第106話


「ところでちょっと話を戻すけれど、ニデア大佐がノーヴル・ラークスに陣中見舞いに訪れたそうだね」

「ああ、そのことね。確かに今日の午前中にニデア大佐が臨時の作戦指揮所を訪れて、色々とジェノ隊長と話をしていたわ」

「エレイア、君もその場にいたのかい?」

「もちろんよ。強化プランの話はその場でニデア大佐本人から話してもらったんだから」


 エレイアはそれほど興味の無さそうな調子で言う。


「隊長はその後何か言っていたかい?」

「うーん、特には何も言っていなかったかしら。ただ、アタシがナオキ曹長のお見舞いを兼ねてここに行くといったら、何も心配することはないから早く戻ってくるように、って言付けを託されたけれどね」

「そうか……」


 僕が考えるような目つきに変わると、エレイアはそれまでとは全く異なる冷たい声で語りかけてきた。


「やっぱり心配なのかしら、ホリー軍曹のことが?」

「え?」

「別に口に出さなくてもそれくらいわかるわ」


 僕はその言葉に慌ててエレイアのことを見つめる。顔は笑っておらず、その目の奥は若干だが怒っているようにも見える。


「エレイア?」

「あなたが入院した後、あの子が裏切り行為を行ったことについて、アタシを含めた全員が調査を受けたわ。その結果がどうだったのか知らないけど、アタシははっきりと言ったつもりよ。あの子が敵のWPを操縦してあなたたちを撃とうとしていたって」

「……ちょっと待ってくれ、それは……」

「違うの? ならどうしてあの子はあの時こちらに戻ってこなかったの?」


 違う、と言おうとしてエレイアに機先を制された。彼女の口調は冷たく鋭い。


「大体あなたもあなたよ。丸腰でWPの前に立ったりして。あの時はたまたまかわせたから良かったようなものだけど、もし仮に撃たれていたらどうするつもりだったの? あの子の攻撃なら甘んじて受けたつもり?」

「それは……その……」

「……こんなこと言いたくも無いんだけれど、あなたって……残酷よね」

「残酷……僕が……?」


 エレイアのその言葉に呆然とする。そんなこと、今まで一度も言われたことがない。


「ええ、そうよ。あなたは確かに優しいかもしれない。でも、あなたはあまりにも優しすぎるのよ。他の人を傷つけるほどに。だから、あの子も裏切ったんじゃない? どんな葛藤があったんだか知らないけれど、一度裏切ったとしてもあなたは、あなただけは自分を許してくれるって、そんな甘い考えを抱いて……周りにどんな迷惑を掛けているかも分からずに……」

「……違う! それは違うよエレイア!」


 エレイアの邪推に思わず声を荒げて反論すると、エレイアの方も感情任せに言葉を吐き出す。


「どう違うの! 違うというのなら、この場で論理的に納得のいく説明をしてみたら? アタシだって技術者の端くれよ。論理的に説明してくれるのならどんなに受け入れがたい内容でも受け入れるわ!」

「それは……」

「何よ。具体的な反論が出来ないワケ?」

「そうじゃない! そうじゃないんだけれど……」


 僕はそのエレイアの追求に逡巡した。今日のニデア大佐の話しぶりから考えても、ホリー軍曹のことはベゼルグのことと併せてリヴェルナ共和国の最高機密に属する話であることは間違いない。仮にそのことを話してしまえば、僕が罪に問われるだけでなく、聞いたエレイアも巻き込むことになってしまう。


