火打石


 今日も妄言を吐いてみようと思う。

 連載――特に日次や週次の定期的な連載を行うことは、火打石を打っているような感覚がある。

 拙い表現力で申し訳ないが、広告活動もせず、企画にも出さないということは、更新が為されない限り、基本的に作品を読まれる機会がないことを意味する。

 打ったところで火が起こるかは限らない。一回や二回のみならず、数十回打ってもだめかもしれない。そうなれば「この火打石はモノが悪い」と諦めるのも手だろう。火打石ではなくて、付け方が悪いかもしれないが。


 火打石以外の定期連載のイメージとしては、心臓マッサージが挙げられる。

 今はAEDの方が心肺蘇生法の描写において有力かもしれないが、中学校の頃に保健の授業で(模型に対してだが)行ったあの行為は、強く印象に残っている。

 一定のリズムで胸部を圧迫するのだが、腕の力だけで押してもびくともしない。腰を入れて体重をかけなければならない。無論、力任せに押すのも厳禁。傍から「弱すぎる」だの「5センチ押す」だのと指摘が飛んでくるので、「難しいことをやらせるなあ」と学生ながらに思ったものだ。

 やったとしても確実に助かるというものでもない。だが、生死の境にいる人物を「生」の側へ引き寄せることが出来るのも事実である。


 上記のイメージ達には共通項がある。「一定のリズムで、何かが灯るまで繰り返す」ことだ。

 火打石では火が灯り、心臓マッサージでは生が灯る。

 小説の執筆においては、何が灯るのか。自分にとっての明かりになってくれることを信じたいところだ。

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