気楽にいこう?


 何をするのも伸び伸びと気楽にやりたいものだが、それとは裏腹に窮屈な箱の中にいる……

 こんな文章を書くと読む気も失せるだろうから、少し考えを変えてみることにする。

 気楽とは何なのだろう。そもそも今までの子供から大人に至るまでの半生で「ああ、気楽だ・・・・・・」と思ったことが何度あるだろうか。

 少なくとも小学生の頃から、宿題も、登校時間も、成績も、人間関係も、自分にとっての不安要素になっていた。家族や学校が世界そのもの(逃げられない)である分、巡り合わせが悪ければ、大人よりも辛い生活を送らねばならない。

 気付いた時には時間も機会もなくなっていた。ようやく慣れて、本格的にその時代を楽しもうとした矢先に、お別れの挨拶をしなければならない。そんな徒労を……数年の周期で繰り返しているだけのような気がして、やきもきはする。


 気楽という境地に立つには、自分が思うよりもかなり、いや、遥かに積極的な行為が必要になるのかもしれない。

 慣れないことに人は気楽にはなれない。気楽になるとは、新しいことが余裕を奪い去ってしまう前に、進んで慣れにいくことではないか。

 これでは気楽になるというより、気楽をする・・・といった方が適切だろうか。


 気楽と対極にあると個人的に思っている言葉が、やりがいである。善悪、天地、左右といったような、はっきりと反対であるようには見えにくいが、気楽とは過程の「軽さ」を評価したものであり、やりがいとは過程の「重さ」を評価したものである。

 これはまた別の機会で書くことになるかもしれないが、その人が重んじているものが、気楽さなのか、やりがいなのかいうことは、その人にとっての善悪、天地、左右をどこに置いているかを知る手がかりになるのではないだろうか。

 

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