしていた。


 「……彼女さんですか?」


 「いえ、他人です」


 「あ……、そうなんですか……」


 なんとなく微妙な空気が流れた。

 てか、アイドルのドキュメンタリー映画をデートに選ぶ彼氏って結構なチャレンジャーだなおいとか思った。


 このままお姉さんに任せてしまってもいいけどなぜか隣のお兄さんにシンパシーというか同族意識を感じてしまい声を掛けてしまった。


 肩をぽんぽんと叩く。


 「大丈夫ですか?」


 「……ん。ぐすん。ああ……申し訳ない。帰るよ」


 意外にも早く立ち直り(?)よろよろと帰っていく。


 「……お兄さん大丈夫ですかね?」


 お姉さんが言った。


 「ん~……。ちょっとついていってみます」


 仕方がないのでさっきのお兄さんを追いかける。


 だいぶふらふらは収まっていたけど鼻をすすりながら歩いていた。


 「……本当に大丈夫ですか?」


 もう一度聞いてみる。


 「……えっぐっ……ズッ!……ん?ズッ!きみ僕の隣だった子だよねズッ!!」


 「まず、鼻かみましょう?ね?」


 ポケットティッシュを渡す。


 「ありがとうっ……!!」


 ズーと鼻をかむお兄さん。


 「うん。だいぶ落ち着いた」


 二人で映画館を出た。


 「落ち着きました?」


 「ああ!きみのおかげだ。介護してもらったからちょっとジュースでもおごらせてくれ」


 「いいですよ!そんな!介護じゃないですし」


 「いや、今の僕はちょっとした小金持ちだ。そこのドーナツでも食べるか?なんなら僕と食べるのが嫌ならおごってから帰るぞ」


 「なにその卑屈精神は!?いや全然嫌じゃないですよ!一緒に食べますよ!それなら!」


 変な人に捕まった感があるけどなんとなくかわいそうだし悪い人ではなさそうだったからついていってしまった。


 映画館のすぐ近くのショッピングモール内のドーナツ店に移動した。


 本当にドーナツ2つとジュースをおごってくれた。


 「いや~、普段、僕はほとんど悲しさと悔しさでしか泣かないけど5年ぶりくらいに感動で泣いてしまったなあ」


 「なんですか……。その感動以上に悲しいエピソード」


 むしろ5年前は何で泣いたのだろうか。


 「いただだきます」


 「どうぞ」


 そういって、私はオレンジジュースに口をつける。

 

 「でもきみも泣いていたじゃないか」


 「そりゃあれは感動しますよ」


 「だよな!ルミルピはいまでこそ知名度の高いアイドルグループだけど当初はかなり叩かれていたからなあ」


 ルミナス☆ルピナスだから愛称はルミルピ。


 「あの人気絶頂だった『マリーコーデ』が突然の解散を発表してから同じ事務所から妹分の新アイドルグループを作るって話でしたからね……」


 「あの時は、荒れに荒れたよなあ」


 「それでも、妹分って大義名分を掲げられてたからマリコデのファンたちは結構流れましたけど……」


 「そうそう。ルミルピ一期生の鷲尾瑠美ちゃんが『るみ』っていう名前でファンからしたらとんでもない理由でルミルピの初代センターに選ばれたと思われてマリコデのファンはどんどん離れていっちゃって……」


 「そんな経緯もあって当初は『たいしたかわいくもない』とか『歌唱力もないダンスも下手な子がなんでセンターなんだよ』とか『地味センター』とか呼ばれちゃって……」


 「でも、真実は違うんだよ!それは今回の映画見れば誰もが一目瞭然だ。ルミルピはあれだけ華やかできらびやかなメンバーたちで構成されてるって思われがちだけど実は違う!」

 

