タイトル選びへの応援コメント
こんばんは。
楽しく読ませていただいております。
タイトルは難しい問題ですね。
僕は1ヶ月ほど前から『ようこそ、ナーロッパ劇団へ』という長編を掲載しているのですが、自分では良いタイトルだと思っていたにもかかわらずPVが伸びず、物は試しと、『チートなアレンの異世界生活』(以下略)というオリジナリティやドラマ性を(あえて)感じさせない長文タイトルにしてみたら、わずかながらにPVが多めの日が続くようになりました。悔しいというか、やるせないというか……。
カクヨムという場と異世界ファンタジーというジャンルによるところが大きいのだと思いますが、要するに、新しいものや刺激的なものではなく、どこにでもありそうで無難な(いっそのこと、いかにもつまらなそうな)ものの方が、アクセスを集められるということでしょう。タイトルとは分からないものです。
僕も読者を増やす方法なんて知らないので、ただの思いつきですが、無難なものには無難なタイトルを付けて、文章力や細部の描写で地力の強さを見せ、ともかく読者に最後まで読んでもらう、くらいのつもりの方が、PVが稼げたり高い評価を貰えたりしやすいのかもしれません。
長文失礼しました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
仰るとおりかと思われます。人は何だかんだベストセラー……うすしお味やのり塩味のポテトチップを欲していて、ハズレかもしれない「独創性溢れる」タイトルを敬遠するのかもしれません。
元々長文タイトルこそ「独創性」の表れだったはずが、今やベーシックになっているというのは時代の流れか。
あとは、ウェブ媒体なので、一度投稿した作品のタイトルや内容を後で自由に変えられるし、作品自体、いくらでも作れるというのも一役買ってるかもしれません。
カクヨムは企画というシステムのお陰で「無難(地味)なタイトル」にも日の目が(比較的)当たりやすいので、どんどん場に出してみるというのも案の一つでしょうか。
ファイナるへの応援コメント
完結おめでとうございます、ってことで良いのでしょうか。
興味深いお話が多く、(悩んでいらっしゃることにこんなことを言うべきではないかもしれませんが)楽しく読ませていただきました。
これは僕の悪癖ですが、示唆深いお話を聞くと、あまり軽々しく口を挟むべきではない気がして、結局あまりコメントを送れませんでした。
ただ、文芸という表現方法は、理屈だけでは割り切れないことや、自分自身でもまとまらない考えや感情を、何とかして形にして残すものだ(そういう側面がある)と思っています。その意味で、小説を書くことを考えるなら、モヤモヤした居心地の悪さにそれらしい理屈を付けて納得したり、人と話すためにネガティブな話をポジティブなものに変換したりするのは、必ずしも良いことではない(のかもしれない)と思っています。
というよりも、僕は何にでもそれらしい理屈を付けて、「これはこうなんだよ(こうであるべきなんだよ)」と納得しがちなので、Web小説を書くときにも迷いや葛藤があるキャラよりは、自分の考えや信念に迷いがなく、自分の脳内をその場で言語化できる(と本人自身が思っている)ようなキャラを作ってばかりいて、それが悩みだったりします。自分で書いていて、「ちょっと理屈っぽさが過ぎるかな」、「乗り切れない人にとっては説教くさいだけかな」と思うことが多いです。とはいえ、当然ながら僕自身が全然悩まないわけではありません。何かに触れて違和感を覚えたり、微妙な問題を前にして悩んだりすることがしょっちゅうなのですが、残念ながら一度「とりあえずの答え」を見つけると、違和感や悩みはすっかり忘れて、振り返らなくなり、「とりあえずの答え」だったはずのものに胡坐をかいて「(自分なりの)ファイナルアンサー」にしてしまうのです。Web小説を書こうにも、過程をすっ飛ばしていきなりゴールに行きそうになるので、小説よりブログを書く方が向いているのではないかと、ちょっと悲しくなります。
先日、この『妄作論』で、脳内の考えや感情を的確に言語化する装置ができたらどうだろうというお話をなさっていて、それを拝読したとき少し思ったのですが、やはり、言語化を他人(コンピュータ)任せにする(だけだ)と、拾い損ねるものがあるのだろうと思います。結論にたどり着くまでの過程とか、一応の結論を出してはみたものの何となく残るしこりとかを、どんな言葉で、どんな順序で、どれくらいの文字数で、どんな比喩を使って形にするかということは、我々がそれぞれ自分自身の責任で引き受けないといけない行為(あるいは作業? 活動?)だと思います。なぜここに責任が絡んでくるかと言えば、そうです、書き手が文章を作るだけでなく、文章が書き手の考えを作る側面があるからです。
ふむ、自覚している通り、理屈っぽい話、説教くさい話になってしまいました。すみません。
要するにですね、この『妄作論』についてですが、もし本作が、時間と体力が限られている中でモヤモヤしたものをモヤモヤしたまま書き残したり、一度出した結論についてあーでもないこーでもないと言ったりしたものだったとしても、あるいはさらに、脳幹さんご自身が出来栄えに納得なさっていない文章だったとしても、書くことにも続けることにも、やっぱり意味はあったのではないかと、僕は思っているのです。そして、自分自身の頭の中のことに関して、継続的に形にするということができる脳幹さんが、僕はうらやましいのです。「ろくにコメントも寄越さないお前なんかに、急にそんなこと言われても……」と思われていそうですが、まあ、ここをそういう場として捉えているヤツもいたということで、大目に見ていただければと思います。
長文失礼しました。
作者からの返信
コメントありがとうございます。
読んでいてちょっと込み上げてくるものがありました。助かりました。
正直な話、執筆のために意見や思考を整理するたびに「なんて自分はアホらしいんだ」と思ってました。
散々嫌になりながら、そんな自分をどうしても見捨てられなかったという感覚ですね。
元々の想定だった10万文字は超えたのでひとまずおしまいです。
仮に次の作品を出す際は、もう少し間延びしないように内容を煮詰めてからにしたいと思います。
また機会がありましたらよろしくお願い致します。