手足のついた踏み台
「踏み台」とか「利用」なんて言葉を人に用いると、あまりいい顔はされないだろうが、実際のところ、誰もが自分の目的のために誰かを使っている。
上司は部下を、部下は上司を、店員は客を、客は店員を、作者は読者を、読者は作者を。家族はどうかと思うが、子は親を頼らなくてはならないし、親も将来的には子に頼ることもある。
モノである(本物の)踏み台と違うのは、人には手足がついていることだ。踏まれた側が突然動き出すこともあるし、踏んだ足を掴んで引きずり下ろすこともある。踏む側に立つこともある。
大抵の人は踏まれるくらいなら、踏む側になりたいたろう。クリボーよりかはマリオになりたいとは思うのと同じ。クリボーは人気なのだろうが、それはキャラクターのことで、一匹ごとの扱いは知れたことだ。誰もこのステージのこのクリボーが好きだなんて語らないのと一緒。単体で見れば踏まれて終わる一兵卒には変わりはない。
人が道を作り歩き始めたその時点から、踏んで踏まれる構図は出来ている。時代が進んでもそれは変わらない。神は泥に命を吹き込んで人形、ひいては人間を作ったとされるが、人間たちは組体操のピラミッドのように、泥まみれの足を同士の背中に乗せて積み上がっていった。
その泥臭いピラミッドは、後にバベルの塔と呼ばれるようになり、一時は主の元にまで達する勢いだった。「一番下で支えるやつの身にもなれ」というもっともな怒りで一度は崩れはしたが、世界各地で高い建物が出来ていることを考えると、この宿命が変わることはないだろう。
高みを求める。
前進、繁栄、成功、到達、向上。
いずれも肯定的な言葉である。聞いていて気分のいい言葉は、いずれも数多浮かぶ誰かの背中を渡り歩いた先にあるのだと心に留めておきたい。
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