 「あくまで彼女たちはアイドルになる前は本当に全員『普通の女の子』なんだよ!その『普通の女の子たち』が売れっ子アイドルになっていくその軌跡が本当に泣けて……」


 お兄さんんが思い出してきたのかまた少し涙ぐむ。

 その姿を見ると私まで泣けてくる。

 そして、私にも熱い思いが流れる。


 「だからこそ!その『普通の女の子』たちを引っ張っていけたのはやっぱりわっしぃがセンターだったからなんですよ!!」


 「それだ!わっしぃは確かにかわいいし最高のアイドルだ。しかし!それとあわせてその素朴さや純真さ、そしてひたむきさが同年代の女の子の等身大の姿を代表してる側面がある!そして、センターという立場が人を作るんだ!」


 「でも、わっしぃだけじゃない。ルミルピに入って変われるわけじゃない。人間そんな簡単に変わることができたら苦労しない。でも!彼女たちは変わろうという意思を持って自分の根幹を変えてきたから『今』があるんだよ……」


 「お兄さん……まさにそれなんですよ。それがアイドルなんですよ!それがルミルピなんですよ!ぐすっ……」


 「わかるか……。後輩……。ズビッ……」


 客観的に見れば映画館で隣だっただけの見ず知らずの男の人と私はドーナツ店でアイドルについて語り合いお互い涙を流している状況は非常に異様だったと思う。


 それからも映画の感想を踏まえたアイドル談義が続いた。


 「ところで、先輩ってどこの高校なんですか?その制服あまりこの辺で見ませんけど」


 「僕か?僕は白銀北高校だよ」


 白銀北高校。

 進学校で偏差値は高めだったと思う。

 でも、白銀北は隣町にあるしこの町以上にさびれた町であるいうこともありそこに行ける学力あれば同じくらいのレベルであるこの町の月長高校に行く人が大半だ。かくいう、私も月長高校を一応目指している。


 「え?白銀北なのにわざわざここまで来ているんですか?」


 「いや、僕は杉石中学校だよ」


 「え!?本当に先輩じゃないですか!?」


 「……マジで?」

 

 びっくりした。

 本当に先輩だったとはつゆほども考えていなかった。


 「先輩ってもしかして理数科なんですか?」


 「もしかしなくても理数科だよ?」


 「先輩……。見かけによらず結構頭いいんですね……」


 「初対面の先輩に大変失礼な後輩だなあ……。来年は多分普通科にいるけどな……」


 「え!?何でです?」


 「バカだからだよ……」


 お互いに気まずい空気が流れる。


 「なんだこのいたたまれない空気は!ぜんぶきみのせいだぞ。後輩!」


 「失礼しました。でも私『後輩』が名前じゃないですよ!私、野々垣と申します!杉石中の3年生です!受験生です!」


 「そうか。僕は杜若だ。以後、敬いたまへ」


 「かきつばた・いとおもしろく・咲きたり先輩ですか?」


 「なにその前衛的過ぎる名前。特に『いとおもしろく』が僕の存在を限りなくバカにしてるように聞こえるからやめろ。まず、僕ミドルネームとかないから!そもそも文節の分け方おかしいし……。きみの方がバカなんじゃないの?」


 「じゃあ、下の名前なんて言うんですか?」


 私がそう言ったら、スマホをフリック入力し文字を打つ先輩。

 そして起動したメモ帳に書いた文字を見せてくれる。


 「ようき……ゃ?、先輩?」


 「陽キャじゃないよ!陰キャだよ!!」


 「え?ん?え??」


 「え?じゃないよ!僕の名前は陽希だ。は・る・き!」


 「なーる!陰キャの陽希先輩ですよね?間違いありませんか?」


 「ああ!もう!あってるけど!あってるんだけれども!!」






 それから、なんやかんやで陽希先輩と私は連絡先を交換した。

 「情報漏洩の関係が云々」とかでよくわからないことを理由にラインではなくメールアドレスでの交換だったけれど。

 それからも、頻度としてはそこまでじゃないけどルミルピの冠番組の話とか新曲のリリースの時には連絡を取り合った。

 

