第14話 TRACKS~杜若編~

 小学2年生からミニバスを始めた。

 学校の掲示板で募集してるのを見て、なんとなく母親にお願いしたことを今でも覚えている。

 当時、僕の小学校の同学年でミニバスをやってる人はいなく、他校の同期と先輩たちと練習していた。

 小2から先輩たちに揉まれやっていたことと、小学校レベルもとい地区レベルではわりかしできるほうだったのでキャプテンを任せられるのは順当といえば順当だったのだと思う。

 こういった背景もあり、自分でもいうのもあれだがクラスでは人気者だったと思うし、先生や周りからの評価も非常に高かった。小学生レベルで言っても笑われるだけだけど勉強もできた。スクールカースト上位。自分のことを特別な人間だと信じて疑わなかった。


 まあ、能書きはこれくらいにするとして結論から言えば、僕はすべての能力が早熟だっただけで才能なんてこれっぽっちもなかったのだ。


 僕は中学生になり当然バスケ部に入った。当初、顧問からはとても期待されて上級生に混ぜてもらって練習していた。他の一年生とは異なり基礎練習なんてほとんどしなかった。ついていくことなんかまったくできなかったけど小学校の実績と1年生ということもあり周りの同期の部員と比べればミスをしても顧問はかなり目をつぶってくれた。

 そんな毎日を過ごす中、3年生がちょうど引退する時期に左手首を骨折した。1年生同士のミニゲームの最中にディフェンスの足に引っかけられて左手首から地面に落ちたのが原因。

 ほどなくして、2年生が3人しかいなかったこともあり1年生でもゲームに出られるようになった。当然ながら僕は出られなかった。

 整形外科では全治1か月と言われたけど実際に復帰できるレベルで回復したのは3か月後だった。

 3か月の間も僕は部活に休まず出た。ボールを使わないアップ等には参加しボールを使う練習の時はコート外では声出し。これまで感じたことがなかった屈辱に心が壊れそうだった。とても惨めだった。

 歯牙にもかけないような奴の過失、今思えば故意だったのかもしれない。そんな反則行為が原因で事実上僕のバスケは終わったのだ。


 いや、これも言い訳なんだろう。


 左手首が日常生活で支障がないところまで回復した後に今まで以上の地獄が待ってるだなんてそんなの想像だにできなかった。


 もともと体格には恵まれていなかった僕は技術でそれを補っていた。小学生レベルでは対格差もある程度はカバーできた。

 周りが体格が大きくなる一方で僕は中学になっても相対的に身長は伸びなかった。

 そもそも、ミニバスから中学バスケの違いに僕は適応できなかった。ボールの違い、ワンハンドでのシュート、ゴールの高さの違い……。そのすべてに戸惑った。

 僕が復帰したころには、周りはそれらに適応していた。

 僕は焦った。

 そして、個人練習に努めた。ハンドリングからシュート練習、4ピリオドを走り抜ける基礎トレーニング。


 それでも、思ったようにできなかったし伸びなかった。小学生の頃は、努力すればその分だけできるようになったしそれが当たり前だと思った。バスケにかける時間もそうだし熱量も中学の時の方が断然力を注いだつもりだ。


 結果として試合に出ることはほとんどなく、なんならベンチにすら入れない時期もあった。最後の大会は顧問の恩情もあってかベンチには入れたけど俗に言う引退する3年生の思い出出場すらもなかった。


 こうして、僕のバスケ人生は幕を閉じた。


 部活での立ち位置とクラスでの立ち位置は怖ろしいほど比例していた。周りの人間は残酷なほどに正直だった。僕がバスケ部で有望視されてた頃はそれはもうちやほやされたしクラスでは小学校の地位をスライドしたような生活だった。中学2年生になってクラス替えがあった。人間関係が入れ替わったこと、部活での僕の立ち位置が確立してきた頃でもあり僕は人生で初めてネタキャラと化した。入部時に有望視されてたことと現時点でのギャップで過去の実績さえも笑いのネタ。陽キャ、ヤンキーはもちろん、スポーツをやっていないどころか部に所属すらしていない帰宅部にまで笑われる始末。当然、女子からの評価なんて最低。無駄な諍いは避けたかったこともあり僕は卒業まで周囲に対してピエロを演じ続けた。いや、諍いを避けたいなんてそんなかっこいい理由じゃないのだ。単純に人にまで嫌われたくなかったから。結局のところ、僕は人間関係を壊したくなかったし壊す勇気もなかったのだ。


 部活で惨めな思いをしたこともあって勉強は自分なりに頑張った。でも、同様に勉強にも限界を感じた。まあ、それなりに頑張ったこともあって僕の中学からは毎年ほとんど行く人がいない、かつ、進学校と呼べるレベルの高校という2つの基準を満たした白銀北高校に僕は入学した。レベル的には誰でも授業にまともに参加したり、塾に普通に通っていれば、それなりの努力で行けるような高校。でも、ここの学校ぐらいが僕の限界だったしなによりもう頑張りたくなかった。


 成功しなくても努力をしたことに意味がある?人生に無駄なことなんてない?

 きれいごと抜かすなよ。こんなしょうもない僕の中学生活になんの意味がある。別に、バスケ自体は見るのも遊びレベルでやるのは今でも好きだ。でも、もう本気でバスケに、スポーツに、努力を要する物事に本気になるのはこりごりだ。努力をしていても結果が出ないことを笑われることに僕はもう耐えられない。それを看過していた自分に今になって虫唾が走る。「挫折を経験したことに意味がある」なんて賢しらに抜かす奴がいるかもしれんがこの経験で僕は負け犬根性が染みついて今も抜けないのだ。自尊心はもうボロボロだ。だのに、何年も前の過去に甘い蜜を吸っていた時期が高校生にもなった今でも忘れられず、ゴミみたいなプライドだけが鎮座しそれを譲れない。そんなクソみたいなカスみたいな腐った人間になってしまった。


 まあ、冗長な語りになってしまったけど僕のバックグラウンドなんてこれ以上でもこれ以下でもない。僕が特別運がなく苦しんでいるなんてことでもないのだ。こんなの良くある話だと思う。


 例えば、高校野球で強豪校にいるアルプススタンドで声を張っている3年生部員たち。彼らだって、地元レベルでは有望な選手だったはずだ。もしくは、高校入学してから選手生命を脅かすケガを負ってしまったのかもしれない。だから、元からたいした才能もないし学生生活かけるレベルの努力もしていない僕なんて彼らと比べるのもおこがましい。


 だけど、そうじゃないのだ。「お前より努力して辛い思いしてる人なんかいくらでもいる」なんてのはまったく説得力がない。まぎれもなく当時の僕は辛い思いをして苦しんだ。その事実は不変だ。自分の苦しみを他人の尺度で決められる筋合いなんて一切ない。


 今日日、レギュラーになれなかったりベンチに入れなかった人に「努力が足りなかったね」なんて言った日にはもう大バッシングだろう。流石に努力至上主義者もそこまでは言う奴は少ない。だのに、そういうバッシングする奴らの二言目には「控えでもそこで培った経験ガー」ってバカかよ。


 「勝たなければやっている意味がない」


 極めて非情で人の心がない言い方かもしれないけどこれが世の中の真理だ。いくら、否定したところで僕という存在が皮肉にもその幻想を打ち砕いてくれる。そして、社会もまたそうやって回り常に椅子取りゲームのように椅子に座れる者と座れない者がいてその関係が固定化されているのに気づいたとき僕は世界がとても色あせて見えるようになった。


 そうして僕は努力をやめた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る