ぼかして書く


 こんな時間に書くという作業も、慣れてしまえば意外と何とかなるのか。継続の力とは恐ろしいものだなと思う。

 サイコロの目の合計は14。このネタでいくなら、ちょっと文章を考えなければならないな……


 ぼかして書くという方法がある。答えをあえて書かない、あるいはとても抽象的なもの――心とか世界とかそういう何とでも出来そうなものを答えにする。

 答えをひとつに定めてしまうと、残りの選択肢がなくなってしまうので、今後のことを考えると、あえて結末をぼかすという手法もありだろうし、自分で答えが出せないものについて、人に結末を委ねるという方法もあるだろう。


 どちらにせよ、自分なりの回答は必要である。ぼかして書くというのは、手を抜くための方法ではない。辻褄を合わせるためには、きっちりと全部書いた上で、意図的に穴をあける部分を決めなくてはならない。

 だから、ぼかすよりもはっきりと書いた方が大半の場合で楽だと思っている。ぼかし方を間違えると、匂わせるだけの(回収されない)伏線や雰囲気だけの話となってしまう。


 エッセイをぼかして書いてみたらどうなるか。「中立」といえば聞こえはいいが、どっちつかずのふわふわの意見だらけになるのだろうか。それか、自分の意見はなく、「どうだろうか」「なのだろうか」と人に尋ねるだけの文章がひたすらに羅列されるのだろうか。

 自分の主張を書くエッセイにおいて、主体性がないというのは、もはやテンプレ部分だけしか残らないように思える。

 小学生の頃、宿題となった日記の字数を稼ぐ際に、「~が起こった。僕は~と思った。その次に~が起こった。僕は~と思った」……と逐一、出来事ごとの自分の気持ち(もちろん適当)を挟み込む方法を取っていたが、それと同じように字数を埋めるためだけの、ただ書いてあるだけの、文章が続けられるのだろうか。


 書いているときは楽だろうが、読み返してみても面白くはないだろうな。

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