 私は単純に楽しかったのだ。

 最初に出会った時、あのドーナツ屋さんで話した時、久しぶりに、いや、初めてあそこまで人と趣味のことで話せたと思う。


 やっぱり、当たり前だけど趣味は他人と共有したほうが面白い。

 楽しかったことや面白かったこと感動したことを人と共有するとそれらの感情が倍増する気がする。


 その後も、陽希先輩とは夏休みに何回か会ってあのショッピングモールのドーナツ屋さんで勉強会という名のアイドル談義をした。


 先輩がちょこちょこ受験勉強を教えてくれたのが地味に嬉しかった。


 秋頃だっただろうか。


 『報告です。実は、私、白銀北高校の理数科を第一志望に決めました。正直、学力的に難しいかもしれませんが、月長高校への進学はもう考えておりせん。別に、陽希先輩がいるからとかでもありません。月並みですが、将来、私は理系方面への進学を考えているのが一番の理由です。また、アイドル語りましょう』


 何度も文章を書いたり消したりした。

 でも、結局、これに落ち着いた。

 送信。


 すぐに返信が来た。

 私があんなに考えに考えて送ったのに少し拍子抜けしてしまった。


 『そうか。頑張れよ』


 一文。あまりにも簡素。

 でも、なんとなくそれが一番気が楽だった。


 それからは陽希先輩は気を遣ってくれたくれたのだろう。

 一切、連絡はなかった。

 私もしなかった。


 結論から言うと、私は結構頑張ったこともあり白銀北高校の理数科に入学できた。


 合格はサプライズにしようと思ってあえて黙っていた。

 陽希先輩からも連絡は来なかった。


 入学前に学校の玄関前に貼られる自分のクラスの割り振りを確認した。

 7組。

 理数科は2クラスしかないからすぐに発見できた。

   

 次に、2年生のクラス割り振りを確認し陽希先輩の名前を探した。

 何回探しても理数科に先輩の名前はなく、そして、普通科に先輩の名前はあった。


 その事実が何故か自分としては受け入れられなかった。

 なんとなく嫌だった。

 それだけの理由だ。

 

 自分で「来年は多分普通科だ」とは言っていたしそこまで想定できない結果ではなかった。


 でも、私にとってなんとなく先輩に連絡をためらってしまう理由には十分だった。

 

 人間関係どうしても文章だけのやり取りだと本当に些細な理由で連絡を取らくなり、そして、取れなくなる。


 私もその例にもれずなんとなく連絡ができなくなり、入学してから6月になった今、私と先輩の関係は途切れてしまったとも言える状況だった。


 第一志望の高校に入学し格好も中学生の頃とはがらっと変えたけど、結局、私自身は何も変わっていなかった。


 白銀北高には杉石中の人間はほとんどいない。

 クラスにも私だけだ。


 私は意識的に環境をリセットしてこの学校に来たのだ。

 自分を変えたかった。


 だけど、クラスの子たちと話そうとは頑張るけど、相変わらず本音で話せない。

 緊張もする。

 話しかけてもくれるけど上手い返しもできない。


 私は、格好と同じで表面上は変えても私という人間の本質は変わっていないのだ。


 こんなはずじゃなかった。


 しょせん私が変わろうとする意思はこの程度だったてことなのだろうか。


 ルミルピみたいに、わっしぃみたいに私はなれないのだ。


 そして、先輩と、もうアイドルについて語ることももうできないのだろう。


 そんなことを思い始めていたときだった。


 だから、先輩から突然、お昼休みメールが来たことに驚いた。


 『急で申し訳ないけど、今日の放課後16時30分に校舎裏に来てくれないか?話がある』


 何事かと思った。


 でも、また先輩と会えるのが本当に嬉しかった。


 話したいことが山ほどある。


 何から話そうか迷ってしまうだろう。


 緊張も当然した。


 どんな顔で会えばいいのか?

 なんて言葉から入ればいいのか?

 

 だけど、会ってしまえばやっぱり先輩は先輩だった。


 そして、相変わらず風変わり……。


 いや、オブラートに包むのはやめよう。

 

 先輩は相変わらずバカだった。

 

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