引用だけで作りたい


「手を抜く方法」なんてものを考えるというのは、何よりも公言するというのは、あまりよろしいものではない。秘めておいた方が間違いなくお互いのタメになるだろう。

 しかし実際問題として「手を抜けなければ」、継続して作業することは難しくなってくる。手を抜くという点で、一番手っ取り早いのは他の方の文章を引用することである。

 文章の中でも「名言」と称されるもの。一個人の名言集ですら本に出来るのだから、古今東西、あらゆる媒体の名言をかき集めれば、膨大な数になるだろう。正真正銘、名言・・だけで構成された文章。

 やれるにしてもエッセイ、というかポエムもどきになってしまうか。ポエムもどきが数千万文字、数億文字とも積み上げられれば、きっとギネスにも載るだろうし、仮に名言だけでストーリーがある作品が作ることができれば、ものすごい熱量になるだろう。まあ、どこの文章が誰の名言に当たるのかというのを分割するのも大変だ。


 はじまりの文章を決めるとしたら、「神は死んだ」なんかは汎用性が高いかもしれない。

 そこから例えば、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とつなぐ。ニーチェの直後に平家物語である。無常さを伝えた後に「命というものは、儚いからこそ、尊く、厳かに美しいのだ」とトーマス・マン。

 そこから「美しさ」に関する名言を探していたところで、早くも限界を覚え始める。シャネルやレディー・ガガといった世界的な美の探究者の名言を探してみるも、「厳かに美しいのだ」に繋がる言葉が早々見つかるわけもない。


 そのまま突っ込むのは無理があるので、一つの名言を分割してみることにした。しかし、二つに分割したとして、前半と後半とで10行も開きがあれば、名言ではなくて単なる文字列になってしまうので、2~3行程度で続けてみることにした。

 あと、男性と女性の名言で当然語尾が違ったりもするので、適宜直すことにする。

 それに加えて、接続詞はないと文として不自然すぎるので、適宜追加する。


 こうして10個の名言を用いて作った試作品が出来た。



 神は死んだ――祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

 命というものは、確かに儚い。

 だが、自分には生きてる価値がないなんて、絶対に自分に言い聞かせてはいけない。

 儚いからこそ、尊く、厳かであり、美しいのだから。人生において重要なのは生きることであって、生きた結果ではないのだから。

 失敗したとしても、それは回り道であり、行き止まりではない。

 過ちそのものは人間を決めない。過ちのあとが人間を決めるのだ。

 どうしたらいいのか――自分自身を信じてみるだけでいい。きっと、生きる道が見えてくるだろう。

 希望があるところに人生があるし、この世でなされる全てのことは、希望の力によるものだ。 

 

 希望が人間をつくる。大いなる希望を持て。



 うーん……

 何が伝えたいのかよく分からない文章だ。

 特に冒頭の一行目のクセが強すぎる。


 意訳すると「儚いけど、それがいいんだ。失敗しても問題にはならないし、希望を抱けば何とかなる、がんばれがんばれ」ってしつこいほどポジティブだが、これで一つの物語は相当苦しいなあ。

 ポジティブな名言を用いる光の人と、ネガティブな名言を用いる影の人の会話劇ならまだ何とか表現できるかもしれないな。対立させれば、おのずとストーリー性も出てくるようになるかもしれない。


 暇があったら考えよう。

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