美意識過剰


 これは創作論になるのか怪しいところだが、挙げてみる。


 人というのは最初は誰もがアマチュアであるが、実績を積んでいくにつれ、寡作かさくになる傾向にあるらしい。

 これはそれで飯を食うプロであるかは問わない。カクヨムにも一年目の方もいれば、五年目の方もいるだろう、それと同じだ。

 多作の作家もいるだろうが、大体は毎日のように出したり、短編を連投したりといった傾向は薄まっていくようだ。

 寡作になる理由として挙がりそうなのは、プライベート、仕事、学校生活が忙しくなったとか、執筆に興味がなくなった(ネタが尽きた)とか、まあ、そんなところなのだが、それとは別に「意識が高まったから」というのがある。


 意識が高まるとどうなるか? 小難しいこと・・・・・・を考えるようになる。

 このような未成熟な文章を投稿してしまって良いのか、こんな方向性で創作を進めてしまって良いのか、そもそもどう進めるのが正なのか……積み重なった自分に見合った美しい・・・成果を求めたがるというか。

 子供の頃、母からもらった200円はそれはそれは大切なものだった。でも、大人になり生活費を稼げるようになった今、200円が一体どうだというのか、それと同じだ。


 だが、その自分の美意識には手垢がべったりとくっついていて、中々に近寄りがたくはなる。にんにくのにおいを良しと捉えるか、悪しと捉えるかの違いである。

 ノリで書いた短編や、流行に従っただけに見える作品は、そういった美意識からはかけ離れるが、それゆえに自分の色(におい)が薄くなり、みんがな受け入れやすい。

 結果を見て愕然とするのは、実は「美意識」自体は人気(評価)や作品の質を決めてくれるわけではないのだと、痛烈に思い知らされるからではないか。


 周りの大半は自分の見てくれ、外見しか知らない。カクヨムなら書いた内容がそのまま自分を示す。「美意識」は自分の中に渦巻くものだが、それがどんなに美しかろうが、輝いていようが、それを直接見せることは出来ない。

 だから香水を使って補正する、それか「汗臭い」のを好んでくれるような……ちょっとした物好きさん達を探しにいくのだ。

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