何事も


 経験だなんて話がある。

 幸運も不運も、順風も逆境も、すべてにおいて、一度だけなら悪くはないだろう。

 嫌なことが二度三度と繰り返されると、流石にげんなりもしてくるが、その中で人は咀嚼する。嫌なことを学び、嫌に感じなくなるように、もしくはそこから得られる価値を必死に取り出そうとする。

 つまり、一度だろうが、複数回に渡ろうが、経験するというのは、悪い賭けにはならないということだ。

 

 ここで当たり前の反論が出る。悪い賭けにならないで済むのは「取り返しがつく経験」である場合に限ると。取り返しがつかなくなったとき、楽観的な(あるいは弛緩した)表情はあっという間に崩れ落ちる。

 しかし恐れるべきは「取り返しがつかないこと」がこの世に存在していることではなく、どこからが「取り返しのつかないこと」なのか、誰にも分からないということにある。それは特定の誰かが決めてくれるものではない。すべての人にとっての「誰か」――即ち、その時点での空気だったり常識が決めているのである。


 経験はすべきだ。だが、度を越えてはならない。越えるか越えないかの瀬戸際を通ることが出来たのなら、きっと良し悪しを問わず、その人にとっての貴重な出来事となるのだろう。

 

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