「言えないの? ねえ、言えないの? アタシに軽々しく言えないくらいの秘密があるの? そんなすごい秘密をあの子と共有しているの?」

「……ごめん、エレイア。……今は、今はまだ何も話すことが出来ないんだ」

「そんな政治家みたいな言い訳は嫌! もっと自分の言葉で話してよ。お願いよ、ナオキ……」


 エレイアの言葉は次第に弱々しく力のないものに変わっていき、最後は半分涙声のような調子になっていった。

 僕はそれまでいたベッドから降りて、顔を伏せてその場にしゃがみこんでしまったエレイアの手をそっと握る。その手は随分と冷たかった。


「ナオキ……?」

「ごめん、エレイア。今はどうしても話すことが出来ないんだ。もし話せば、君を関わらなくてもいい事件に巻き込んでしまう」

「それでも話してよ……。私、あなたと一緒だったら、どんなに辛いことにだって耐えられるから……。だから……」

「駄目だ! 君をこのことに巻き込んだら、どんなに後悔してもしきれない事態になるかもしれない。……俺は、もう周りの人間をこれ以上悲しませたくないんだ!」


 俺はエレイアにはっきりと言い切る。エレイアは俺の言葉にはっとして顔を上げた。その顔は涙でくしゃくしゃになっている。

 その涙を側にあったタオルで優しく拭うと、エレイアは俺のことを静かに見つめる。


「君の気持ちは嬉しいよ、エレイア。でも、やはりこのことは俺が一人で決着をつけないといけない」

「何故? 軍人だから? それとも……」

「ひとりの人間として、男として、信頼を寄せてくれた……愛する人を助けたい……」


 その問いかけに俺は答える。迷いはなかった。思えばヤーバリーズに来て以降、ずっと彼女は俺のことを見守っていてくれた。あるいは俺に第三次五か月戦争の英雄であった父親のことを重ねていたのかも知れないが、それでも彼女が俺のことを助けてくれていたのには変わりない。今度は俺が彼女を助ける番だった。

 エレイアは俺の言葉を聞き終わると目を閉じて顔を伏せていた。ややあってから顔を上げると、困ったような、呆れたような、そんな表情をしている。


「やっぱりナオキ曹長には『俺』って一人称はいまいち似合わないわね」

「……ちょっと待ってくれ。それが引っ掛かるのか?」

「それだけじゃないけれどね、でもやっぱりナオキ曹長には『僕』が一番似合うなって、そう思っちゃったからさ」


 エレイアは特に悪びれる風もなくしゃあしゃあと言い放つ。


「……これでも結構気にしていたんだけどな」

「まあ、気になっていたのなら変えてもいいんじゃない? ジャック曹長辺りは聞いたら爆笑しそうだけれどね」

「本当にありそうで嫌だな……」


 エレイアの言葉に俺は顔をしかめる。確かにジャックなら大笑いして俺をひやかしてくるに違いないが、今はとりあえずそれどころではない。俺は再びエレイアに語りかける。


「ところでエレイア?」

「……ホリー軍曹のことならもういいわ。別に完全に納得したわけじゃないけれど、あそこまで言われたら引き下がらざるを得ないじゃない」


 エレイアは苦笑いを浮かべている。今の彼女の気持ちを考えると罪悪感も湧き上がるが、しかし、この決断は正しかったと俺は信じている。エレイアの方も俺の気持ちを察したのか、ゆっくりと首を左右に振って言葉を紡ぐ。


「……優しすぎるって、やっぱり罪よね」

「じゃあ、俺は重罪人になるのかな」

「そうかもね。そういう法廷に巻き込まれないように注意しなさいよ、ナオキ曹長」


 そこまで言うとエレイアはゆっくりと立ち上がった。合わせて俺も立ち上がる。


「さあ、さっさと帰ってエクリプスの強化プランに備えないとね」

「強化改造はいつから開始なんだ?」

「北部からの空輸次第だけれど二週間以内には始める予定よ」

「そうか。よろしく頼むよ、エレイア」

「アタシを振った男の頼みなんて、適当に済ませてやりたいくらいだけど」

「おいおい」

「冗談よ……、それじゃあねナオキ曹長。退院したらヴェレンゲル基地で待ってるわ」


 エレイアは完全に吹っ切れた様子でそう語ると、緩やかな足どりで病室から出ていった。

 窓の外の夕日はもう少しで完全に沈もうとしている。

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