居場所について


 妄想が入った創作論について、色々と書き綴ってきた。

 ある日から、更新が途絶えた。途絶えた間には色々なことがあった。

 その上で、再びこの作品を書き上げようとした際に、心に浮かんできた言葉があった。


 世間は、自分が思っているほどに、自分を必要とはしていない。


 どういった経緯で、この事実を思い知ったのかは敢えて書かない。

 とにかく、それを知ったとき、この作品含め、今まで書いてきた作品が、ぼんやりとしたものになった。

 創作について考える。または、他の人の創作論を参考にする。そして作品を書き上げたとしよう。人気が出るとしよう。だが、それは多くのうち・・・・・のひとつであって、ひとつのうち・・・・・・のひとつではない。

 当たり前の話であるし、そんな結論に達したことは過去に何度もある。しかし、そうなると一体、何のための創作なのだろうと思う。


 創作そのものを居場所とする人もいるし、創作を居場所を作る為の松明の代わりとする人もいる。

 私はどちらかというと、後者寄りなのだと自覚していたのだが、どうやらそうではなく、強く前者であったらしい。

 しかし、そうなると、袋小路だ。雛鳥が渾身の力で卵の殻を破ってみたら、また外側の殻があったかのような……「お前は永遠に誕生することはない」「お前が望む外の世界は既に満員で、入る余地はない」と、暗に諭されているかのようだ。


 必要とされていないのなら、好き勝手にすればいいじゃないかと思ったこともある。

 大体、そんなに卑屈になれるほど、他人様に迎合したことがあるのかと。勝手にやって、勝手に落ち込んで、それで「より良い結果」を望むだなんて、あまりにも虫が良すぎるじゃないかと。

 そう自分を奮い立たせることは簡単で、今まで進んできたのだが、歩みを止めて、自分が如何に迷走……というか、千鳥足の酔いどれであったのかを知ったのである。


 タイトルにもある「居場所」で例えるのなら、とあるホームレスが道路の上を自分の居場所だと言い張るのと似ているだろうか。

 そういう滑稽さに立ち向かう手段を、今は持ち合わせていない。

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