恥ずかしさ


 最近、恥ずかしさに縁がない。

 顔を覆いたくなるような、そういったアイデアや試行から遠ざかっている。

 直近で恥ずかしいことと言えば、小説に登場させる「美少女」に関するルックスやら性格やらを考えようとして、こりゃダメだと思ったことか。

 恥ずかしいことをするというのは、難しい(複雑な)ことをするよりも難しい気がする。難しいだけなら時間をかけたり、知識をつかめば良いわけだが、恥ずかしいというのは行動をするか否かの問題になってくる。

 例えば、自分の鼻歌を録音して、人に聞かせる。やるだけなら簡単だが、行うのはなんと障壁の高いことだろう。(しかも指示されるわけでもなく、自分の意思で行う必要がある)

 この世界ではやろうと思えば大抵のことは出来るわけだ。だから恵まれている。けれども時代の進歩が恥まで捨て去ってくれたかというと、そうではない。恥ずかしいことはやはり恥ずかしく、そして、自分が恥ずかしいと思うことが、一皮剥けるための試練になっていたりする。


 恥というのは、失敗に対する反応である。恥ずかしいことが難しいことより難しいというのは、もしかしたら当たり前の話なのかもしれない。

 難しいことは成功する確率が低い(失敗する確率が高い)が、恥ずかしいことは行動の時点で既に半ば失敗しているようなものだからである。


 たからこそ恥ずかしいことの後は、経験が多く得られるのだろう。

 

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