正しく恐れる


 失敗の話。

 他人に突き付けられる失敗でも、自分で気付くことになる失敗でも良いのだが、正しく恐れなければいけないよなあと感じている。恐れすぎてもダメだし、恐れが全くないのもまたダメである。

 言うのは易いのだが、実際ちょうど良く恐れる(用心する)ことは難しい。


 ついこの間の仕事の場で「君はせっかちすぎる」という評価を受けたのだが、これはかなりショックな発言だった。自分はどちらかというと慎重派で、良くも悪くも自分の持ち味なのだと納得していたからだ。

 それが「せっかち」。一体これからどれほど慎重に動けばいいのだろう、微動だに出来ないではないかと。

 反論する言葉も浮かばず、もやもやとした気分で評価――お叱りを聞いていたのだが、終盤で出てきたある言葉によって、その気分は晴れることになった。


「君は沢山の・・・情報を集めれば、問題が解決すると思っていないか?」


 虚を突かれた。失敗したくないがために、時間をかけて情報をかき集めていた(それを堅実だと誇ってさえいた)のに、それは問題を解決するためではなく、単に自分を安心させるための暗示のようなものだったのだ。

 だから情報の正しさも考えない。咀嚼することなく鵜呑みにする。「せっかち」と評されて当たり前だ。


 正しく恐れなければならない。臆することも、激することもなく、恐れがどこに起因しているのか、どう直していくのかを正面から見据えなくてはならない。

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